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行き交う人々

時と場所を選ばず、しょっちゅう考えてしまうことがある。


「今ここにいる人たちは何を考えているんだろう」
「これからどこに行くんだろう」
「何を大事にして生きているんだろう」


例えば、バスが来るのを待っている誰か。馴染みの喫茶店に居合わせた誰か。ただ道ですれ違った誰か。
他人から見られるのは気分が良くないだろうと思いながら、気取られないように、周りの人の服装や視線、姿勢などを見てしまう。


――この人たちは、これまでどんな人生を歩んできて、これからどうして生きて行くのか。


どうでもいいか、とすぐ目を移してしまうこともあれば、まるで釘付けになってしまい、気になって仕方がなくなることもある。だけど、どちらにせよその人に直接干渉することなど、まず無い。


私とそこに居合わせ、すれ違い、過ぎ去った人々との間には、もしかしたら何か接点があるかも知れない。この先の人生で、また出会うことがあるかも。実は同じ趣味があったり、いま読み進めている本が同じだったりするのかも。


私自身は、昔から人混みが大嫌いだったけど、この数年で自他の区別をつけること、世の中には様々な考え方をもった人がいるということを理解すること、いわば「よそはよそ、うちはうち」を精神衛生のために心の隅に置くことができるようになった。


行き交う人々の顔など次の日になれば忘れてしまうけど、
その日に道を訊かれて案内をしたあの人は無事に目的地に行けただろうか、とか
ふらっと寄ったカフェの店員さんの丁寧な対応が良かったな、とか
微かにでも心の揺れ動いた瞬間のことは、不思議とおぼろげに思い出せる。
数日経ったとしても、日記を見返せば浮んでくる。


国木田独歩の「忘れえぬ人々」ではないけれど、
そういうちょっとした出来事が、いずれは色んな出会いを連れてくるのだろうなと思う。

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これを書き起こした時は少し落ち込んでいたが、数日経って再び書き進めてみると、意外にも前向きな綴じ方になった。良いことだ。

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