目の前で突然人が倒れたら

高齢化社会、人が倒れる場に出くわす確率も当然、増す。
誰もが他人事ではない。
以下は、事前の心構えがなってないとこうなる、という悪い見本です┐🙄┌反面教師にしてください。

高校生の頃、街中で前を歩いていた見知らぬ爺さんがいきなり仰向けに倒れたことがある。まるで透明人間に膝カックンでもされたかのようにもんどり打って、そのまま後頭部から地面に転倒。
目の前で人がリアルに倒れる場面に遭遇するのは、当時人生初で全くの想定外。一瞬何が起きたか分からず呆然としていると、傍を通り掛かった中年女性がササッと駆け寄り、介助し始めた。
都会の大手デパートの出入り口付近で、多くの人々が行き交う中での迅速かつ的確な行動。対して、ポカンと口を開けたまま突っ立った後、その場をソソクサと立ち去るのが精一杯な自分🙄。

暫くの間その出来事が頭を離れなかった。何故自分はあの時、何もできなかったのか。周囲に大勢いたので恥ずかしかった・目立ちたくなかった、という気持ちがあったのは否定できない。
あの女性にあって自分にないものは何だったのだろう。思いやり?判断力?行動力?日頃の心構え?心の余裕?他人の目を気にしない図太さ?介護者・介助者としての経験値?それともやはり愛・慈しみだろうか?
今度同じような状況になったら彼女のようにすぐさま行動が取れる人になろう、ウンソウシヨウ╭( ・ㅂ・)وデキタライイネ・・・と心にもない事を誓ったのだった。

ーそれから数十年。

自転車での昼食の帰り。見知らぬ若い女性が道路にしゃがみ、仰向けに寝転んでいる痩せたお爺さんをハンドタオルか何かでパタパタ仰いでいる。見慣れぬ光景だったので何事かと一瞬驚いたが、かなり暑い日だったので熱中症でも起こしたのだろうとすぐに察知。
2人を通り越して振り返ると、老爺を仰ぎつつも照れ笑いしている女性と一瞬目が合った。その目は明らかにこう語っていた。「てへへ。自分一人では心細いのでちょっとこっち来て貰えると助かるんですけど~てへへ」。
ところが僕は(あらまあ大変ですねぇ)と目で言いながら、軽く会釈をしてそのまま素通り。後から考えればすぐ近くに自販機もあったのだから、冷たいお茶缶でも買って手渡してあげるなり、或いは「熱中症っすか救急車呼びましょか日陰作りましょか」くらい声掛けするなりしてやれば良かったのだ。
さほど帰宅を急いでいた訳でもないのに、何故そのまま通り過ぎたのか。そこまでして面倒なことに巻き込まれたくなかったのか。
この時は周囲には誰もおらず、3人だけの世界だったのだから「目立つから恥ずかしい(/ω\*)」等という言訳は通用しない。
もしも周囲に爺さんだけが倒れていて女性がいなかったら、「自分がやらねば誰が」という使命感が上回っていたのは間違いない。だが、自分以外の誰かが既に介抱していると「わざわざワタクシ如きめが出しゃばらなくても」という御都合主義的な言訳が先立ってしまう。

結局、この件で判明したのは自分自身が「若い女性の訴えるような視線に答える男気すらない人間」だということ。
以前の経験がまるで生かされていない。結局は、愛がないのだ。

老人がその後どうなったのかは分からない。仮に僕が何もしなかったせいで彼が寿命を縮めたとしても、正直あまり罪悪感が湧かない。その裏には「所詮人間誰しもいつかは死ぬ。それが多少早まっただけ。あんな暑い日に不用意に出歩いた本人の自業自得」等々の考えがある。

僕自身もいつか、若者からそんな冷めた目で見られる日が来るのだろう。
それはそれで構わない。全うすべき寿命が来ただけだ。
その若者を責める気もない。
かつての自分だ。

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