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成長 (4年 多田雅樹)


みなさん、こんにちは。
今日の引退ブログを担当する多田雅樹です。

大阪府出身で、大阪学芸中等教育学校という来年で廃校になる無名校出身です。
拙い文章ですが、良ければ読んで下さい。

僕は、入学してから4年間、鹿児島県の社会人1部リーグに所属するNIFS 2ndという鹿屋体育大学では1番下のチームでプレーしました。僕の出身校は先ほど書いた通り無名校で、中高一貫の6年間、部員数は多くて20人ほどで指導者もいない、試合も年に数回。鹿屋体育大学に入学するような学校ではない高校でした。サッカーのことは何もわからず、環境の整った学校でただサッカーがしたい、その一心で入学しました。そんな状態で入学したので入学してからはたくさん苦労しました。

まず、1年生の時は、コロナ禍ということもあり、新入生だけでの練習。その中でも自分と周りの実力の差を思い知らされ、4年間ここでサッカーをやっていけるのかという不安が一番大きかった。そんなまま上級生との練習に参加し、さらに実力の差を感じました。

「本当にこの大学に入って良かったのか」と思うことが多々ありました。

しかし、「まだ1年生、ここから成長しよう」と自分のことに必死で試合にもほとんど絡むことはなく、あっという間にシーズンは終了。

「挫折」
そして、2年生になり、シーズンが始まって自分のポジションであるセンターバックが少ないということもあり、1年生の頃より試合に出たり、ベンチに入ったりと、試合に絡む機会は増えた。可愛い可愛い後輩も入学してきて、充実したサッカー人生でした。しかし、ここで1年生の頃に負った怪我が悪化し、手術をしなければならなくなりました。手術をすればさらに練習ができない日々が続く、そう思い悩んだ末に、2021年9月27日手術をしました。実家で家族の支えのもと療養を行ない、12月頃に鹿児島に帰ってきました。大阪でいる時には実感がなかったけれど、いざ鹿児島に帰ってきてから、みんなが練習しているのをグラウンドの隅でリハビリをしながら見ていると、その間にみんなは上手くなっている、そう感じて、サッカー人生で初めての挫折を経験しました。焦っても仕方がない。来シーズンには復帰したい一心でリハビリを続け、シーズンが始まる前の3月の遠征で復帰し、間に合わせることができた。

そして、上級生である3年生になり、副キャプテンになった。怪我明けということもあってか、そう簡単にはチームの主力として復帰することはできなかった。後輩にポジションを奪われ、試合ではベンチでいることの方が多かった。振り返ればキャプテンの平石の支えになっていたかと思えば、何もできていなかった。同期や後輩が主力として試合で活躍している姿をみたり、練習での頑張りが評価されなかったときは何度もサッカーを辞めようと思った。でも、ここまでサッカーを続けてきてこんな中途半端でサッカーを辞めると、絶対に後悔する、ここまでサッカーを続けさせてもらった家族にも申し訳ないと思い、もう一度サッカーと向き合い、誰よりも練習を頑張り、足りないところは練習後の自主練習で補った。しかし、シーズン中には思うようにいかず、そのままシーズンは終了。ここまで3年間、どの学年でもチームの主力としてコンスタントに試合に出ることはできなかった。2年、3年生では選手として思うようなシーズンではなかった。

「最後の1年」
そして、迎えた最終学年。泣いても笑っても最後の1年ということで今までのどの学年よりも気合を入れてシーズンを迎えた。最高学年としてチームを引っ張っていかなければならない、常に後輩の手本となるようなプレーをしないといけない、そう感じながら過ごした一年。特別上手というわけではなく、後輩の手本となるようなプレーができていたかと言われれば、そうは思わないが、練習に対する姿勢だけは誰よりもこだわった。常に全力で練習する、遅刻しない、声を出す、誰でもできる簡単なことを毎日の練習で続けた。そして迎えた引退試合。その日はあっという間でした。悔いが残らないように最後まで全力で走った。先制はしたものの最後ワンプレーで失点してしまい、引き分けで最後の試合が終わった。とても悔しかったが、試合が終わった時は悔しさよりも4年間やり切ったという達成感が上回っていた。4年間やり切った、もうこのメンバーでサッカーはできない、いろんな感情が入り混じってベンチに戻った時、涙を堪えきれずに号泣してしまった。

「感謝」
試合が終わった後、泣いている自分に感謝を伝えに駆け寄ってくる後輩、4年間苦楽をともにした同期をみると、さらに涙が溢れた。こんな僕を「雅樹さん、雅樹さん」と慕ってくれ、自分の引退に涙してくれる。みんな可愛い可愛い大切な後輩。ありがとう。そして4年間サッカーでも、サッカー外でもお世話になった同期、みんながいたからここまで頑張れた。ありがとう。卒業しても、仲良くしてや。他にも、僕の大学サッカーにおいて感謝しなければならない人はたくさんいる。まずは、4年間監督として指導していただいた高井先生です。4年間でたくさん、指導していただきサッカーを教えていただきました。最後の1年は公式戦全試合スタメンと僕を信頼して試合に出していただきました。3日連続で試合があった時の2試合目が終わって疲れている時、高井先生に「明日もいけそう?」と言われた時は流石に痺れました。そして、3日目もスタートから試合に出ることになりました。ここまで僕に信頼をおいてくれている喜びがとても大きかったです。ありがとうございました。そして何よりもここまでサッカーを続けられたのは紛れもなく両親のおかげ。最後に試合を観てもらって直接感謝を伝えたいという思いがあったので、大阪から観に来てもらった。昔から試合を観てもらうことは苦手で、親に観てもらうのは小学生以来だったので、とても緊張した。恥ずかしながらも最後に、両親に直接自分の口で感謝を伝えることができた。観に来てもらって本当によかったと感じ、そこでも涙が溢れた。そんな時に、父親が言葉をかけてくれた。

「引退して泣けるっちゅうことは、成長した言うことや。」

自分では実感していなかったが、4年間のサッカーで自分は成長できた。この言葉で少しでもそう思うことができた。自分の成長した姿を両親に見せられて良かった。最後に、この大学に入学して良かった。ここでサッカーできて良かった。
最高の先輩、後輩、そして同期に出会えて、一緒にサッカーができて本当に幸せでした!
みんな、ありがとう!!!


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