かんやん

こんにちは。スキマ時間に読める掌編小説やエッセイを書いていけたらな、と思っております。…

かんやん

こんにちは。スキマ時間に読める掌編小説やエッセイを書いていけたらな、と思っております。ここでは、基本サクッと読めるものを目指します。よろしくお願いします。

マガジン

  • 日々の泡沫

    ささやかな日常の雑感、備忘録

  • 連載もの

    他のマガジンからもれた、何回かに渡る比較的長い文章を集めました。

  • 短編集

    掌編というには少し長めの作品集。

  • 山行

    山の記録

  • 文学人生相談所

    あの世界文学、日本文学の有名な主人公たちが人生相談にやって来た!

最近の記事

歩くことの自分史

 ずっと歩いてきた、比喩的な話ではなくて、いやもちろん、比喩的な意味でもこの冴えない人生をあっちへふらふらこちっちへふらふらと歩んで来たのだろうけれど。  今から数十万年前にアフリカ大陸の奥地、ボツワナかどこかで誕生した解剖学的現生人類は、数万年前にアラビア半島を経由して、三つのルート(①ヒマラヤの北を通ってシベリアへ。さらにアメリカ大陸へ②ヒマラヤの南を通って東南アジアからオーストラリアへ③ユーラシア大陸西部へ)で世界へ散らばったらしい。  いや、そういう壮大な話ではな

    • 【エッセイ】健康曼荼羅

       いつも自分の体調を気にかけているわけではないけれど、体調不良に陥ると、何が良くないのかと考える。もう若くはないのだから、なかなか快食・快眠・快便とはいかない。それどころか、肩・腰・目・胃腸・そして心……いつもどこかが故障しているような。だから、自ずと体調を気にかけることになる。いや、わかってる、深酒のせいだ、それと睡眠不足、さらには仕事のストレス……あとは、食べすぎかな、それに運動不足?  若い頃は不健康そのものの生活を若さでカバーできたのに、今は単純にそれができなくなっ

      • 【短編】何も起こらない退屈極まりない田舎の話

         山小屋で一泊して下山し、麓の登山口まで戻るともう昼過ぎで、次のバスまで1時間以上あった。  さて、どうするか。このままここでのんびり待つか、それとも歩くか。1時間あれば駅に着く。しかし、それは疲労困憊した自分には、ウンザリするような選択肢だった。かと言って、バスを待ちながらベンチでスマホをいじっているのも面白くない。腹が減ってきた。ザックの底には半ば潰れかけた非常用のチョコとカロリーメイトが残っていたけれど、こういうものは山では美味いが下界ではなんとなく食指が動かない。

        • 【エッセイ】駅前の本屋が閉店したと思ったら、新規開店していた件

           年末に駅前の行きつけの書店を訪れたところ、立て札が出ていた。  あー、地元で40年以上も営業してきたこの本屋さんもとうとう閉業か、時の流れだなあ。ずいぶんと寂しくなる。大型店ではなかったけれど、文学、歴史、人文科学の新刊が充実していて、とても品揃えの良い書店だったのに。……面白そうな本を見つけては、タイトルを暗記して図書館で借りたりしたものだ。あ、いや、でもそれは高額な新刊の場合で、文庫や新書、ブルーバックスは必ずここで購入しましたよ、都心の大型書店ではなく。 「文学の

        歩くことの自分史

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        • 日々の泡沫
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          8本

        記事

          【短編】山から下りるとき 後編

           バスを待つ間、鄙びた温泉宿で汗を流す。源泉かけ流し、ぬるぬる滑る板の間に硫黄の香りが立ち込め、縁の低く狭い浴槽の湯は明かり取りのガラスから射す日差しに緑瑪瑙の色に輝いている。先客は痩身の中年の男性一人のみ。登山客ではなく、ひがな一日湯浴みしているような秘湯好きと見えた。  バスが来るのは二時後、カバーを外した読みさしの文庫本でも読んでのんびりすることにする。紙はたちまち湯気でふやけた。  19世紀ロシアの小説だが、古代ローマ帝国を舞台に、世俗に生きる人が人生の最後に改心

          【短編】山から下りるとき 後編

          【短編】山から下りるとき 前編

           山から下りるとき、それがどんな山であっても似たようなある種の感覚に捉えられる。  日本アルプスの縦走であっても、日帰りのピストンであっても、岩登りでも、雪山でも、あるいは郊外の低山であっても、最後のピークを越え素晴らしい見晴らしも消えて、延々とつくづく単調な下山道が永遠につづくようで心底うんざりし、ようやく下界が近づくにつれ、山旅の終わりの実感が押し寄せてくる。先ず決まって音から、車やバイクのエンジン音や人々のざわめきが立ち昇ってくると、次に葉叢の合間から民家の色とりどり

          【短編】山から下りるとき 前編

          「はく製は絶滅したニホンオオカミか」 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240227/k10014372671000.html ニュースになってるけど、ヤマイヌって、ニホンオオカミの別称ではなかったか? それにしても不自然な剥製。

          「はく製は絶滅したニホンオオカミか」 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240227/k10014372671000.html ニュースになってるけど、ヤマイヌって、ニホンオオカミの別称ではなかったか? それにしても不自然な剥製。

          【山行】大菩薩嶺 久しぶりの雪山

           二月の連休に大菩薩嶺に登ってきました。一泊二日の小屋泊まり。東京に雪が降れば、奥秩父あたりは大雪だろう……と。  中里介山大先生の『大菩薩峠』は、読んだことないし、映画も観たことがないっす。  そういえば(とは言っても、生まれる前)、大菩薩事件というのがあった。60年代後半、この辺りの山小屋に潜伏して、テロの訓練をしていた赤軍派が一斉検挙されたのである。たしか若松孝二監督の映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』は、ここで撮影していなかったかな。  話は逸れるけど、

          【山行】大菩薩嶺 久しぶりの雪山

          【山行】雲取山 歩いて、休んで、また歩く

           正月に雲取山へ行ってきました。東京の西(最)果て一泊二日の小屋泊まりです。  久しぶりの雲取山、というか山。体力の衰えが著しい。  けど、二日間で43.1㎞、69,804歩、612階分登りました。  鍛え直します。 (了)

          【山行】雲取山 歩いて、休んで、また歩く

          またまた降ってきました。

          またまた降ってきました。

          雪の大菩薩峠。疲労困憊。

          雪の大菩薩峠。疲労困憊。

          【エッセイ】『山月記』ラストの一文問題

           その昔、小さな編集プロダクションで働いていたとき、散々ダメ出しされたものだ。毎日毎日個人的にはまったく興味のない事に関する文章を書いて、書いて、書き続けて、それだけで心底ウンザリする日々だったのに、その上で文章にダメ出しされ続けたのである。  ここを直せという指示やアドバイスを素直に聞けば良かったものの、新入社員で下っ端、修行中の身でありながら、不服で仕方がなかった。愚かしくも恥ずかしいことに、口答えが多かった、と記憶している。  早稲田卒の社長は、「東大に落ちたから、

          【エッセイ】『山月記』ラストの一文問題

          【短編】虚言について

           ウソにまつわるエッセイとも小説ともつかない文章を書いていると、人生で出会ったさまざま虚言たちが蘇ってきた。  たしかに虚言癖のある人たちは存在する。それは病気なのか、だとしたら遺伝なのか、自分では制御できないのか、そして自分のつくウソを自分でも信じているのかどうか、などの疑問が次々浮かんでくるが、考えてみても答えは出ない。  まあ結局は、人それぞれと言ったところだろうか。  たとえば、暴力的な言動で地元の酒場をあちこち出入り禁止になっている、自称ギタリストのコンさんは

          【短編】虚言について

          【短編】ウソをつく人、信じる人

           息をするようにすらすらとウソをつく、病的なホラ吹きというのがいるものだ。対をなすように、どういうわけかそれをまた素直に信じる人もいる。  一口にウソと言っても、目的別に色々な種類があるだろう。整理してみよう。 ①人を貶めるウソ。単なる悪口ではない、悪意のあるウソ。 ②自分をより良く、より大きく見せるウソ。 ③悪事や失敗が露見しないようにつくウソ。「記憶にございません」とか「やってないですよ!」とか。 ④愉快な、あるいは聞く人によっては不愉快ではあるが、話を盛るどこ

          【短編】ウソをつく人、信じる人

          【エッセイ】看板に偽りあり

           うかつなことに、カモシカは鹿の仲間でなく、牛科であると知らずに生きてきました。  そこで思い出されたのが、上野動物園のタテガミオオカミです。「オオカミではありません」と、大きく看板に書かれていました。ちなみに、うなじの毛も黒くて逆立ってるけど、タテガミと言うほどでもないような。動物界の二重に「看板に偽りあり」動物として、貴重な存在なのかもしれませんね。  いや、あんた、タテガミもなく、オオカミでもないのに、なんでタテガミオオカミなの? なんて。  そのとき、世の中には

          【エッセイ】看板に偽りあり

          【連載】無為のひと⑧ひとつの結末

           マスターは退院した後、リハビリどころか、定期検診にすら通わなかったという。金の問題もあったかもしれないが、単に面倒くさかったのだろう。店が潰れ、妹の尽力で生活保護を受給するようになって、何もしなくても良くなり、何もすることがなくなると、本当に何もしなくなった。いや、元々無精者でだらしのないところがあって、そこが母性本能をくすぐるというか、かつては女の人に「わたしがいないと駄目」なんて思わせたものなんだろうが、炊事・洗濯・掃除など一切の家事どころか、入浴もしなくなった。離婚し

          【連載】無為のひと⑧ひとつの結末