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#059 猫舌じゃない人生を考える

「熱いうちに食べちゃって!」 というのはわたしにとっては脅し文句だ

いつからかもう思い出せない 気がついたらわたしは猫舌の人生を歩んでいた

ふと考えてみた もしも自分が猫舌じゃなかったら 猫舌じゃない人たちの世界は一体どんなものだろうと


猫舌じゃない友人は出されたコーヒーをすぐに持ち上げて口に運ぶ 飛行機のタッチアンドゴーみたいに 店員がテーブルに置くかいなか、軽く接地したところで彼女の手がまたカップを持ち上げるのだ わたしの世界ではあり得ないことだ 湯気は目の前の彼女の姿にフィルターをかけるほど立っているというのに

わたしの世界でコーヒーは着地をしたら次の離陸までは十分な時間をおく ふた付きの容器の場合は蓋を外して空気に触れさせる必要がある 湯気のフィルターをまとう危険な行為は間違ってもおかさない

もしも猫舌じゃなかったら わたしもタッチアンドゴーで口に運び 友人の前で自分に湯気のフィルターをかけることができるのだろうか


猫舌の大敵といえば たこ焼きや小籠包だ ひとたびその表面に歯が当たれば飛び出す熱 一瞬で舌の感覚を麻痺させる だからこれらは口に運ぶ前に必ず穴を開けておく 小籠包の場合はあまり長く置いておくと皮が乾いてしまうのでタイミングは特に重要だ レンゲの上でスープを出して 酢醤油に漬けた生姜を上に乗せる これでもかというくらい息を吹きかけて温度を下げたら やっと口に運ぶ たこ焼きは可能な限り半分に割ってから食べる 

だけど もしも猫舌じゃなかったら 迷いなく丸々すくい上げ一口でハフハフ言わせて食べるんだろう 口から白い湯気をこぼしながら 漫画のようにメガネを真っ白にすることだってできるはず 


ラーメンはどうか 幼い頃はふにゃふにゃで良く味のしみたラーメンを食べていた それが「伸びている」と呼ばれる状態で一般的には美味しくないと思われていると知ったのはおそらく中学生くらいだったと思う

わたしはラーメンが好きだったからこれが美味しくないというなら「伸びていない」ラーメンとはいかほど美味しいものなのだろうと思っていた 大人になって少しづつ麺の硬さは増していった 伸び切るまで待つということは今は無くなったけど人一倍フーフーしている自信はある 
お店によっては麺の硬さを指定できる これがとてもありがたい 針金のような硬さのものを注文しておけば少し待っても伸び切るなんてことはないからだ

大人になって伸び切ったラーメンを食べたのは娘がまだ幼い頃である 子育て中寝ている隙にラーメンでも なんて思うのは間違いだ ちょうど出来上がった頃に泣き出すのが子供なのだ 冷めて伸び切ったラーメン 汁は一滴残らず麺に吸われたあのラーメンは 切なく悲しい味がした これをまずいというのはまた違うような気がしている


猫舌でない人でも熱いものを熱いと感じるのは当然なのだろうが なぜかわたしはその刺激を楽しむことができないタイプらしい 辛いものも同じで一度辛いと思えば本来の味に集中できなくなってしまうのだ 熱い辛いという痛覚が人より敏感にできているらしいということはなんとなくわかるのだが 食べ方が下手なせいだと言われることもある 
食べ方なんて箸の持ち方みたいに誰かが教えてくれるわけでもないし そんなふうにして簡単に矯正できるものではない なりたくて猫舌になったわけじゃないのに食べ方が下手と言われるとちょっと落ち込む

矯正する方法もあるのだろうが習うより慣れた方がいい

猫舌じゃない人生に憧れながら 今日もコーヒーの湯気を眺めている



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