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雨のち晴れ〜第一章〜

今現在、私は幸せ。
可愛い3人の子供と、愛らしい2匹の犬との
生活は 本当に幸せ。
これからの未来も 必ず幸せだと確信している。

こう思えるようになるには、かなりの年月が
かかった。
今となれば、たんなる思い出話。
でも、その当時は暗く冷たく 先が見えない
恐怖の世界で負けることも出来ず、勝つことも出来ず、苦しく過ごしていた。
自分の頭の中を整理する為に、真っ暗な部分を
手放す為に、書き起こそうと思い立った。

これまでの私の人生は、大きく分けると
四つに分かれる。
幼少期から高校卒業まで、18歳から37歳まで、38歳から44歳まで、44歳から現在。
まずは幼少期からの、第一章から手放していこう。

一級建築士の父と専業主婦の母、3つ年上の姉、そして母とは全然似ていない美人の祖母と5人で暮らしていた。
羽振りがいい時代だった事もあり、父には
愛人が5人いた。
そして母は父と付き合う前の彼氏、いわゆる
元カレと結婚後も交際を続けていた。
父は仕事で、母は元カレと会うため留守がちだった。
幼い私と姉の お世話は祖母がしてくれていたので、私たち姉妹は生粋の おばあちゃん子になった。
私が3歳の頃に、両親は離婚した。
父が愛人の1人と 遠方へ引っ越した。
母は行先も言わず、幼い姉妹を残して忽然と
姿を消した。
のちに、元カレの家に転がり込んでいた事が分かった。
数ヶ月もの間、私と姉は祖母と生活をしていたらしい。
その後、母と元カレと私たち姉妹の4人での
生活が始まった。
祖母は母の元カレが大嫌いだったようで、
ひとり暮らしを始めた。

母と元カレは、夜な夜な2人で出掛けていたと
姉から聞いた。
夜10時過ぎに2人で そそくさと出ていく。
小学1年生の姉は不安で大泣きしながら
『おじさんと わたし、どっちが好きなの』と母にしがみついていたと聞いた。
しがみついてる我が子を払い除け、
『おじさんに 決まってるだろーが!』と吐き捨てドアを 思い切り閉めて出ていく母。
傍らで 何も知らずに寝息をたててる幼い妹。
姉は 寂しくて寂しくて、泣いて泣いて泣き疲れて眠っていたと聞いた。

母の元カレは、暴力を振るう人だった。
一緒に住み始めて少し経った頃から、私と姉を拳で殴る様になった。
例えば、姉が 友達と電話で話をしていると、
ワザとテレビのボリュームを下げて『うるせぇっ!テレビが聞こえねぇだろっ!!電話切れっ!!』と言う。
姉が電話の向こうの友達に『うるさいって言われたから切るね…』と伝えた途端、
『てめぇっ、誰に向かって そんな口聞いてんだ!!』と立ち上がり姉の額をパンチ。
姉は後ろの窓に後頭部をぶつけて、跳ね返ってきたところをまたパンチされる。
数回繰り返され姉は床に倒れ、その姉に母の元カレは馬乗りになり『次、殴ったらカタワになるぞ』と言い、更に殴っていた。(カタワ→半身不随や身体障害がある状態の事を指す差別用語)
姉が殴られている時、私は怖くて泣きながら
座布団を頭から被って震えて時間が過ぎるのを
ただひたすら待った。
私の場合の例もひとつ、
外で遊んでいたら急に母の元カレから呼ばれ、タバコを買ってこいと言われた。
『お釣り、くれるなら行く』と伝えたら、突然思いっきり腹部にパンチをしてきた。
苦しくて前に屈んだら、お次は振りかぶって
コメカミにパンチ。
目の前に火花が散ったのを よく覚えている。
茶の間に連れて行かれ 何時間も正座させられ
暴言を浴びせられた。
私も姉も、殴られ過ぎて頭がクラクラになり
脳波を調べに行ったこともある。
その時、母は問診票に《転倒して打撲をした》と書いていた。

母は子供がキライな人で、のちに私に
『どう接したらいいのか全く分からなかったし、可愛いとも思わない』と言った。
私が4歳頃に、数日間高熱が続いた時も面倒くさいという理由で病院に連れて行かなかった。
母の元カレが さすがにヤバいと感じ、
夜中に救急外来へ行ったら肺炎になっていて
『あと少し遅かったら大変な事になっていた。どうして こんなになるまで受診しなかったんだ』と医者に怒られたと のちに笑って話された。
それもあり、私は幼少期 気管支が弱くよく風邪をひく子だった。
咳き込んで吐く事が多かったが、吐く度に
母から『てめぇっ、なにしてやがる!自分で片付けろっ!!』と怒鳴られていたことを 今でも鮮明に思い出す。
熱があっても、横になると怒鳴りつけられるので つらくても起きて いつも通りに過ごさなければならなかった。

そんな私たち姉妹の唯一そのままの自分で居られる場所は、祖母の家だった。
私たちが住んでいたアパートから公共交通機関を使って約1時間の所に住んでいた祖母。
母や母の元カレと居たくなくて、週末は姉と2人で祖母の家に避難していた。
祖母は とても働き者で、アパートの管理人をやりつつ、早朝と夕方も別の仕事をしていた。
そして週1の休みを使って、プールや動物園や遊園地に連れて行ってくれた。
祖母の家から帰る時、私はいつも泣いていた。
自分が寂しいというよりも、なぜか祖母が寂しそうだったからだ。

そんな生活を続けて、ある時 姉は統合失調症を発症した。
奇声を発しながら土砂降りの中を裸足で歩いて徘徊したり、母の財布からクレジットカードを盗んで1日で限度額満杯まで買い物をしたり、母、母の元カレ、私の財布や口座から お金を盗んだり、支離滅裂な話ばかりしたりと奇行が始まった。
母や母の元カレ(以下、内縁の夫)は、そんな姉を見て気持ち悪がり 姉を怒ることもしなくなった。
私はというと、中学2年生の頃に母の内縁の夫に やり返すことが出来た。
いつも通りに殴りかかってきたヤツの両腕を掴み、そのまま勢いをつけて壁にヤツごと投げつけてやった。
『いつまでも 思い通りになると思うなよ!』と言う言葉も添えてやった。
その日から、私への虐待は無くなった。
母の内縁の夫の事を つくづく弱い人間だと感じた。
私は高校卒業と同時に家を出た。

第二章に続く

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