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1.17~ズッコケ脅威の大震災~あの日を忘れない

 1.17Kobe。阪神淡路大震災のつどいが神戸の東遊園地で行われ、多くの人が集まった。
 5:46、黙祷。
 テレビでも長く中継する局があるが、関西ローカル以外では、どんな報道がなされているのだろうか。もう忘れられているのだろうか。

 コロナが治まったかと思えばまた感染者が増え、ついでに手洗いマスクを徹底した三年間はほとんど発生しなかったインフルエンザ患者まで増えた。コロナ禍で一体何を学んできたのだろう。すぐに忘れる。学んだことを生かさず、同じことを繰り返している。

 震災も繰り返してほしくないが、日本に住んでいる限り、いつどこで大きな地震が起きるかわからない。



 1995年1月17日、午前5時46分、阪神淡路大震災が起きた。
 その3年後という設定で、那須正幹(作)と前川かずお、高橋信也(絵)のズッコケ三人組で「ズッコケ脅威の大震災」が描かれた。
 震災後の神戸の小学生との文通の中で、ハチベエ、ハカセ、モーちゃんのズッコケ三人組に大震災を体験させると約束していたそうだ。文中にも神戸の小学生の手紙が出てくる。出版も震災の3年後の1998年。
 現実の世界では、その後、2011年3月11日に未曾有の東日本大震災が起きている。

 作中の震災は、阪神淡路大震災の3年後の4月19日、マグニチュード7.3、震度7の地震が、瀬戸内海西部の稲穂県ミドリ市で起きた。ズッコケ三人組の住む花山町も大きな被害を受け、彼らの通う花山第二小学校も避難所となった。三人組は六年一組の同級生だ。
 作者は、「これから起こるであろう大地震を想定して」書いている。

 日本は地震国で、北は北海道から南は九州まで、地震の起こらない地域はありません。いま、この本を読んでいるみなさんの町や村でも、いつなんどき震度七の激震が襲うかもしれないのです。この確率は、外国の軍隊が日本を攻撃する確率より、よほど高いのではないでしょうか。

あとがきより


 作中では地震の前兆を多く書いている。これは本当かどうかわからない。創作だと思って読めばいい。前兆があてにならなくても、危機感だけは常に持ちたい。

・海で魚が釣れなくなって、漁獲高も極端に悪くなった。
・岸壁のカニがいなくなった。
・井戸水が涸れた。
・海のボラが川でたくさん釣れた。ボラ以外の大きな海の魚も川で泳いでいた。
・ネコが震え、イヌが逃げ出し、金魚が水槽から飛び出し死んだ。
・ムクドリの大群が空を覆った。
・ロケットの噴煙のような地震雲が空に浮かんだ。

 こんなに書いたら本気にする人も出てくるだろうというぐらい書いている。こんな現象があるから地震が起きるわけではない。

 地震学者のゲラ-東大名誉教授は、「地震は予知できません」と断定する。地震国日本では、いつでもどこでも大地震が起きる可能性がある。学者は予算を取るために「予知できる」と言っているだけだと言う。

 地震は起きないと思われていた神戸も大震災に見舞われた。歴史をたどれば江戸時代1707年の宝永地震では神戸も大きな被害を受けている。宝永地震のマグニチュードは8.4~8.6と予測される。もっと古くたどれば何度も神戸は大震災を経験している。
 震災から時が経ち、我々はその経験を伝えているだろうか。もう地震は起きないと思っていないだろうか。「ズッコケ脅威の大震災」は忘れられた本になったのか。


 日本海にはミサイルが何度も発射されている。それに対して何をしているのだろう。今まで何をしてきたのだろうか。本当に効果的な措置をとっているか。ただアラートを流すだけなのか。
 選挙前になるとお金をばらまく。子どものいる家庭にお金を渡す。生活保護家庭にさらにお金を渡す。働いている人よりも多い金額をもらっている保護家庭もある。何か変だ。お金を渡すことの前に制度はどう変えたのか。お金を渡すだけの生活保護が反社会勢力の資金源ともなっている。
 制度ばかりいじって次々とあれもやれこれもやれと言い、肝心の子どもと職員のことは置き去りにしている教育はどうか。今まで将来を見すえた教育改革をしてきたのか。

 目先のことだけでなく、将来のことを考えなければならない。
 そして、人の命について考えなければならない。

 震災では多くの人が亡くなった。さっきまで一緒にいた家族が亡くなった。
 ニュースで戦場の映像が流れる。人が殺される。家族の死の映像に続いて政治家の顔が流れ、政治のニュースとなる。それはそうなんだろうけど、何か違和感を感じる。
 テレビでは葬儀場のコマーシャルが多くなった。生命保険のコマーシャルも多くなった。死を当たり前に映像化して、同じ映像を何度も流す。現実はそんなもんじゃないだろうに。

 作者は、生き残った子どもたちにこんな言葉も残している。(光村図書「道徳6年」)

この幸運を大切にしてほしい。そして、この幸運をいつの日か、ほかの人にも分けてあげてほしい。そうすることが、一月十七日の夜明けに亡くなった大勢の人々に対する、君たちの責任でもあるのだ。地震なんかに、負けるな。

負けるな~阪神大震災にあった子どもたちへ


 震災の記憶を新たにするときにこそ、今一度何をすべきか、考え、未来へ伝えていかなければならない。
 




 

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