ショートショート「いいか、坊主?」

「いいか、坊主?」と言ってぼくの顔を覗き込んだ親分の声と顔が、ぼくの人生の記憶の、一番最初、それ以前だって、ぼくは存在し、おそらく何かを喋ったり、辺りを駆け回ったりしていたとは思いますが、そんな記憶はぼくには一切残っていないので、ぼくが今のぼくとして存在し始めたのは、その瞬間だと言っていいでしょう。その瞬間、親分がぼくに「いいか、坊主?」と言った瞬間、それがぼくの持つ記憶で遡れる限りの場所。と言っても、雛が卵から孵って最初に見た動く物を親と思うようには、ぼくと親分の関係は始まりませんでした。
「おじさん、誰?」
「いいか、坊主?おじさんじゃない、親分と呼ぶんだ」
そして、ぼくは親分を親分と呼ぶようになりました。親分はぼくに「いいか、坊主?」とまず言い、その後に様々な教訓を与えてくれました。ぼくと親分がいた、そしてぼくが依然いる、この荒野で生き延びるための教訓を。
これは余談かもしれませんが、こんな具合に記憶の始まったぼくは、ぼくの両親のことをまるで覚えていません。まあ、この荒野の住人でしょうから、ろくな人間ではないと思います。ぼくを一人残して姿を消した理由は様々考えられます。有力なのは、単純に邪魔だったか、誰かに消されたかでしょう。
そう、この荒野には死体を隠すにはうってつけの決して人目につかない場所は腐るほどあり、殺される理由なんてのもそれ以上にたくさんあるのです。
「いいか、坊主?」と親分が二つ目の教訓として教えてくれたのも、それに関連することでした。「怪しい奴は躊躇わずに撃て」そして、小さいぼくの手には余る銃をくれたのです。
「怪しい奴って?」
「いいか、坊主?怪しい奴ってのは敵のことだ」
「敵って?」
「いいか、坊主?敵ってのは味方じゃない奴だ」
「味方って?」
「いいか、坊主?味方なんてのはこの荒野にはいない」
「じゃあ、おじさんも?」
「いいか、坊主?まず、おじさんじゃなくて親分だ。それから、俺はお前の潜在的な意味での敵だし、お前は俺の潜在的な意味での敵だ」
「じゃあ、撃った方がいい?」
「いいか、坊主?お前は俺を撃つことができるが、俺はお前に撃ってほしくないと思ってる」
そういうわけで、ぼくは親分を撃たないことにしました。そして、親分以外の怪しい奴、すなわち敵であり、すなわちぼくと親分以外は徹底的に撃ちました。もちろん逆に撃たれるようなこともありましたが、傷は負ったものの、どうにか生き延びることができました。これも親分の教訓のおかげだとは思いましたが、ある時ふと疑問に思いました。
「ねえ、親分、もしかしたら、この荒野にも、こっちに危害を加えようとは思ってない奴もいるんじゃないかな?」
「いいか、坊主?今までそんな奴がいたか?お前の姿を見て、引き金に指をかけなかった奴が?」」
「いない」
「だろ?」
「でも」
「いいか、坊主?もしお前が撃たない、しかしお前を見た奴がお前を撃ち殺したとしよう」
「うん」
「すると、お前を撃ち殺した奴は、この荒野にも怪しい奴を目にしても撃たないような善人がいるんじゃないかと考えるようになる」
「いいことじゃない?」
「ところが、そいつがそんな迷いを持って、怪しい奴を撃たなかったりすると、他の奴も同じように考え出す。みんな相手を撃った方がいいか、撃たない方がいいか迷う。それじゃ具合が悪いだろ?」
親分は評判の良い悪漢ではありませんでした。つまり、卑劣だとか、それに類することなんか言われたことはなく、腰抜け、臆病者あたりの評価をされていました。ちなみに、この荒野では卑劣は誉め言葉です。
ある日、親分の命令で酒場に酒を買いに行った時、そこの無法者たちはぼくを見て、「あの腰抜けのとこのガキか」と言いました。ぼくは頭に来たので、そう言った奴と、笑った奴を撃ちました。静まり返る酒場。ぼくは酒場を見回しました。怪しい動きをする奴がいたら撃つつもりでした。と、酒場にいた古参の悪漢が両手を上げながら立ち上がりました。ぼくは銃口をそいつに向けました。
「若いの、あんたの腕前はわかったよ。あんたはタフだ」
ぼくは肩をすくめました。
「だがな、そこでくたばってる奴が言ったのは本当だ。あんたが親分って呼んでる奴は、虫一匹殺せないような腰抜けなんだよ」
ぼくは引き金に指をかけました。
「あんたの親分が誰かを殺したところを見たことがあるかい?」
そう言われてみると、確かに親分が誰かを殺したところを見たことなど無いことに気付きました。ぼくは酒を買うのも忘れて、親分の待つ場所に飛んで帰りました。
「酒はどうした?」
「親分!」
そして、酒場での出来事を一部始終話しました。
「あいつらは頭が悪い。あいつらの言うことなんて信じるな」
「でも」
ぼくは悔しくて悔しくてたまりませんでした。ぼくは親分が好きだったので、親分が馬鹿にされるのをそのままにはできないと思ったのです。ぼくにとって、親分は偉大な親分だったし、偉大な親分でいて欲しかったから。
そこでぼくは提案したのです。
「ぼくと決闘をしよう!」
「決闘だって!」
酒場の連中立ち会いのもと、決闘をする、そうすれば、奴等は親分が腰抜けだとは思わなくなるだろうし、親分は親分なんだから、まさかぼくに撃ち殺されたりしないだろう、ぼくに致命傷を与えないように、ぼくを撃つことができるかもしれない、場合によっては、ぼくは撃ち殺されても構わないくらいに思いました。この荒野では、ナメられることは死に直結するから、親分をナメさせるわけにはいかないから。
親分は渋りましたが、ぼくは必死で説得しました。そして最後にはどうにかうんと言わせたのです。
そして、決闘の日、ぼくと親分は向かい合い、その周りを多くの見物が囲みました。
「もうテメェのお守りはうんざりなんだよ!」ぼくは言いました。見物を信じ込ませるために、ぼくと親分は一芝居うつことにしていたのです。「ぶっ殺してやる!」
「青二才にそんな真似ができるわけないだろ」親分は不敵な笑みを浮かべました。
大方の予想はぼくが有利というものでした。なにせ、ぼくには酒場での一件があり、親分はもともと評価が低かったものですから。
古参の悪漢が立ち会い人になり、決闘は行われることになりました。
「準備はいいか?」
ぼくはうなずき、親分も少し遅れてうなずきました。親分がぼくを見る目はとても優しかった。
そして合図、銃を掴み、構え、引き金を引く。破裂音、火薬の臭い。
自分の身体に痛みが訪れないことを不思議に思いました。ぼくは自分の身体を見回しました。一切傷が無い、無傷でした。なぜだろう?そして、それ以上に、親分が血を流して倒れているのが不思議でした。ぼくは親分に駆け寄りました。
「親分!」
親分の銃をみると、弾が込められていませんでした。薬莢も無し、親分は弾の入っていない銃で決闘に臨んだのです。
倒れていた親分はぼくを見上げると言いました。「いいか、坊主?俺はお前を愛してる」
そして、一つ息をつくと言ったのです。
「いいか、坊主?お前はこの荒野を離れ、普通の生活をして、愛する人を見つけ、愛すべき家庭を築くんだ。そうすれば、」
そこで親分は息絶えました。だから、ぼくは親分の最後の教えを最後まで聞くことができませんでした。しかし、とにかく、ぼくはこの荒野を離れることにします。少なくとも、親分がそれを望んでいたのは確かだから。

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