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人にはみんな事情があるんだよね

私と会いたいと言ってくれる人が居ることに、

ジーーンとすることの多い、最近の私です。

そして、私に素直な思いを言わせてくれる雰囲気をありがとう。

🐥🌊

今日は、一回しか会っていないのに

「過去に絶対に会ったことがある!」

きっと魂が繫がってる、と感じざるを得ない子にも会った。

出てくる言葉が私にリンクすることばかりで、驚き続けていた。

特に私が最近よく言っていた

「人には皆事情があるからね」

って言葉をなんの前触れもなく彼女の口から聞いた時はちょっとトリハダもんだった🐣

"事情" で思い出したのが、母の言葉。

私は長年手付かずだった玄関の棚を何時間もかけて整理した。

しかし、その後母の探していた物がその棚からなくなったことに母が気づき

私が捨てたんだ、片付けるのがいかんと言われる。

しかし、母の探していた大きなものは何年も記憶の彼方にあったもの。

母もいつ無くなったか、なんて覚えてないし

私もそれ自体の捨て方が分からなかったので

絶対に私は捨ててないのだ。

誰もやらないから、私の気分の乗った時に棚の整理をしたのに感謝されるどころか

証拠もないのに疑われたことがすごく悲しかった。

その時に、母に強く失望の意を示した。

「それはいくら何でもひどいよ」

よく言ったと思う。

母に言い返すことを面倒くさいと避けていた過去の私からすると、だいぶ向き合えるようになったと思う。

でも、母を不安にさせた要因が私にもあるので、

笑って「ごめんね!」って言えたらきっと二人とも笑えたんだろうな。

ムキになってしまうね。

でも「ごめんね」って言ったら、「やっぱりお前が捨てたんか!」ってなって

きっと矢継ぎ早に責められるだろうと思って言えなかった。

やっぱり自分に少しでも落ち度があったら「ごめんね」って謝れる人はカッコイイ。

とすごく思った。今はそんな勇気でなかった。

私も、母にそれはイヤだと言葉をぶつけたのには悲しいという"事情"があった。

そして、掘り起こさないけど

母も母で、感謝より私の行動を否定したくなる事情があったのかもしれない。

……あとから冷静に考えるとそう思えた。

今までの私は

私は今まで、自分の好意を受け取ってもらえたと感じれる環境じゃなかったように思う。

私が買って帰るお土産を母が食べてくれた事はほぼないし、

プレゼントだって「勿体無い」と言って使ってくれたことのが少ないし、

母を思ってしたお手伝いも「こうしてくれればよかったのに」と返される。

だから、何も言われない程度の気付かれないお手伝いをして、

拒否されても凹まないように、言われたら一番悲しい言い返しを先に自分に言ってからお土産を買って帰った。

だけど、この環境にいたから

私の好意を喜んでくれる人が居ることに感激できるんだ。

これは、母が私に開けてくれた穴なんだと思う。

二村ヒトシさん的に言うと「どんな親も子どもに穴を開ける」なんだろうな

私はこの言葉のニュアンスが大スキで、

すごく心を掬ってもらった感覚を覚えてる。

今の私は、

まだ人の好意を受け取るのはすごく苦手で、

無下にしてしまった好意たちがきっと沢山あるけど

本当は、

相手が笑っちゃうくらい

好意を喜びたい!

💓

本当は、

私の望んだ形でなくても、

相手の好意にありがとうと伝えたい。

ま、そもそも望まない、期待しない私で居たほうがフラットなのかな〜♭

そして、次また同じことをお願いできるタイミングがもしあったら

私のこだわりも伝えた上でその人に選んでもらえたらそれでいいな。

そんでね。

何より、本当は
「母が受け取ってくれなかったから私はこうなんだ!」って、もう言う必要がなくなる私がいいな。

一歩一歩だね🐾

#今日の一枚

🤡お互いに愛がないわけじゃないのにね、母も私も。

母にこそ「ごめんね」って言えたらきっとラクになっていくんだろうな〜

く〜

こういう書き方するってことは、まだ母のせいにしている私も居るんだけど。

人のせいにし切ろうね、次に行くために。

未熟ですまんが、これが今の私や。

ありがとう、母。

「母とぶつかる」をするために実家に帰ってきたんや。ぶつかりながら時間はかかっても分かったらいいんだよ。

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