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【掌編小説】休日

 11月の木曜日の休日
 新宿のイソップはどれもこれも違って、中央線で東京駅まで行った。ハンドクリームを買っただけの休日に思ったこと―― 
 朝7時半に起きて、9時45分くらいに家を出た。この秋の空よりも私の心の方が広いと思う。ただ広いだけで優しさはなく、空きテナントのようなスペースが果てしなく続いている。それに対する感想は今日もない。この空白感を希望だと感じ始めている自分に気づく時、私は誰よりも軽快に歩いていると思う。KITTEの通路を歩く時、足音は一人分。誰と出会って誰と手をつないでも子供を産んで孫が何人いても私は自分でハンドクリームを買いに行きたい。
 自分の人生の中に自分しかいないはずがないと知りながら、他人と分離している心地よさ。電車で乗り合わせた全ての人間。結局、この世界には自分と「その他」しか存在せず、支えられていないと思って良い。君たちはじゃがいも、子犬、トマト、アフリカンショートヘア。なんでもいいけど、君たちは石ころだ。とひそかに認識して何が悪い。子供が欲しいという感情もない。悲しいとも思わない。むしろちょっと楽しい。ずっと静かな時間を調整できる。昨日洗って乾いたお茶碗を見ているだけでいい。果てしのない充実。
 最近、誰かに自分を説明する必要がなくなってきた。楽だ。生きるのが楽で仕方がない。
 女に生まれたから女の格好をして女が考えそうなことをとりあえず考えているだけで、男に生まれていたらその逆の状況を受け入れていただろうと思うし、親の世代に自分が生まれていたら多分親みたいなことを言っていただろう。ただ、私は偶然に転がされている訳でもない。主体的に電車に乗ることができる。一人で眠れる。異性を憎んだりしない。
 全てが白々しいミッドタウン八重洲も嫌いじゃない。店員に会釈だけして立ち去るようなことはしない。全てを愛しているようで、丁度良い距離をすぐに見つけて、出たり入ったりしている。それは陳腐ではない。何も憎まずに生きることができる人間が陳腐であるはずがない。




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