なぜ陰謀論的言説に没入するのか(続き)

下層中産階級の人たちは、日々一生懸命働き、それが尊い行いだと信じて行ってきたが、第一次世界大戦、世界恐慌などで全てが崩壊する。そのような中では自己否定にならざるを得ない。

自己を否定することで、外部に肯定を求める。
そしてその外部が権威的で分かりやすいものがいい。

なぜ容易に自己否定されるのかと言えば、その時代の労働を正当化する為のカルヴァリズムがあり、カルヴァリズムでは、そもそも運命は決まっていて、働いた結果でその運命が証明されるということであり、逆に言えば、悲惨な結果は自分の運命がダメダメだという証明になるからである。
その上で、サディズム(S)とマゾイズム(M)は、全体主義に拍車をかける。
自己否定をする個人は、信頼を前提とした繋がりがない。無条件の受け入れがないからこそ、自己否定につながる。また、両親に対しても、つまり身内も丸ごと否定することにもつながる。何故なら今の状況を作り出したのは両親のせいでもあるからである。
なので、親とは逆張りになる。
また、自己否定からくる不安や苦しみから逃れるためには、愛を欲する。つまり、他者からの受け入れである。そしてその証明が欲しい。それがSとMとして表出する。
SとMは、お互いに対にあることで、成立する関係性であり、お互いに依存していると言える。逆にその依存関係にいる間は、非常に強い愛を感じることができる。
ナチスの場合、国民は、ヒトラーからはMとして受け入れ、ユダヤ人に対してSという状況を可視化し、実感することで愛を感じていた。この分かりやすい構図に支配力の強さが関わる。

話を戻すが、ユダヤ人が、ユダヤ人というだけで悪い人だなんだというは、
どう考えてもおかしいことは少しの理性で分かるはずだ。
日本人は〇〇で、朝鮮人は〇〇で、中国人は〇〇で、と、
どう考えても地域性でも全然違うにも関わらず、
偏見によって、カテゴライズして認識しやすいようにしている。

縄文時代ぐらいの小さな共同体同士で、一瞬で判断する(偏見を持つ)のは大きくづれないかもしれないが、今は共同体が大きすぎるが故に、実態を掴むのはほぼほぼ不可能であり、常に問う姿勢が必要になる。

しかし、自己否定をしてしまう人たちは、自分が信じられず、問い続けるエネルギーが持てない。そのエネルギーが無ければ、ファストメディアで言っていることを全て確実にあることだと信じ、それを信じることで、活動エネルギーを作り出している。

ここで問題は、自己否定し完全に自分を放棄することができるのであれば、大きな“モノ“と一心同体で栄枯盛衰して悔いはないのだろうが、ほとんどの人が完全に自己を放棄することはできないので、そこから生まれる矛盾の負のエネルギーが社会を悪循環に向かわせるとフロムは考えている。

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