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【個人的な感想】SNSでのとある騒動を見て感じた事

皆さん、こんにちは。かんおさです。

お久しぶりの記事なのですが、今回も、こんな辺境に寄って下さった皆さん、ありがとうございます。

まず初めに、今回は、いつもここを見て下さる皆様にとっては、もしかしたら共感を得難い内容かもしれません。
なので、あまり無理せずに嫌だと思ったら回れ右してくださいね。

と言いますのも、今回の内容は、いつも以上にチラシの裏レベルのどうでも良い話となるからです。

先日、Twitter上で見かけたとある事例について、ちょっと思う所があったので、私の感想をまとめておく記事となります。

皆様は、『暇空茜』氏と、『東野篤子』氏のやり取りの騒動をご存じでしょうか?
知らない方は、知らないままでも良い気がしますので、回れ右をしていいと思います。

仮に知っていて、モヤっとしたままの方がいましたら、もしかしたら、一つの視点を提示できるかもしれません。

なお暇空茜氏に関して、私としては例の件もあり色々と思う所があって、陰ながら応援しております。
既にご承知の方も多いと思いますし、その辺りは語り始めると別に記事を書かなければならなくなるので今回は割愛しますが、まぁ、その辺りも含めてちょっと感じているところを、つらつらと書きなぐっておきたいと思います。

『暇空茜』氏 VS 『東野篤子』氏 これはSNSの不幸な出会い

私が最初にこの状況を認識したのは、例の『メス呼ばわり』なるトレンドが流れて来たからでした。
なんのこっちゃ? と思ってみてみると、まぁ何だか、きな臭い発言を『暇空茜』氏が連発していたので、ますます、「???」となりまして。

初期で感じたことは2つです。
『暇空茜』氏が妙に突っかかっているなーと感じた事。
『東野篤子』氏の言動が何か気持ち悪いと感じた事。

ただ、そこの辺りの詳しいやり取りは、今回の私が書きたい事の趣旨ではないので省きます。

気になる方は、こちらに一連の流れがまとまっていますので、どうぞ。

まぁ、やっぱり何だかなーと言う感じです。はい。

これを読んで多分ですけど、多くの方は、『暇空茜』氏に反発心を持つんじゃないかなぁと思います。
メス呼ばわりは確かにインパクトありますし、いい言葉では無いですからね。

ただ、一つだけ私が書かねばならないと思っていることは、この『暇空茜』氏は通常運転ですし、これがこの方のムーブと言うか素と言いますか、そういうものなので、私としては、『東野篤子』氏もこんな事で何をいちいち突っかかっているのやら?と感じた次第です。

こう書きますと「お前はそんな事を言う奴の味方なのか!?」とか、「メス呼ばわりとは何事か!」という話をする方が出てくると思うので、前もって言っておきます。

まず私は『暇空茜』氏に対して、一定の共感と、もう少し抑えて上手くやれば良いのにねーと言う、相反する気持ちを同時に持っています。

メス呼ばわりは確かに普通はしませんわ。
私もしませんし、一般社会においては、間違いなく無礼千万な物言いです。
いや、SNS上でも無礼な言い方なのは間違いないので、ここは上手く濁しておけばよかったのになーとは思わんでもないです。
無いですが、私の感覚では、SNS上でのこの手の発言を自分の感性でそのまま受け取る方にも問題があると思います。

私のこの記事も、実は『暇空茜』氏の発言と立ち位置が同じなのですが、あの方が呟いたのはあくまで感想なんですよ。
届けたいというよりは、そのまま思ったことを素直に書いちゃったんですよね。
いつも勝手に自分の好き嫌いを語ってる方なので、その一環でしょうね。

そして、SNSにおいて、特に批判的な感想を馬鹿真面目に受け取る事ほど無駄な事はありません。
これはSNSを長くやられている、特に創作活動を行う皆様ならお分かりかと思うのですが、どうやったって不満はどこからか出るんですよ。
何をどうしたってどんなに素晴らしい事を語っても、一定数の不平不満は必ず出ます。

そしてその手のお話に尽きましては、手前味噌で恐縮ですが、創作活動の在り方として過去に記事にしております。

なので、馬鹿正直に「今、悪口言ったよね!? 何で!? 何で!」ってなるのは、高確率で不毛なバトルに発展する引き金を引くことになりかねません。
そういう事例もあって、SNSで長く活動されている方の多くは、自然とその手の発言には不用意に突っ込まないはず、なんですが……と言うのが私から見ての状況になります。

私からすると、お偉い?教授様が、この程度の事を何でそこまで執拗に気にするのかが分からないというのが本音です。
確かに『暇空茜』氏の言葉尻は良くありませんでしたが、ちょっと周りに煽られて必要以上に感情的になってませんか?と言う印象が拭えませんでした。

また、私は『暇空茜』氏に『一定の共感』を持っていると書きました。
これは、恐らく色んな要素が割と重なっていて、そうなっている部分があります。
ただこの部分が割と曲者でして、これ、多分今回もそうですけど、普通の人の感性だとダメなんですよね。
具体的に言えば、ある程度、論理的な考え方ができる方で、且つ、一般的な価値観に重きを置かず自分をしっかりと持っているうえに、一回でも死線を隣に置いて生き残った人です。

あえて凄く不謹慎な言い方をしてしまうと、社会的に迷惑をかけようとしない無敵な人と言うカテゴリーに入ると私は思っています。
なので恐らく『暇空茜』氏に共感できる人は、ある意味で、普通じゃない人ですよ。
私も自分はあまり普通では無いと思っていますが、彼ほどではありません。

その辺りは、『暇空茜』氏の自叙伝を読んでみると、割とすんなり受け入れられるかもしれませんね。

何というか、凄まじい人生を送ってきているな……と言う感想しかありません。
そして年代も割と近い事と、価値観や考え方の方向性も似ていることから、何となく感性が近しいとも思っています。

あ、ただ上げておいてあえて落とす事を言いますが、『暇空茜』氏の言動全てが良いものだとは思ってません。また、やり方もかなり強引なのでそこは穏便な手が取れたらいいのになぁと思わんでもないです。
後は成功者と言う一面もあるので、その辺りが肥大化して前に出てくることがあり、逆に自分の事を敗北者だと思っている私としては、見ていて居たたまれない気持ちになることも多いです。

また、今回の話も、とりあえず「ちょっと言葉が汚かったね、ごめんね」位を嘘でも良いから言っておければ簡単に収まったんじゃないかなぁとか思っちゃいます。
ですが一方で、『暇空茜』氏にそれは無理だろうなとも思ってます。

まぁ、この辺りは全部、私の中での話なので『暇空茜』氏が悪いとかそういう話では無いです。あくまで私の中で生まれる感情をそのまま書いたにすぎません。本当に価値のない私の感想文ですので。

話を戻しますが、そんな状況なので、だからこそ、今回の件を語った『暇空茜』氏の以下の記事を読んだときに、私の中にあったとある疑問が氷解しました。

ああ、なるほどね。だから私は、『東野篤子』氏の言動を気持ち悪いと感じたんだなと。

私が『東野篤子』氏の発言から感じた事

そもそもの話、この騒動(?)の発端なのですが、それは『暇空茜』氏が以下のツイートに対して「メスになった青識」と呟いた事から始まってます。

一見すると、とても良い事を言っているように見えるツイートです。
多分、殆どの方はこのツイートに共感するのではないでしょうか?
ですが、私は最初、このツイートを見たときに素直に「気持ち悪い」と感じました

で、何でそう思ったのか私は言語化できなかったんですけど、先ほどの『暇空茜』氏の記事を読んで腑に落ちました。

議論という言葉の持つイメージが、恐らく私や『暇空茜』氏と『東野篤子』氏で全く嚙み合って無いのだと思い至ったのです。

ぎ‐ろん【議論】
読み方:ぎろん

[名](スル)互いの意見を述べて論じ合うこと。また、その内容。「―を戦わす」「―を尽くす」「仲間と―する」

Wrblio国語辞典より

皆さん、議論をすることは、良い事ですか?
きっと良い事なのでしょう。できるなら私もした方がいいと思います。

では、議論をしましょう!

そう聞いた時に、皆さんは、どう思われますか?
ここに凄く致命的な落とし穴がある事を、皆さんは感じ取れませんか?

私はこの言葉を聞いたとき、凄くモヤっとします。

人類皆兄弟!と、地球の上で手を繋いでいる子供達の絵を見た時とか、
恵まれない可哀想な子達に救いの手をと、募金を呼びかけられた時とか、
一見するととても美談であるはずなのに、心の底からは共感できない、そんな感じです。

多分それは、私がひねくれ者な一面もあるからだと思いますが、そういう面を持つ人が一定数いないといけないとも思っています。

この表現の根底にあるのは、全ての人間は分かり合えるという善性を信じる構図です。

うーむ、実に希望に満ちた考え方です。私も、一昔前まではそっち側でした。
しかし、今や立派なひねくれ者の私や、多分『暇空茜』氏も同じなんだと思いますが……どうもこの手のキラキラした話を聞くと、疑う癖がついてしまいました。

そして実際に私は、対話が成り立たない人がいるという現実問題があると知っています。
そして、それは『東野篤子』氏も同じはずです。
だって、今回の事で、最終的には対話(?)を放り投げたのですから。

でも『東野篤子』氏は、題目こそは違いますが「議論をすべきだ」と主張してます。

でも、意見を固持している人との間の議論は、果たして有意義なものになり得るでしょうか?
勿論、何かしら得るものがある場合もあるのですが、先ほども書いた通り、世の中には思っていることを曲げないどころか、意に従わせようとする人までいます。
この場合に議論したとして、それは何の意味があるのでしょうか?
議論とはお互いの意見を受け入れる土壌が無いと成立しないものです。
なので対話が成立しない人同士とは、そもそも議論できないのです。
この事実を知ったうえでなお議論しようというのであれば、それは逆に「皆に自分の意見を浸透させて従わせようとしている」とみられても仕方ないのでは?と私は思います。

もう一つ気になるのは、私が議論と言うものを考えるとき、それは「する」ものではなく「おこる」ものであると思っています。
つまり、そもそも、議論をどうしてもしたいなら、自分で動いて勝手に起こしてみればいいのですよ。
しかし『東野篤子』氏のこの意見は、「しなければならない」→「誰かやって&一緒にやろう」って見えるんです。
これは道筋だけを見れば『暇空茜』氏の大嫌いなあの氏と同じ構図で、議論と言うものだけを起こして、それで自分の意見へと誘導し満足するタイプに見えます。

ですから、そもそもの話として議論に固執すること自体が、とても怪しく見えてしまう訳ですね。

本来、議論は後からそれが議論になったと感じる位で良いと私は思っています。議論を起こすために動くというよりは、問題とその解決策を模索する過程に議論が生まれるという感じです。
『東野篤子』氏は、問題解決の手段として議論が必要だ!と思っているように見えるのですが、本質は逆で、問題提起とその解決策の模索の過程に議論が生まれるので、まずはただ問題と解決策をセットで提起すれば良いんです。
議論の場を設ければ問題解決が模索できると言っているように聞こえることから、そもそも価値観がずれていると言わざるを得ません。

この何とも言えないちぐはぐ感が、恐らく『暇空茜』氏の逆鱗に触れたんだろうなぁと私は感じました。

私も正直、最初はそこまではわからずとも、最初『東野篤子』氏の言ってることが、本当に気持ち悪く感じました。

今なら、何でそう思ったかは明白です。
議論する事が目的になっていると感じたからです。
そしてそれを周りに求めているからです。

議論をしたけりゃ、先ほども書いた通り、種を仕掛けておけばいいんですよ。

問題はこれです。解決策はこれが考えられます。皆さんいかがでしょうか?

そこに共感と必要性があれば、議論が巻き起こります。
ちなみに、このスタートとゴールが用意されていない議題は議論になり得ません。
意見がぶつかり合って問題で問題を叩く泥仕合になって終了するオチしか見えんのです。
それも一つの議論の形ではあるのでしょうが、私から見ると、そもそも答えだけ欲しがっているように見えますし、フェアじゃないですね。
何より、道筋の無い話合いなんて、効率的では無いですし。

しかし実際に『東野篤子』氏が言うには、議論が必要です! 議論しましょう! となってしまう事に、私はちょっと気持ち悪さを覚える形になっている訳です。

また、先ほどのツイートと対を成すように、こういう意見もありました。

私は、こちらの方がすんなりと胸に落ちるわけなんですが、これは私がひねくれているのか何なのか……。

と、ここまで書きましたが、実際は私は『東野篤子』氏の事を何も知らないので、あくまでこれは、先に述べたツイッターの文から感じたことをつらつらと書いただけです。

つまり、初期の『暇空茜』氏と同じような立場で素直な感想を述べたという事ですね。

もしかしたら、私が書いたような事は、本当は全然なくて、凄く良い施策をお持ちの学者様なのかもしれません。
なので本来であれば、もう少し色々と調べて発言した方が良いのかもしれませんが、あくまで最初の一文から感じた事を文章化して、この記事を書いていることと、今回の記事の趣旨にそれら(『東野篤子』氏の本心や活動の実態)は必要ないので、省略しました。

分かり合えない者が出会った一つの例

もうどこぞの機動戦士の様なオチとなりましたが、私としてはそういう風に思いました。

私としては、思考の方向性としてはこんな感じなんじゃないかなぁと思ってます。
あくまで私の主観ベースで語っておりますが、当たらずとも遠からずではないかなと。

恐らく、真面目で社会通念を大事にされる方程、今回の件は、意味わからんってなるでしょうし、『暇空茜』氏って酷い!ってなると思います。

私から見ると、もっと単純で、価値観の全く異なる2人が出会っちゃって、意図せずこじれたという感じに見えますね。

多分、どちらかが適当に引けばここまでの事にはならなかったのでしょうが、出会ってはいけない者同士なので、致し方ないですね。
『暇空茜』氏は多分、さっさと忘れて次の事をしているでしょうし、そうなると真面目な『東野篤子』氏が、ムキーってなってそうです。

ちょっと可哀想だなぁと思わんでもないですが、つらつらと述べた通り、私もあまり良い印象を持っていないので、こんな感じに落ち着きました。

この記事も『東野篤子』氏から見ると、誹謗中傷になってしまうのでしょうかね。

私はヨワヨワなメンタルなので、もし変なのが来たら速攻で逃げます、はい。
ただ、辺境だし多分、そんな人は来ないだろうとも思って書いてます。

でももしかしたら、同じようにモヤっとしていて自分の心の落としどころを探している人もいらっしゃるかもと思って、数少ない同志に向けてこの記事を残しておくことにしました。

と言う感じで、とりあえず書きたい事を書き並べたら、酷い文章になりました。
これ、需要あるのかな? 無いだろうなぁ……。

何となく、リスクの方が高い気がしないでもないのですが、どこかの誰かの足しになればと願って一応、置いておきます。

あ、もし凄く助かった!と言う人は、投げ銭してくれていいのよ?(唐突なタカリ)

頂いたパワーは、全て食費に消えます、はい。

と言う訳で、お読みいただき、ありがとうございました。
次回の記事はもう少しちゃんとしたの書きます。多分。

こんにちは! 世界の底辺で、何とか這いつくばって生きているアラフォーのおっさんです。 お金も無いし、健康な体も無いけど、案外楽しく生きてます。 そんなおっさんの戯言を読んでくれてありがとうございます。