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ゴルフGTI 親の苦労を見て育ったから、ゴルフは家族の絆そのもので、きっと大きな実を結ぶことだろう

 フォルクスワーゲン・ゴルフが世界の自動車に与えた影響の大きさは計り知れない。
 日本では、日本車よりも先にユーザーがそれを感じ取っていた。
 黒豆で有名な兵庫県丹波の近くに、ゴルフに魅せられ続けている家族を訪ねた。
 中上元(38歳)さんが中心人物で、現在は初代ゴルフGTIに乗っている。元さんも弟の牧人さん(31歳)も独立して家を出ているのだが、父親の武男さん(73歳)と母親の百合さんが住む生家に、この日のためにわざわざ集まってくれた。
 関西空港で借りたレンタカーのホンダ・フィットで近付いていくと、田畑の中の一軒家には何台ものゴルフが停められていた。元さんの黒いGTIの他に、シルバーのGTIと2代目ゴルフ、軒下の黒。奥には、ナンバープレートは付いていないものが2台ある。
 てっきり、黒いゴルフGTI一台だけがあるのかと早合点していたので、ゴルフがこんなにたくさんあることに驚いてしまった。
 いったい、なぜ、こんなに古いゴルフばかりあるのだろうか?
「31年前に、私が初代ゴルフを購入して以来、我が家にはずっとゴルフがあるのですよ」
 笑顔を絶やさない武男さんは、ゴルフを前にして数十年前に一家でこの地に引っ越してきた頃のことを話し始めた。
「私と妻は神戸で暮らしていて、長男はそこで生まれました。しかし、小児喘息に罹ってしまい、なかなか治りませんでした。神戸は港町で海のそばだから小児喘息の治療には好影響を与えるはずなのですが、うまくいきませんでした。勧めてくれる人もいて、正反対の山の中のこの地に引っ越してきたのです」
 その甲斐あって、元さんの小児喘息は快方に向かった。両親の看病と山間部の清涼な空気が幸いしたのである。

 時計の卸し売り業と保険代理業を営んでいた武男さんにとってクルマは必需品で、当時、三菱ギャランに乗っていた。大都会の神戸から田舎の丹波に引っ越したことで、クルマの走行距離が倍以上に伸びた。
「ある時、知り合いのヤナセのセールスマンが、“買わないか?”とゴルフに乗ってやって来たのです」
 ヤナセというのは100年を超える歴史を持つ自動車輸入販売商で、かつてはフォルクスワーゲンを一手に扱っていた。長年、メルセデス・ベンツもGMもヤナセが手掛けていたが、近年では各社の日本法人が設立されて、その地位は販売ディーラーに後退している。
 以前は、「いいものだけを世界から」というキャッチコピーを掲げ、クルマ以外の高級品も輸入販売していた。そのサービスには定評があり、ヤナセからクルマその他を買うことはそのまま高いステイタスを意味していた。
「私は、“あんな小さいクルマは嫌だよ”と乗り気ではなかったのですが、試乗してみて眼からウロコが落ちました。静岡までの往復約600kmを日帰りで走っても、まったく疲れを感じなかったのですから」
 まだ3歳だった元さんも、ゴルフが家に来たことは良く憶えているという。
「なんやこれ? どこがええねん?」
 元さんにゴルフの魅力がわからなかったのは幼児だったから当然のこととしても、それを憶えているというのはそれだけ印象が強かったのだろう。
「“鉄が出てるし”とも言いましたね。ハハハハハハッ」
 ドアの内張りが一部分しか張られていなくて、ボディカラーと同じ色に塗られたパネルが剥き出しになっていることを指している。
「その前に乗っていたギャランや、ギャランの前に乗っていた日産ブルーバードなどの車内はすべて内張りに覆われていて、それしか知りませんでした。だから、一部分しか覆われずに塗装面が剥き出しになっているゴルフが安っぽく見えました」
 剥き出しになっているのは合理性であり、ボディカラーを車内にも反復するというデザインの一部でもあった。ただ、そうした考え方や手法は当時の日本車とは縁遠いのものだったので、元さんは面食らってしまったのだ。

 筆者も、同じ頃に自分の父親と初代ゴルフを東京のヤナセのショールームで見た時に、なんて簡素な内装デザインなのだろうかと驚かされたことがある。
「軽自動車みたいに貧弱なのに200万円以上もするなんて」
 父親は納得できないようだった。アメリカ車を縮小コピーしたような当時の日本車しか知らなかったので、ゴルフのヨーロッパ流の合理性を理解できなかったのだ。
「あの頃の日本車は、見た目だけは豪華に仕立て上げられていましたからね」
 ピカピカにメッキされたグリルやモールディング、夥しい数のスイッチやメーター類、豪華そうに見えるシートなど。
 確かに、当時の日本車はシンプルで機能に徹したゴルフとは対照的だった。
「でも、ゴルフは走りも違っていたのですよ。先ほど話しましたように長距離を連続して運転しても疲れませんし、山道でのコーナリングが良かった。ギャランやブルーバードとは全然違っていましたから」
 武男さんが昨日のことのように思い出した。
「ゴルフはバウンシングしないんですね。ギャランは、いつまでも車体が揺れていた」
 走行中に路面の凹凸を越えたり、加減速を行うと車体が揺れたり、姿勢を変える。その際に、ギャランは揺れが止まらなかったり、姿勢が定まらなかったりした。
 武男さんは1965年に運転免許を取得した。日野自動車でノックダウン生産されたルノー4CVやトヨタ・マスターラインなどから始まって、日本車に乗り続けて来た。しかし、ゴルフからはそうした長く豊富な運転経験を超越する何かを感じた。
「このクルマは、自分が乗って来た日本車とは違う考えに基づいて造られているに違いないと考え、虜になっていきました」
 まだ乗せられるだけだった息子たちも本能的にそれを感じ取っていた。
「ゴルフに乗ると、クルマ酔いしなくなったんですよ。子供にとってクルマ酔いは切実な問題ですから、子供なりに“このクルマは、なにか違うぞ”と感じていたのでしょう」
 しばらくすると、ゴルフは2代目にモデルチェンジした。武男さんの甥が、ゴルフGTI 16Vを買った。
「とても良いクルマでしたが、400万円という値段を聞いて躊躇してしまいました。仕事が上手く運ばずに、経済的に苦しかったのです」
 保険代理業は人の多く住む都市部では効率的に営業できるが、田舎では逆だ。人がまばらに住んでいるので、時間と交通費だけが嵩んでしまう。新たに健康食品の販売なども手掛けてみたが、芳しくなかった。歴史ある地域だったので、新参者であるが故の誤解を受けたり、偏見を以って接せられてしまうこともあった。
 でも、知り合いのヤナセのセールスマンが熱心にGTI 16Vを勧めてきた。
「もしも、途中で毎月のローンを支払えなくなったら、その時は解約して引き取らせてもらうだけですから心配要りません」
 GTI 16Vの魅力には抗し難く、武男さんは思い切って購入した。当時の心境を正直に語る。
「ローンを払い切る自信がなかったんです。セールスマンの言っている通り、本当に返してしまうかもしれないと思っていました」

 その時、元さんは中学生になっていた。運転こそまだできないものの、洗車をしたり、スタッドレスタイヤやエンジンオイルの選定を手伝ったりし始めていた。
「早くゴルフを運転したいので、イメージを掴むためにタミヤのラジコンカーレースに出たりもしました」
 18歳ですぐに運転免許を取得。
「どれか選んでいいよ」
 武男さんは、持っていた3台のゴルフの中から元さんが乗るクルマを選ばせた。3台とは、GTI 16V、初代Ci、2代目GLEだった。元さんはCiを選んだ。Ciは1982年型だったが、GTIのエンジンに乗せ替えてあった。しかし、このCiを全損事故で失い、現在の黒いGTIに乗り換え、様々な改造を施しながら乗り続けている。
 元さんの乗る黒いGTIは1983年型の初代モデル。日本には正規輸入されず、並行輸入されたものを元さんが中古車で購入した。


 ご覧の通り、元さんのGTIには多くの改造が施されている。シートやステアリングホイールなどにとどまらず、エンジンにはボアアップを施し、オリジナルの1780ccから1880ccに排気量を増大させてある。併せて、ピストンやカムシャフト、大径吸気バルブなども交換済みだ。ラジエーターやオイルクーラーなども特製品が組み込まれている。
 トランスミッションは2代目GTIのものに交換され、サスペンションや駆動系のあちこちに手が入れられている。
 他に、マツダMX-5も持っていて、その2台で元さんはサーキットや山道を走って楽しんでいる。


 弟の牧人さんもゴルフに傾倒していて、現在、1978年型GTI、1988年型の2代目ゴルフCLiを所有し、さらにドイツのチューナー「エッティンガー」が手掛けた2代目ゴルフを自らレストアしている最中だ。牧人さんが語った。
「僕もゴルフは好きでしたけれども、父と兄がゴルフに寄せる想いが熱過ぎるので、僕が入り込む余地はないと遠慮していました。だから、関係のないモータースポーツの道に進んだのです」
 18歳で鈴鹿のレーシングチームに所属し、FJ1600という入門フォーミュラレースに出場した。もちろん、そのための資金が必要になるから、コンビニやガソリンスタンドなど一日に複数のアルバイトを掛け持ちし、毎日13時間以上働いた。
 2シーズン出場し、努力の甲斐あって、表彰台にも上がることができた。現在は、自動車部品販売会社に勤務している。
「パーツを見れば、どこに使われるものだかわかりますよ。家では、ゴルフのパーツ管理係です。居場所を見付けたようなものです」
 そう言って、牧人さんは優しく笑う。
「カネコさんたちに、隣をご覧になってもらったらどうだ!?」
 そう武男さんに促された僕と田丸カメラマンが案内されたのは、母屋の隣の家。外側からは普通の民家にしか見えないが、中に入ってアッと声を上げてしまった。ゴルフのパーツが1階と2階、そして裏庭にまでびっしりと詰め込まれていたからである。


「ウチでは、古いゴルフを徹底して分解するんです。すべてのパーツを取り外したボディだけを、最後にスクラップ業者に渡します」
 ここにあるパーツはそうして集められた初代と2代目ゴルフのパーツばかりだ。解体されたものばかりではない。フォルクスワーゲンの、かつての輸入販売元であるヤナセやインターネットで世界中から買い集めたものも少なくない。
「今では、フォルクスワーゲンジャパンからちょっと昔のパーツについて問い合わせを受けるようにもなりました」
 解体途中のものや休眠中のものなどを含めると、現在の中上家には初代ゴルフが3台、2代目が3台もある。


 では、今まで通算では何台のゴルフに乗ってきたのだろうか?
 それまでにこやかに夫と息子たちの会話を黙って傍らから聞いていた百合さんも初めて会話に参加した。
「白いのもあったでしょう?」
「2代目は3台で間違いないよ!」
「GTIって何台あったっけ?」
「黄色がもう一台あったな」
 侃侃諤諤とは、このことだ。
 昔のアルバムを覗き込みながら家族全員で確認したところ、初代が10台、2代目が3台、合計13台で間違いないことが最終的に判明した。
 ゴルフというクルマは、それほどまでに人々を魅了するのだ。そんなクルマは他にあるだろうか。
「二人とも、私がゴルフを維持するのに苦労してきたのを見て育ったから、代わりに今、それを楽しみながら続けてくれているのだと思っています」
 武男さんのこの言葉を、息子たちは黙って聞いている。
 ゴルフが優れているだけでなく、ゴルフは中上家の家族の絆そのものなのである。きっと、これから大きな実を結ぶことになるのだろう。

(このテキストノートはイギリス『TopGear』誌の香港版と台湾版と中国版に寄稿し、それぞれの中国語に翻訳された記事の日本語オリジナル原稿と画像です)

文・金子浩久 text/KANEKO Hirohisa
写真・田丸瑞穂 photo/TAMARU Mizuho
Special thanks for TopGear Hong Kong  http://www.topgearhk.com


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