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文学人生相談所⑤旧約聖書『ヨブ記』


順風満帆な人生だったのに、突然不幸のどん底に! 信心深く行いの正しい私が、一体なぜこんな目に遭わなければならないのか?
本日の相談者 ヨブさん(ウツの地在住)

 シャローム! ヨブと申します。私は東の国では一番の財産家でありました。七人の息子と三人の娘を持ち、羊七千匹、ラクダ三千頭、牛五百頭、雌ロバ五百頭の財産があり、たくさんの使用人を使っておったのです。

 長男の家で子どもたちが大宴会を開いた日のことです。そこへ出かけようとしているところへ、使用人の一人が慌てて報告に来ました。
「報告いたします。牛に畑を耕させ、その近くでロバを放牧させていると、シェバ人が襲いかかってきて、仲間は皆斬り殺され、家畜は全て略奪されてしまいました。命からがら逃げて、私一人だけ助かりました」

 報告が終わらぬうちに、また一人がやって来て報告を始めます。
「報告いたします。天から神の火が降って、羊も羊飼いも皆焼け死んでしまいました。命からがら逃げて、私一人だけ助かりました」

 報告が終わらぬうちに、また一人が来て報告を始めます。
「報告いたします。カルデア人の襲撃があり、ラクダが全部奪われ、仲間は皆斬り殺されてしまいました。助かったのは、私一人だけです」

 報告が終わらぬうちに、また一人が来て報告を始めます。
「報告いたします。ご長男のご自宅での宴会ですが、荒れ野の方から大風が吹きつけ家が倒壊して、ご子息もお嬢様も、皆さまその下敷きになってお亡くなりになりました。たまたま外にいた私一人だけ助かりました」

 なーぜーじゃー、どーしてじゃー?

 立ち上がって衣を引き裂き、髪を剃り落としてから、ガックリと膝をつきました。
「母の胎内から裸で生まれてきたのだから、裸でそこへ帰ることにしよう。主は与え、主は奪う。主の御名は称えられよ」

 しかし、不幸はこれで終わりません。ひどい皮膚病にかかってしまって、頭のてっぺんから足の裏まで皮膚が爛れたようになり、痒くて痒くてたまらず、眠ることすらできずに、一日中灰の中に座って、素焼きの欠片で体中を掻き毟るばかり。血の渇かない疵跡と瘡蓋かさぶただらけの体が灰に塗れています。
「私たちは神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか……」

 私の大親友、テマン人のエリファズ、シュア人のビルダド、ナアマ人のツォファルの三人が、それぞれの国から遥々見舞いに来てくれたとき、彼らが息を呑むのが私には分かりました。最初、私を私だと認められなかったのでしょう。それから一斉に泣き叫びながら駆け寄ったので、天井へ向かって灰が撒き上がりました。それはただパラパラと彼らの頭に降りかかるのでした。

 やがて三人は、私を励まし、慰めようとするのですが、それは上から目線の同情であり、見当違いのアドバイスであり、小難しく深遠そうな神学であり、なんら具体的に私の助けになるものではありませんでした。それどころか、私の不幸を見て、こともあろうに彼らは自分たちの幸運を噛み締めているようなのです。その上、「罪のない人が滅ぼされ、正しい人が絶たれたことがあるだろうか」などと言われては、暗に批判されているようではありませんか! なんということでしょう、私がこのような不幸のどん底に突き落とされたのは、何か理由があるはずだと勘繰っているのです。

 しかし、私は罪を犯したことはなく、神を畏れ敬って生きてまいりました。世間の尊敬を集め、慈善事業を行い、立派に家長としての役割を果たして家族と大勢の使用人を養ってきたのであります。そんな私が、なぜ私一人がこれほど苦しまなければないないのか、どうしても納得がいかず、怒りに震え、やがて神に対して問い詰めたくなるのです。

 なーぜーじゃー、どーしてじゃー?

かんやんの回答 神も悪魔も実在しません。だから、信じたからといって、救われるわけではありません。
 ヨブさん、ご相談ありがとうございます。先ずは心よりお悔やみを申し上げます。ご愁傷様です。あまりにもヘビーな話で、何と答えて良いものか困惑してしまいますが、まあ話を聞くだけでもお役に立てるかな、と。

 お話をうかがって、ヨブさんの不幸は四つのカテゴリーに分けられると思いました。それは先ず、かけがえのない家族と大切な財産を喪ったこと。次に病気。第三に友人たちの無理解。最後に何も悪いことをしていない自分が、なぜこれほど不幸な目に遭わなければならないのかという問いと、神の沈黙。犯罪を犯しても罰せられず、のさばっている者がいる一方で、何ゆえに自分が、ということですね。

 第一の不幸は……さすがにもう取り返しがつきません。まさかの時のためにせめて生命保険と家畜保険をかけておけば良かったと悔やまれます……。ろくでもないシェバ人とカルデア人の奴らのことですが、こういった極悪非道な連中を野放しにしておいていけませんね。最低でも牧童を武装させておくべきでした。見張りを立てておくとかね。費用を惜しまず、武人をガードマンとして雇っておくことも対策として有効です。次があるかわかりませんが、ご検討下さい。それから、天災は忘れた頃にやって来ます。火災だけでなく、台風、水害、地震などの自然災害への対策としても、やはり保険加入が必須ですが、それとは別に普段から避難訓練を行い備えておくこと、さらにリフォーム、改修、改築などで家を強化しておくべきでしたね。

 第二の不幸である皮膚病については、良いお医者さんを見つけて下さいとしか言えません。症状の改善が見られない時には、セカンド・オピニオンも重要です。

 次は第三の不幸です。同情はあくまで同情でしかありません。よく「私の心はあなたと共にある」なんて言いますが、まるでデタラメとしか思えません。もちろん、このような慣用句があれば便利だし、言った方も、言われた方も、これで少しでも気が休まるなら、それで良いとは思います。でも、ヨブさん、私の心はあなたと共にはありませんよ。他人事と自分事は全く別の次元の話であるので、想像を絶するようなヨブさんの不幸を実感することは、同じ体験をしたことのある人にしかわからないのではないでしょうか。単なる「支援する・される」の関係に立ったカウンセリングやセラピーでは心の傷は癒えないので、同じ境遇の人たちを見つけて積極的に語り合うことにしたらいかがですか?

 さて、最後の不幸についてです。これはヨブさんにも、三人のお友だちにも共通して言えることですが、皆さん揃って社会心理学でいうところの公正世界誤謬に陥っておられます。この世界は公正であって、悪い人は必ず罰せられるし、正しい行いは報われるというような認知バイアスの一種ですね。ひどい目に遭うのは何か罪を犯したからだというわけです。だから、何も悪いことをしてないのに不幸や不運があると、何か許し難い不正が働いたような気がして神様を恨み始める。

 そういえば、大震災のときに、これは天罰じゃないのかと言った政治家がありました。地震の起こるメカニズムを知らないから、天なんてものを持ち出して、被害者を貶めたものなのか。人は何かと手っ取り早く理由を付けたがる生き物なんでしょう。たとえば、なぜ世界がこのようにあるのかとか、なぜ悪が存在するのかとか。

 でも、神様も悪魔も実在しません。存在しないものを信じることによってあると思い込む、それが信仰というものなのです。実際にあるものを信じる必要はありませんから。とはいえ、信じたからと言って、別に救われるわけではありませんよね。そういう意味での救いはないでしょう。

 ところがですね、調査によると公正世界仮説の持ち主は、生活満足度や幸福度が高いらしいのです。努力は報われる、信じていれば夢は実現するなんて考えている人は、ある意味で健全・幸福なんでしょう。おめでたいですよ。神は存在せず、偶然と悪意に支配された世界は危険に満ちており、全く不条理なものだというのは、全くその通りなのですが、そんことばかり考えていると、心を病んでしまうのかもしれません。信仰を持っている人の方が、そうでない人よりも充実した人生を送っていると何かで読んだことがありますが、ちょっとそれと似ていますね。

 何はともあれ、くれぐれもご自愛ください。

(了)

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