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「やったらやられる」の業

その結果には、すべて起因が在る。


起因無くして結果なし。


即ち、自分に起きているその結果は、どこかで当人がその起因となることをしているということだ。


これ、認めようと認めまいと真実。


多くの人間は、これに気付けないでいる。


なぜか?


救いようのない程に自我(エゴ)で凝り固まっているからだ。


加えて、今世以外の所業のことを忘れてしまっている。


巷には、どうにもならぬような可哀相、それは気の毒だという話があるが、これ本人の今世とは別の遥か長い永い人生の中で“何かをやっている”から、全てが気の毒だ、可哀相だということにはならないことも推して知るべし。


これ即ち人間の“業”。


従って、この世だけの思い、理解で事象を見詰めると、矛盾を感じることになる。


然し、これ全て天の計らい。


「やったらやられる」の業を、人間、どこかで解消をさせられる。


大概は、このことも含め、人間は出生前に承知をして(解決することを約束して)生まれてくる。


単一的、二元論的な捉え方しか出来ず、救いようのないエゴを着けたままの状態であれば、こうした実相の基本原則を学び知る機会も得られぬ。


己のその結果は、己自身に起因があることをここで受容し、すべて一から出直すべし。





そのことを肝に銘じ、自分自身の現在の在り様を今一度、鏡に写し、反省し、性根を入れ替え、前に進みます。





有難う御座います。


幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者