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ついに最終回! 津野海太郎「最後の読書」&岸政彦「にがにが日記」(No. 951)

 考える人 メールマガジン
 2022年2月24日号(No. 951)

ついに最終回! 津野海太郎「最後の読書」&岸政彦「にがにが日記」

「考える人」を支えて下さった人気連載、津野海太郎さん「最後の読書」&岸政彦さん「にがにが日記」が最終回を迎えました。

津野さんの連載の後半をまとめた単行本『かれが最後に書いた本』は、新潮社から2022年3月28日に刊行予定です。

連載の前半は『最後の読書』として刊行されています(読売文学賞受賞)。


●津野海太郎「最後の読書」
36 わが人生の映画ベスト10 その3(最終回)


岸さんの連載も単行本として小社から発売予定です。

●岸政彦「にがにが日記」
最終回 2021年8月20日~12月31日

川添愛×高野秀行
「知れば知るほどわからない! 言語探偵、「ことば」の不思議に迫る」

理論言語学で博士号を取得し、『ふだん使いの言語学』(新潮選書)をはじめとするさまざまな著書で「言語を観察する」方法を披露している川添愛さん。かたや、アフリカや南米、東南アジアなど世界の秘境で数々の言語を習得してきた経験を持つ高野秀行さん。

一見、まったく別のやり方でことばに触れてきたように見える二人ですが、その言語との接し方は

・暫定的に法則を設定して、それをアップデートしていく
・規範的な言葉遣いより、現実で話されていることを基本にする

と、驚くほど共通しています。

お互いのファンだったという二人の初対談では、それぞれのフィールドで観察してきた「ことばの謎」について、リモートで熱く語っていただきました!

前編 「正しくない」方が面白い!?

後編 「は」か、「が」か?――それが問題だ


ヤマザキマリ×清水克行「歴史は民衆によって作られる」

室町時代という「最も日本らしくない」時代の庶民を生き生きと描いて話題となった『室町は今日もハードボイルド』。

著者の清水克行氏は、『テルマエ・ロマエ』や『プリニウス』で古代ローマの生活文化を描き続けるヤマザキマリ氏にずっと親近感を持ってきたという。

一方のヤマザキマリ氏も、清水氏の同書を「思い込みや予定調和から解放される本」と絶賛。

中世日本と古代ローマをとおして人々やその生活文化について考え続けてきたお二人が、コロナ下の日本と世界について縦横無尽に語り合いました。

前篇 室町時代は「自習の時間」?

後篇 『テルマエ・ロマエ』と『タイムスクープハンター』の意外な共通点

アクセスランキング

■1位 岸政彦「にがにが日記」
最終回 2021年8月20日~12月31日


■2位川添愛×高野秀行「知れば知るほどわからない! 言語探偵、「ことば」の不思議に迫る」
前編 「正しくない」方が面白い!?


■3位 稲田俊輔「お客さん物語」
7.浅草のジルベール

最新記事一覧

■道草晴子「よりみち日記2」(2/18)
22.ネタ作りの日々

マンガの連載が終わり、次作に向けてネタ作りを始めようと街に出てみると、次から次へと不思議な出会いが……。

「考える人」と私(50) 金寿煥


 法然上人800年。親鸞聖人750年。本年は、ふたりの宗祖が50年に一度の「大遠忌」を迎える、日本浄土仏教にとって大変意味のある年です。それを機にあらためて日本仏教を考えるため、「仏壇」という言葉をキーワードにして、そこにふたつの意味をこめました。ひとつは、家の中で先祖をまつる、あの「仏壇」。ひとつは、「文壇」「画壇」などと言われるように、あるジャンルの人的集合体として。前者は「葬式仏教」を、後者は日本仏教を取り巻く環境一般を象徴しています。そのいずれからも「遠く離れる」――。近年、日本仏教に大きな変化が訪れています。はたして、その行く末は如何なるものか。現代における「仏教と日本人」の関係を問い直す特集です。

 2011年春号「考える仏教 『仏壇』から遠く離れて」の特集意図を記したリード文です。本コラム(32)~(36)でも触れたように、2005年以来、「考える人」では二度目の仏教特集です。法然上人と親鸞聖人の「大遠忌イヤー」というタイミングに合わせて、あらためて現代の仏教を概観しておこうという意図ですが、ポイントは「仏壇」という言葉を二重の意味で使用したことです。
 それまでも釈徹宗さんなどと、「『文壇』や『論壇』があるならば、『仏壇』があってもいいじゃないですか」と話をしていて、「いつかこのワードを使ってみたい」とタイミングをはかっていました。「仏教系の言論」が集まるコミュニティを「仏壇」と称して、それが盛り上がれば面白いと特集タイトルに忍ばせたのですが、残念ながら全く普及せず今に至っています。
 それはそれとして、特集は充実したものになったと自負しています。ドイツ人禅僧のネルケ無方さんが住職を務める兵庫県・安泰寺のルポ、作家・高村薫さんと禅僧・南直哉さん、釈徹宗さんと中島岳志さんの対談、末木文美士さんと佐々木閑さんの論考に、酒井順子さんや井上章一さん、みうらじゅんさんのエッセイと、バラエティ豊かなラインナップになりました。

 当該号の発売予定日は、2011年4月4日。2010年の年末から準備を始め、幸い滞りなく進行したので、3月10日までにはすでに大方の入稿作業を終えることができました。
 そして、3月11日を迎えます。
 東日本大震災による混乱もありましたが、雑誌は予定通り発売。しかし校了直前に「編集後記」の書き直しを余儀なくされました。それをそのまま引用します。

 本号の校了をちょうど1週間後に控え、編集作業が佳境にさしかかった3月11日、東日本大震災が勃発しました。
 本号では、2005年冬号から6年ぶりに仏教を特集しました。なぜこのタイミングで再び仏教を取り上げようとしたかというと、本年が、法然上人800年、親鸞聖人750年の大遠忌を迎える、日本仏教にとって重要な節目となる年にあたると考えたからであります。そこであらためて、仏教と日本人の関係を問い直そう、それが当初の目的でありました。
 ところが現在、未曾有の天災が日本を襲い、多くの命が失われ、先の見えない不安に日本全体が怯える日々が続いています。「節目」というのは、はからずも、日本仏教だけの話ではなくなってしまいました。
 悠長に日本仏教のことだけを考えればよいという状況には、当然のことながらありません。しかしだからこそ、今一度、仏教は何を説いているのか、何ができるのかについて真剣に考えるべきときだと強く思います。
 奇しくも、特集に登場した複数の方が、1995年に起きた阪神大震災を契機に仏教の世界観に共鳴し、以降自らの思考に大きな影響を与えたと発言しています。ひとつだけ、対談に登場した作家・高村薫さんの発言をここに引きます。
「阪神大震災で世界が崩れ落ちた瞬間、私の中でそれまで考えていたような生きる意味とうものが崩壊しました。代わりに浮かんだのが、『無常』という実感。そこで初めて仏教について考え始めたのです」
 この驚くべきシンクロニシティ。ここに、このような状況の中で、仏教の特集をお届けする意義を感じざるを得ません。
 混乱が続く現在、物心両面の復興が望まれています。すでに被災地周辺にあるお寺が避難所として機能し、全国からお坊さんがボランティアとして現地に駆けつけているという情報もあります。今後仏教は、傷ついた心の復興にいかに寄与できるかが問われてくるでしょう。 
 仏教は2500年前の誕生以来、宗教として、哲学として、寄与してきた長い歴史があります。人が生きることの意味について考えてきた「智慧」が、仏教には蓄積されているはずです。
 日本仏教が底力を見せるのは今しかありません。今こそ、仏教の出番です。

 2011年3月11日に何をしていたか――。それぞれ鮮明に記憶していることかと思います。それが私の場合、「『考える人』で仏教特集の校了作業をしていた」なのですが、その意味を今でも重く受け止めています。

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