時代

古いクライマーの古い考えがクライミングの大衆化の障害になり得るみたいな意見を見ることがあるのですが、そりゃ高慢な考えを持った人間もおりますし、実際それが現代のクライミング定義に照らし合わせるとエゴの塊でしかなかったりするんでしょうけれども、そういう方々からしたら「別にクライミングは大衆化しなくていいし、むしろ迷惑」って考えもあるんでしょうね。

人が少なかった頃は自分のエゴを思い切りぶつけていたのに、スポーツクライミングから入った強いだけの人間が何の思想も敬意もなく岩場を荒らしていたら、そりゃブチギレる人間も中にはおりますて。

何だろね。言うなればそういう偏屈なクライマーが先住民ではあるわけで、それを老害だと言って一方的に排除しようとするのも違うと言うか、ここ何年かで出来た価値観にそぐわないから敵って言っちゃうと、うーん・・・とはなりますわな。

僕自身もそういう人種に理不尽に怒鳴られたりしてきたので擁護はしませんけどね。何もかもが崇高ではないし、悪き慣習は時代と共に淘汰されるべき。

ただフリークライミングなんて本来エクストリームスポーツなんでしょ?一方でスポーツクライミングは過激な要素とか信仰的要素?は排除されて、安全性と健全さが前面に押し出されてるじゃないですか。

じゃあスポーツクライミングから入って、フリークライミングへステージを上げるのであれば、やっぱりどこかで意識の変革は必要ですよね。

岩を崇めろ!とかノーマット主義こそが至高とかそういうんじゃなくて、最低限のマナーとか危機管理についてですよ。いやなんか「そういうのダサいっすわ。所詮遊びっすよ」みたいな輩はおらんかね?おらんか。

でも「スポーツクライミング楽しい!外岩も行ってみたい!リードもやりたい!YouTubeで動画みて友達誘って行ってみよ!」みたいな感覚だったらマナーを学ぶ機会もないし、終始「自分が事故に遭うはずがない」とか思ってそうじゃん。

寿司職人なんかも「シャリ炊き三年、合わせ五年、握り一生」みたいなところから、弟子入りもせずYouTubeで学んで店をオープンしたら大成功したみたいな話もあるし「古い慣習に囚われていたら時間を無駄にするだけ」みたいな考え方で、誰かに教えを乞うのも面倒臭いし、動画だけ見てインプットする工程を効率化したろ、みたいな人間は多いんじゃない?

いやいや寿司屋の話は「YouTubeで学ぶだけで大成功した!」って言うところだけがクローズアップされてるけど、あれ普通に経営センスとか人間関係の構築の上手さとか、別の要素が大きいと思うのよ。

ネタかも知らんけど、車のタイヤ交換でナットを締めるのに全体重をかけてた動画もあったし。あれも信じちゃう人がいるんでしょ?ネットに上がっている情報の全てが真実じゃないし、現場で求められる判断や技術の全てを網羅しているわけじゃないんだから、マジで師匠について学ぶのがベストだと思いますよ。

まぁ、主にリードの話ですけどね。「こっちは自己責任で登ってんだ!」って誇示する人間ほど無責任だと思ってますから。

その自己責任は自分のミスによって発生した事故に対する責任と言うだけで、ボルトが抜けたり崩落に巻き込まれた場合は含まれてないんじゃないかね。知らんけど。

外岩でのボルダリングもなー、ジムよりもマットが充実していてスポッターも沢山!岩はチョーク跡だらけな上にカメラに囲まれていたりなんかしてね。そりゃ安全第一だし、そういう風になるべくしてなったんだろうから・・・時代かー。全ては時代の一言で解決してしまうのか。

実際こんな時代は求めてなかったと言うクライマーもおるのでしょうな。

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