機能不全家族からの脱却

昨年両親を亡くした。
6月に母親、11月に父親と相次いで亡くなった。
母親が亡くなった時、悲しみや怒りも何の感情もわかなかった。
ああ死んだんだな。それだけ。今でもその感情は変わっていない。

11月に父親が死んだ時には、父親とのの決着をつけるため
弁護士を依頼して母の遺産を巡って争うつもりでいた。
それがいきなり亡くなったので、肩透かしを食らったような感がした。

両親はある意味今で言う毒親だったと思う。
父は毎日のように母に暴力をふるっていた。
母親は私に対しては過剰な過干渉とネグレクトの繰り返し、
まるで自分のお人形さんのような扱いであった。

中学生の頃から私は父が母に暴力を振るうと
身を挺して母を守るため父を投げ飛ばしていた。
肉体的な力の差はあってもそれでも父は恐怖だった。
その気持ちは今でもぬぐいきれていない。

私は幼少期の記憶が全くと言っていいほどない。
父親に踏切で置いていかれ待ってよと泣き叫んでいたこと。
自分の大事にしていた漫画の本を家の外に投げ捨てられたこと。
母親の命令で電車の席取りもさせられていた。
嫌な思い出しか残っていない。

成長してからも進路や就職すべて親のレールどおり敷かれてきた。
小さい時も友達まで選別されていた。
何から何まで親の言う通りでいなくてはならなかった。
親の前ではいつも良い子、外ではその反動で悪ぶっていた。
アダルトチルドレンのヒーローを演じていたのだろう。

就職後、家を建て替えるという理由で
勝手にお金を借りられていた。
職場の厚生担当から電話がかかってきて初めて知った。
担当者も困っていたみたいで、やむをえず了解した。
母親は、幼稚園の送迎バスに勝手に乗って
足代わりにしたり(幼稚園から苦情があって、母親の分もバス代を払う羽目になった)、
無銭飲食まがいのことをして
妻に代金を支払うよう呼びつけたりと
やりたい放題のことをしていた。

母は近所で焼身自殺があった際にビールを買い友達を誘って見学にいったり
常人では考えられない行動をしていた。
ひょっとしたらサイコパスだったのかもしれない。

父親からは、土下座させられたり、
自己破産して、ガスが止まり、
お金を貸してくれと頼みに行ったとき(勝手に借金された分を返してと言ったのだが)、
「千円でも貸さない、お前なんか死んでもかまわない」と言われ、
警察まで呼ばれた時は、
俺は子供ではなかったのかと悲しみで泣き崩れた。
心の中がぽっかり穴が開いたようだった。
憎い親でもまだ好かれたいという気持ちが残っていたんだなと。

親に対する恨みつらみは書ききれないほどあるが、
今一番怖いのは、
自分自身が父と同じように妻や家族に虐待をしていたことに気がついたことだった。
いつしか一番嫌悪していた親のようになっていたことだった。
親から押し付けられてきた価値観を妻や子供たちにも押し付け、
親に対する憎しみを妻に八つ当たりしていた。

虐待の連鎖が続く機能不全家族とはまさに我が家だった。
これを打破するには、親をきちんと憎むこと、
憎み続けることによって憎しみが昇華され、毒親から脱却できます。
今続けているのは、カウンセラーさんから教わったことで
毎日、鏡を見て両親に対する恨みつらみを思い出し
両親への憎しみを声に出して叩き割っています。
1日10枚半年間といわれていますが。

毒親に苦しんでいる人ためしてみませんか。

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