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記憶の動物園 #カモシカ

 ど田舎で暮らしていた頃、移動手段は原付だった。

 大雨の夕暮れ時、原付を走らせていると、トンネルの入り口に大きな獣が濡れそぼちながらぬっと立ちはだかっている。

 まさか熊か。なにせ目も開けてられないほどの土砂降りだ。いや、熊にしては足が長い。減速しながら思った、ひょっとしたら、牛か……どこかから逃げ出して来たとか、いくら田舎でもこんな山のなかに飼育舎なんてないし、観光牧場があるのは山のずっと向こう側の高原だし。スクーターを停めて、獣と向かい合う。

「あのー、どいてもらえないと、帰れないのだけど」

 猿はよく道路脇に群れていたものだったけれど、野生のカモシカを見かけたのは、そのときが初めてだった。

 登山を始めると、カモシカなどとくに珍しくもなくなった。雪の八ヶ岳のテント場には、好奇心旺盛なカモシカがよく訪れて、凍えるような寒さのなか人間たちをじっと観察している(今は知らない)。人でも獣でも好奇心というのものは、知性の証であると思った。

 丹沢で沢登り(渓流を遡行しながら、水源まで滝を登攀する登山の一形態)をしていて、カモシカの死骸にバッタリ遭遇した時には驚いた。もう上流の方で、水量は少ない。低く連なる滝の澄んだ水溜りに柔らかいものを踏んづけて、最初何かわからず、思わず「わーっ!」と絶叫したら、つられて訳もわからずザイルパートナーも絶叫していた。男二人の叫び声が、ハイカーで賑わう一般登山道から遠く離れた山中に木霊する。

 シカの食害に悩まされる丹沢山塊であるが、カモシカも生息しているとは知らなかった。

「オレたち、カモシカも滑落死するような厳しいところを登ってるのか」
「これ、死んだばっかりだよな。まだ腐乱が始まってない……食べられないかな?」
「バカ、天然記念物だぞ」
「うまいらしいよ。カモのようにうまいシカだから、カモシカっていうんだって」
「へえ!」

 日帰り登山でナイフもガスコンロもコッヘルもなく、いやそんな理由からではなく、カモシカを食べたりはしなかった。

 それにしても、女性のスラリと伸びた足を羚羊カモシカのような足と形容するけれど、実物は毛深くて筋肉の盛り上がった脚である。どういうわけか、看板に偽りありだ。調べてみると、元々は羚羊レイヨウ(アンテロープ)のことを指していたものが、誤解されて広がったという。だとすると、どこから伝わった表現になるのか、そこまでは書かれていない。

 さらにカモシカはウシ科ヤギ亜科とあって、つまりはシカではなく、初めて見た時に「牛か(ウシ科)」と思った印象は間違っていなかったことになる(その前に「熊か」と見間違えたけれど)。ここでも看板に偽りありだから、正確にはカモウシかカモヤギとでも呼んでおけば良いことになる。

 看板に偽りありで思い出すのは、上野動物園のタテガミオオカミである。広大な敷地の外れの人気のないところにある狭い檻で展示されていて、看板に「これはオオカミではありません」と大きく書かれていた。キツネの仲間らしく、キツネ色の毛皮をまとって、することもなく、一匹だけなんだかションボリと佇んでいた。

 いや、この場合は看板に偽りはないわけであるが。

(了)

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