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大切な相棒達を偲びながら(最終回)

私の完全なプライベートの記事に対して、たくさんの方が何かを感じていただき、フォロアーさんはもちろんのこと、フォロアーさん以外の方にもコメントを頂いたり、取り上げてくださったりしていただき本当に感謝致します。


やはりペットと言えども皆さんの中で家族という認識を持っていただいている方が多かったのは、本当に喜ばしい限りでした。何かを感じるというのは本当に大事なことであり、正解不正解ではなく、



感じることで何かを意識するという行為というのが大事だと思っていますので、改めて命について考えることが出来たのは、本当に良かったと思います。



恐らく私のnoteにごん太とでぃんが登場することはないと思います。忘れたいということではなく、彼らは私の中で一生存在し続けている大切なものですし、言葉が通じないので断定することは出来ませんが、いつまでも悲しんでいるのは当人たちも望んではいないと思いますので、私の心のなかでだけで、


彼らを偲んでいきたいとは思っています。



これから記事に書くのは私の中で決定していることではありません。あくまでもおぼろげに抱いているイメージですし、まったくもって具体案もありません。ですがいつの日か叶えていきたい夢でもあります。先に逝ってしまったでぃんは、本当に何の前触れもなく気づいた時には手遅れ、そしてあっという間に逝ってしまいました。ごん太は発見されてから少し猶予があり、もちろん完璧ではありませんが自分なりには精一杯の看取りが出来た。ごん太を看取っていて感じたのは、


最期までそばにいられることというのがどれだけ大切なことかということでした。



何かをしてあげられるわけではありません。もちろん自己満足と言ったらそれまです。だけどそれでもごん太は愛情を返してくれた。それは紛れもない事実です。恐らく今後はお金を払ってペットを飼うということはないと思います。それはお金を出すのが勿体ないということ言うことではなく、自分がやりたいのは育てることではないと感じたから。では私がやりたいことは何なのかということですが、


一生懸命頑張ったワンコたちの最後の最後にそばにいてあげること。



もちろんどういう経緯であれ、ペットとして飼っているわけですから最期まで飼い主が責任を持って見るべきという考え方は変わりません。そうはいってもその理想が通らない事実もあるわけです。だからといって私が何でもかんでも受け入れることは出来ません。現実問題としては働いている状況では無理です。私が興味を持っていて、おぼろげながら考えているのは、


人の役に立って頑張ってきた盲導犬や介助犬が引退したあとの余生を愛情持って最期を看取ってあげたいということです。



人の役に立つために一生懸命訓練してきて、自分を犠牲にして頑張って尽くしてきたワンコに対して、その余生を思いっきり甘えさせてあげたい。最期の最期に心を込めて「お疲れさまでした」と言ってあげたい。そんな気持ちが出てきたのは、ごん太が最期に私に見せてくれた大事なものではなかったのかなと思っています。もちろん今の私にはそんな事はできません。ですが私がきれいごとを名乗っている以上、今回も綺麗事を言って、


それをいつの日か実現するために動いていきたいと思います。



こういう考えにしてくれた相棒のごん太とでぃんに経緯を評して、私の愛犬シリーズは最終回にしようかなと思います。

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