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還暦記者の新潟ほろ酔いコラム

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地方紙・新潟日報の60代女性記者が新潟のうまい酒と肴を巡る物語をお届けします。晩酌の相方は、わが家の「猫おかみ」。原則第2、第4金曜アップ。
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記事一覧

第22夜 「酒博士」坂口謹一郎の名言 63歳記者がお酒コラムを書きながら考えたこと

 〈世界の歴史をみても、古い文明は必ずうるわしい酒を持つ〉。応用微生物学の権威で、「酒博…

第21夜「ふかくこの生を愛すべし」會津八一と俳優・松村雄基さんのシャンソン

 新潟市出身の歌人、書家會津八一(あいづ・やいち)の誕生日は、8月1日。生まれたのは1881…

第20夜 わが愛しの相棒 ウイスキー・キャットと茶トラ猫福助

 「ウイスキー・キャット」をご存じだろうか。主に英国・スコットランド地方のウイスキー蒸留…

第19夜 南魚沼市の万盛庵再び 「大衆食堂の詩人」遠藤哲夫さんしのぶ女子会

 新潟県南魚沼市の坂戸山ふもとにある大衆食堂、万盛庵(まんせいあん)本店で、久しぶりに飲…

第17夜 生まれてきたことの奇跡 弥彦神社のおでんこんにゃく

 しょうゆ味がよく染みた三角形のおでんこんにゃく。新潟県・弥彦村にある「越後一宮」弥彦神…

第16夜 河井継之助の桜飯と越後長岡藩 司馬遼太郎さん『峠』を読む

 司馬遼太郎さんの長編小説『峠』を読むまで、桜飯(さくらめし)というのはタコの炊き込みご…

第15夜 楊逸さんと新潟のハルビン餐庁 環日本海ブームから30年

 中国生まれの芥川賞作家、楊逸(ヤン・イー)さんにお目にかかったことがある。「新潟県の新聞社に勤務しています」。そう自己紹介すると、楊さんの大きな目がぱっと輝いた。「新潟には、遊びに行ったことがあります。ハルビン料理のお店がありますよね」  ロシアに近い黒竜江省ハルビン市は、楊さんの出身地だ。日本に留学後、中国語教師などを経て、2008年に『時が滲(にじ)む朝』で芥川賞を受賞した。日本海に面する地方都市、新潟市は故郷と交流が深いと聞き、小旅行をしたのだとか。新潟駅近くの店でハ

第14夜 出張時の「リーズナブルでうまいお店」探訪術

 日が暮れていく。出張先の見知らぬ街で、どのようにしていい店(自分にとっての)を見つけ、…

第13夜 多和田葉子「地球に…」3部作と新潟・塩沢の雪中歌舞伎

 江戸時代の文人、鈴木牧之(すずき・ぼくし)が出版し、ベストセラーとなった『北越雪譜(ほ…

第12夜 坂口安吾の好物「おけさ飯」を作ってみた 新潟・料亭のだし茶漬けと裏ごし卵

 2月17日は、新潟市出身の作家、坂口安吾(1906~55)の命日「安吾忌」に当たる。安吾にまつ…

第11夜 1997年の日本シリーズ 涙の焼きそばとヤクルト「つば九郎米弁当」

 プロ野球セ・リーグの東京ヤクルトスワローズと、ものづくりのまち、新潟県燕市が交流してい…

第10夜 新潟の料亭・鍋茶屋「伝説の料理人」と田中角栄元首相

 インタビューをまとめた本を読んで、「この書き手は耳がいいなあ」と、感心させられることが…

第9夜 塩沢・牧之通りのラーメン 赤塚漫画「シェーッ!」の縁

 なじみだったラーメン店が閉店してしまった。新潟県南魚沼市のJR塩沢駅から徒歩5分ほど。…

第8夜 貴腐ワイン誕生す 大井一郎さんと上越・高田の雁木通り

 主として酒場で会う人がいる。酔いに任せて雑談を交わすと、話題も経験も豊富。どう見ても、ただ者ではない。豪雪地新潟県上越市のバーで時折、ご一緒した岩の原葡萄(ぶどう)園元社長、大井一郎さん(故人)はそんな人だった。  それは1990年代半ばのこと。私は、地方紙新潟日報の上越支社に勤務していた。大井さんは当時、60代後半。サントリー山梨ワイナリー=後に登美(とみ)の丘ワイナリー、山梨県甲斐市=の所長時代、日本で初めて貴腐(きふ)ワインの醸造に成功した人だ。岩の原葡萄園の社長を退