「いつでもないいつか、どこでもないどこかで」 Vol.1

夏のはじまりのこと

彼女が死んでしまったのではないかと、ぼくは思った。
ドリンク二人分を手に戻ると、彼女はデッキチェアの上に身を横たえ、パラソルの作る影の中、死んだ小動物のように丸くなっていた。水着に包まれた腹は呼吸に軽く上下しているように思えたが、さだかではなかった。ぼくはドリンクのなみなみと注がれたグラスを傍らのテーブルに置くと、彼女の口元に耳を近づけた。微かな息の音が聞こえた。彼女は生きていた。眠っているだけだ。その表情からは、いかなる種類の苦悩も読み取れず、まるでこの世の不幸すべてを免除されているかのようだった。
穏やかな風が彼女の髪をなでた。本格的な夏はまだ少し先だ。恐ろしく穏やかな、七月の午前十一時、プールサイドに人影はまばらだった。遠くで波の音が聞こえた。頭上にはまだ年若い青空が広がっていた。それはあまりにも軽やかで、まるで曇りや雨を経験したことのないような青空だった。

ぼくはまだこどもだった

ぼくらは、はた目からどう映ったことだろう。ぼくら、いや、少なくともぼくは、自分が完全な一人前とまではいかなくとも、もうほとんど大人の仲間入りをさせてもらっても構わない程度には大人だろう、くらいには思っていた。振り返ってみると、そんなものは青臭い思い違いであることが嫌というほどわかる。むしろ、その思い違いこそが青二才の証左だったのに違いない。
しかしながら、若気の至りは誰もが通過するイニシエーションのようなもので、だからこそある程度まで人はそれに寛容なのだろう。多くの場合、そんな勘違いをしたぼくを、腹の中ではせせら笑いながらかもしれないが、世間は受け入れてくれていた。そして、それがぼくの勘違いを助長していたのだ。
「保護者の方と一緒か」とその建物同様ひどくくたびれたフロント係の中年の男はさも面倒くさそうに言った。ペンをもてあそび、クルリと回した。「同意書がなければお泊めすることはできません」
ぼくらはそのホテルに、ホテルというにはいささか寂れすぎているとは言え、リゾートホテルを名乗っているそれのフロントで、ぼくらの宿泊は一度断られたのだった。
ぼくの感覚とは裏腹に、ぼくはひどく子供に見えたであろうし、事実子供だったのだ。その夏は、高校生活最後の夏だった。ぼくはニキビ面をした子供だった。誰もそんな子供を部屋に泊めたいとは思わないだろう。
そう、ぼくは子供だった。自分がどのくらい子供か分からないほど。自分にどれほどの事ができるのかも知らなかったし、自分が何になりたいのか、どこに行きたいのかも知らなかった。真の友情も知らなかったし、愛の本質も知らなかった。セックスについても知らなかったし、死というものを抽象概念としてしか知らなかった。ぼくは何も知らなかった。

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