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沖縄Ⅰ 地理編

今回のコンテストの話を聞いた時、一番初めに浮かんだのがこの記事でした。この記事はここ3年間の集結として、とても楽しく書かせて頂いたエッセイです。

できれば、コーヒーやお茶でも飲みながら、ゆっくりと・・・

今まで出会うことがなかった「沖縄」へ、ひと時、一緒に出会いに行きませんか?

行ったことのある方も、行ったことのない方も、あるいは沖縄在住の方にでも、楽しんで頂けるのではないかと思ってます。

(現在マガジンにて100円で掲載されているものですが、今回は地理編と歴史編に分けて全文投稿させて頂きます。後半の歴史編は、明日投稿します。)

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はじめに

「世界や日本の地域の中で、どこが一番好きですか?」
こんな質問を受けたら透かさず「沖縄」と、この文面からそう想像させてしまうかもしれない。しかし実は「答えることができない。」というのが、正直なところである。
それはその国や地域が持つ独特な個性というものが、他のそれらと比較ができないと思うからだ。いやそもそも、比較する対象ではないと思っている。

— ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン —

随分前だが、こんな歌も流行っていた。
世界に72億人いたとしても、まるっきり同じ人は存在しないように、双子であってもそれぞれの個性やアイデンティティーがあり、どんな人でもその人にしかない可能性が奥深いところに秘められている。それはいくら人工知能(AI)が、真似しようとしても真似することができない「尊厳」の領域なのかもしれない。

そしてそれは、人だけに限らない。この世の中の全ては特別なオンリーワンで、その他の全てと相対比較するなど不可能なことである。
石は石で美しいし、花は花で美しい。
石と花を比較すること自体、石と花に失礼である。
また石の中でも、大きいものもあれば、小さいものもある。また、つるつるした石もあれば、ごつごつした石もある。丸いものもあれば、四角いものもあるように、どれが一番という言葉は似合わない。

結局ナンバーワンを規定することよりも、オンリーワンであることをお互いに認識し、そのような関係性のもとコミュニケーション溢れる社会を創っていくことが、新しい時代を迎える今の私たちに必要とされているのではないだろうか。

それはまた、人や存在だけではない。
沖縄は沖縄だけの美しさがあり、北海道は北海道だけの美しさがあるように、世界各地域どんな場所でも、そこでしかない美しさがある。
特にその地域の美しさとは、時間の流れを通して経験してきたその地域の「歴史」と、独特で個性的な構造であるその地域の「地理」に由来するのではないだろうか。

もしもその地域の美しさを最大限に引き出すことができたら、そこで生活する人たちはもちろん、それを全世界の人たちと認識し共有することができたら、今の時代を生きる私たちにとって、これほど励みとなり、後ろ盾になることはないだろう。

海の中の魚は海という環境があってこそ泳ぐことができ、その海の状態に影響を受けて生活をする。
そして魚自身も、どんな認識を持って海と出会うのかによって、海との関係性が変わるだろう。現在泳いでいる海がきれいであっても「汚い」と認識するか、多少いろいろあっても「こんな素敵な海はない」と認識するかによって、魚の一生が変わるかもしれない。

地球という母なる大地のもとに、私たち人間は生きている。
私たちはどれだけ母なる大地を意識し、認識しながら生活しているだろうか。
そもそも、母なる大地の一部分である地域のストーリーを、どこまで知っているだろうか。
もうそろそろ、この関係性を回復して、その温かい懐の奥深い全てと出会い、時空間共に新しい時代を創出する時が来たのではないだろうか。

だからこそ、母なる大地であるその地域の「歴史」と「地理」のストーリーを通して、その地域の「尊厳」という無限なる可能性に焦点を当て、紐解いていきたい。

その地域の「尊厳」を発見し、それを掘り起こすには、何よりも主体的な意志と深く追及する観方(観点)が必要とされる。
まさしく「尊厳」は、受動的な態度で出会うことはできない。観たいものを観て、思いたいように思うという、受動的な主観性では出会うことができない。
結局、自らの尊厳からくる主体的な意志と、そして出会いに対する謙虚な姿勢と、多様な観点による客観性を持って、捕らわれることのない認識の深さが要求される。

石が石としての最高の美しさを表現し、花は花として限りない美しさを表現するように、歴史と地理のフィルターを通して、その地域の個性溢れる美しさをそれらの認識によって捉え、出会い、思いっきり表現したい。

だから、今こそ、沖縄だ!

世界中のどんな人をも陶酔させてしまうほど美しい「沖縄」には、さらに計り知れない美しさがあるに違いない。
そんな「沖縄」の深甚なる「歴史」と独特なる「地理」を通して、私たちの認識をよりもっと深めることによって、さらに美しく輝かしい沖縄と出会うことができるのだ。

太平洋と東シナ海の間に浮かぶ、宝石のように光る「沖縄」を
無限大に輝かせて、全世界に発信したいから・・
まだ誰も出逢ったことのない、そんな「沖縄」へ・・
今こそ、あなたと一緒に、出逢いたい!!


地理編

雲ひとつない晴れた日は、最高の飛行機日和だ。
韓国の大邱から出発し、機窓に顔を張り付けながら、海を見下ろす。

「昔だったら、船で何日もかけて、沖縄に行っただろうに・・。」
上空から九州の佐賀・長崎・熊本・鹿児島の、きれいな山々や海岸線を見つめながら、そんなことを想った。

この世に飛行機という鉄の塊が空を飛ぶようになったのは、今からわずか120年前のライト兄弟からだ。それよりも前の時代は、世界への移動手段は全て船だったということである。
特に移動手段の中でも船の操作は、難しいだろう。それは風力・風向や海流などによって常に変動し、海底地形をも熟知していなければならないからだ。
特に海底地形は、一般人の生活の中ではほとんど意識したことのない領域である。

そういえば以前、山口県の萩市を訪れ、明治時代に書かれた海底地形地図をみつけた時には、興奮させられたことを思い出す。
確かにその頃は、大型船などを港に着けるにしても、海岸線の海底地形の構造を熟知していなければならなかっただろう。今は機械で調査が可能だが、当時は泳いで海底地形を調べたのだろうか。
とにかく、未知なる海は浪漫を掻き立てる。

では、沖縄の海底地形は、いったいどうなっているのだろうか。
それは特に、飛行機が沖縄に接近した時、上空から見える海の色が均一ではないのを見て、強くそう思った。

これが、海なのか。  こんな海の色が、あるのか。

思わず地球全体の海の水をひっくり返し空っぽにして、海底地形を観てみたいという妄想までも誘発した。

調べたところによると、沖縄本島を含む琉球諸島は、太平洋側の「琉球海溝」と東シナ海側の「沖縄トラフ」に挟まれる、とあった。
(ちなみに6,000m以上の深さのものを海溝と呼び、それより浅いものはトラフと呼ばれる。)

琉球海溝は、フィリピン海プレートが、ユーラシアプレートに潜り込むことによりできたもので、これは南海トラフと同様の成因である、という。
なるほど、これは科学館などでよく見る、地震の原理の模型と同じ地形が沖縄の太平洋側の海底にもあるということだ。
そして沖縄トラフは、ユーラシアプレートが、新しい時代に引き裂かれて陥没した1000〜2000mの窪みである、という。

上記の地図の、表記の違いの意味が分かった。
海溝は断崖絶壁のように深く、トラフは台形のように広がる窪みだということだ。その瞬間、地球を縦に割って、沖縄海域の断面図を想像する。

この沖縄の美しさの秘密の一つに、この独特な海底地形もあったのだ。
火山がある陸上だけではなく、海底においても、生きて呼吸する「母なる大地」地球の姿を感じることができた。

さらに沖縄島だけを見てみても、地質的に3億〜5000万年前の古い付加堆積(たいせき)物で作られる沖縄島北側と、500万年前に作られた現地性堆積物により構成される沖縄島南側に大きく分けられる、ということである。
沖縄島の北側と南側でも、地質的に北側は南側よりも10~60倍も古いということなのだ。

飛行機が、那覇空港に到着した。
その日は昼頃飛行機に乗ったので、レンタカーを借りて那覇市内のショッピングモールでお土産を買ったら、もう夕方になってしまった。
しかし今日の宿泊場所は、北側の国頭郡本部町だ。
那覇市内の500万年前の土を踏んでから、小さな車を北に走らせて、本部町の3億~5000万年前の土を踏んだ。

この地質を通して、まるで500万年から3億年までタイムスリップしたようだ。この旅行はただ平面の空間移動ではなく、3億年分の時間旅行でもあった!

車窓から見える外の景色は、どこにでもある夜の道である。しかし常に地形を意識しながら、車を走らせる。
那覇からの高速道路を降りて、本部半島の海岸線を走った時のことである。
「あっ、ここには海岸線がある!」 
驚いた、そして、とても安心した。
実はそれは以前、対馬に行った時に、とても反省したことがあったからだ。

その時も今回と同じように、島の南北へ車を走らせたことがあった。神奈川県出身者からすれば、海の近くは平坦な海岸線に沿って道路もある、とばかり思っていた。
しかし対馬という島は山だらけで、距離としてはそれほど遠くなくても、走っても、走っても、行っても、行っても、上がったり下がったりの坂道だらけ。
両脇の景色も変化がなく、どこまで行っても山道の木々しかない。
「ちゃんと目的地に、向かっているのだろうか。この路は、さっき通った道では・・。」

甘くみていた。私は地理という存在を、完全に軽くみていたのだ。
その時自分の生活範囲を基準にして創られた、地理に対する固定観念が破壊される瞬間だった。


ちなみに、調べたところによると、全国約1741の市町村のうち、山の数が一番多いのが対馬市の177山で、2位の栃木県日光市・新潟県阿賀町の129山を大きく引き離しダントツのトップ、だという。

旅行前、地図で見ると同じように南北に長い沖縄も、もしかすると対馬のような地形かも知れないと、今回は低姿勢で臨んでいた。
もちろんドライブに関しても、行っても、行っても・・かも知れないと、決意して臨んでいたのだ。

ありがたい、感謝の想いが込み上がる。
夜の車窓からぼやけて見える海岸線を悠々と走りながら、昼輝く沖縄の青い海を想像してみる。

しかし、なぜ同じ島でも、ここまで地形が違うのだろう。
また本土とも地質が違うというが、どう違うのだろう。

まず沖縄は北部に最高峰の標高504mの山があり、対馬の最高峰の山は標高648.40mを始めとして、500mを越える山が勢ぞろいする。
国土交通省国土地理院のホームページを通してみた沖縄と対馬の大きな違いは、対馬のほぼ全域が「海の作用によってできた地形」だったが、沖縄のそれは北部の一部と南部の細かい部分にしか過ぎなかった。また対馬は独特で、隆起と沈降を繰り返して現在の姿になっただろうといわれている。

何よりも大きな違いは、沖縄独特の地質にあるようだ。
沖縄歴史教育研究会編による「高等学校 琉球・沖縄の歴史と文化」によると、


「日本列島は酸性の火山灰土が多く、石のようにかたい人間の骨も、1万年以上たつと地中で酸化して溶けてしまい残りにくい。じつは、日本の旧石器人の全身像を明らかにしたのは、沖縄県から発見された港川(みなとがわ)人であった。琉球石灰岩の洞穴はカルシウム分が多く、中性かアルカリ性のため骨が酸化しにくい。そのため、日本人の旧石器人の多くは、沖縄で発見されているのである。」


結局日本列島は酸性の「火山灰土」でできていて、沖縄は中性かアルカリ性の「石灰岩」だという。(写真上:火山灰土、写真下:石灰石)

それも石のようにかたい人の骨が酸化してしまう本土の土と、酸化しにくい沖縄の土によって、旧石器人の保存の状態が変わるという。

いろいろな、妄想がよぎる。
酸性の土の上で生活する本土の人と、中性かアルカリ性の土の上で生活する沖縄の人とは、いろいろな違いが出るのではないだろうか。
例えば土自体が変われば、同じ作物であっても成分が変わるので、それを食べる本土の人と沖縄の人とは、もしかして性格なども変わってくるのではないだろうか。
「なんくるないさ」という言葉は、アルカリ性によるのかも知れない。
(*なんくるないさ:琉球語の「自然と(あるべき様に)なるものだ」という意味。)

またこの教科書によると、例えば沖縄が日本の一部ではなかったら、日本人の旧石器人は証明されなくなるということになる。
そもそも、近代国家の歴史はここ170年にしか過ぎない。わざわざ旧石器人に「日本人の~」と付ける必要性がどこまであるのだろうか、と思ってしまう。

日頃思うことだが、考古学などは国家の境界線を越えて、できれば、完全に無くして、世界合同で研究してもらいたい学問だと思う。そうすれば、もっと進展的な研究が期待できるのではないだろうか。
それは韓国の金海博物館と、福岡県の宗像大社の神宝殿や、糸島市の伊都国博物館が、ほぼ同じ展示がされていることを通してそう思った。
本来古代において私たちの先祖が、出会いを求めて海を越え活発な交流をしていたことを、元海洋民族としてのDNAレベルで、無意識的に感じていることなのではないだろうか。

次の日の朝、外を見ると天気は曇り。
しかし、ホテルから見える本部町の海は、太陽のスポットライトを浴びなくても、何色もの青にそれぞれが輝いていた。
このまま一日、ホテルでぼーっと海を眺めていてもいいと思ったが、一緒に来た韓国の友人のためにも、観光に勤しむことにした。

午前中から、近くの美ら海水族館に行く。
中学校の修学旅行らしき団体や、台湾か中国からと韓国からの観光客の団体も来ていた。さすがにアジアトップ、世界第9位を誇る水族館だ。
昔から泳ぐ魚が好きでよく水族館には行ったが、ここには圧巻させられた。水槽の大きさはもちろんだが、魚の種類の豊富さに驚いた。
あまりにも鮮やかな南国の熱帯魚など、見たこともない色や形の魚の美しさに、私たちが生活しているこの地球の偉大さを、また感じた。

その秘密もやはり、海にあった。
ここでは、イノーや珊瑚礁、黒潮の海と深海という、様々な海の姿が紹介されていたからだ。(*イノー:琉球語でサンゴに囲まれた浅い海(礁地しょうち)のこと)  

イノーは初めて知った、こんな海もあるのか。

また沖縄の海には、世界の4分の1の種類の珊瑚があるという。沖縄の海の色がエメラルドグリーンできれいな理由は、珊瑚礁と黒潮によるらしい。
そして琉球海溝の深海の存在が、今まで出会うことができなかった領域の生物たちとそのドラマを再現してくれた。深海はとても神秘的である。

次にまた、海岸線に沿って車を走らせ、古宇利(こうり)島に行く。
絶景とは、このことだろう。白い砂浜と透き通った海に、言葉を失う。
沖縄の海の砂が白い理由は、珊瑚や岩が砕けた残骸と、魚が藻と一緒に珊瑚も食べて消化できず糞になったものだという。
「残骸」という単語や「糞」という単語のイメージが、すっかり変わってしまった。

今日という一日がゆったりと流れる中で、時間がこんなにも贅沢なものなのかと思えたのは、生まれて初めてかも知れない。
 
そしてまた、先発で訪れた同僚達の勧めで、小高い丘の上にあるカフェへ向かった。対向車が来たらどうやって避けたらいいのかと思うぐらい、狭い山道を走る。
しかしこの土地では、そんな心配は一切いらない。しぜんと「何とかなるものだ」と、思ってしまう。

そして、目的地に着いた、
そこもまた、別世界だった。 夢でも見ているのではないかと思った。
高台から眺める、今帰仁(なきじん)の海もまた・・・・・表現できない。
この地形は、日本ではここにしかない。国土地理院によれば「地質を反映した地形」で、石灰岩の溶食によるカルストの凹凸地域の凸部分に位置しているようだ。

そんな大地に両足を付けて立っていること自体、奇跡を感じる。


また、そこから見える海には、波が常に白く線を描いているところがあった。
あぁ・・あそこまでがイノーという、サンゴ礁の浅瀬なのだろうか。

時間がゆっくり流れる。 
本来、旅行とは、こういうものだったに違いない。


風が出て来た。
12月に来た同僚は暑かったと言っていたが、2月の私たちは少し肌寒い。
また車を走らせて、海岸線を行く。
時速40キロの速度が、気持ちいい

走っていたら、先ほど行ったカフェから見える海が突然見たくなった。
方向を変え、畑の間の小さな道に入り海に向かう。
やはりあった、誰もいない静かな海が。
その海を、韓国の友人と・・・二人占めにしてしまった。


次の日、今日から500万年前に創られた土地である、南側に移動する。
車のナビもこの大自然の影響を受けているようで、あまり仕事をしない。移動しながら、有名な観光地である万座毛(まんざもう)に寄る予定だが、すっかり道を間違えた。
しかし沖縄での迷子は、なぜかワクワクする。想定外の場所に出会えるからだ。
本来ならば高速道路に乗る必要のない位置だったが、乗ったおかげで沖縄島の真ん中部分に値する、太平洋側の海に出会えた。
またそこから、万座毛のある東シナ海の反対側まで山を越えて横断する。
だから、沖縄島の「おへそ」を通過した。このお得感は、いったい何だろう。
寄り道、回り道、迷い道、脇道。それらに浪漫を感じてしまうのは、私だけだろうか。

万座毛に着いた。今日はすっかり晴れて、少し汗ばむ。
ここも有名な観光地で、周りからは日本語よりも韓国語や中国語が聞こえる。
万座毛といえば、韓国の観光ガイドに「코끼리바위(ゾウの鼻の岩)」とあるように、その岩がメインではある。
しかし、そもそも万座毛は、琉球王朝の尚敬王が「一万人が座れる広い原っぱ(毛=原っぱ)」と評したことに由来するらしい。

ここは隆起珊瑚礁で、ゾウの鼻の岩やその近くの洞窟は、雨と地下水と海によって浸食され創られた形だという。沖縄の石灰岩が、一目で確認できた。
またこの天然のシバ草原である万座毛には、ここだけにしか見られない特殊な植物がいくつか生育し、万座毛石灰岩植物群落として県の天然記念物にも指定されているそうだ。

自分の呼吸が、沖縄の土や草や木の呼吸と重なり、空と海と大地の呼吸と重なる。


人間も大自然の中のほんの一部にしか過ぎないことを、実感する瞬間である。

次に向かうのは那覇市内にある、沖縄県立博物館だ。


車を南に走らせながら、すべての時空間を、この沖縄で満喫する。

                        

                          (歴史編につづく)


拙い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。 できればいつか、各国・各地域の地理を中心とした歴史をわかりやすく「絵本」に表現したい!と思ってます。皆さんのご支援は、絵本のステキな1ページとなるでしょう。ありがとうございます♡