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退屈とコーラ|連載「記憶を食む」第7回|僕のマリ

思い出すことのかたわらにはいつも、食べものがあった。
大切な記憶も、ちょっとした記憶も、食むように紡いでいく。気鋭の文筆家・僕のマリによるはじめての食エッセイ連載。
第7回は、退屈な時間を過ごしていた中学生の著者が、ある小説に出会って行動を起こす、小さくて大きな1日のお話です。

 寒さにめっぽう弱い。寒いというだけで、すべてのやる気は削がれ、鬱々とした気持ちになり、パフォーマンスは落ちる。毎年冬は出不精になり、雪解けを待つ動物のように、家にこもってじっと耐えている。今年は特に、仕事も在宅になったのでほとんど外出せずに過ごした。しかしこの間、四月上旬くらいの暖かい日が突然訪れた。最高気温が二十二度くらいの陽気で、春のプレリリースのような日だった。ヒートテックも貼るカイロも不要の身軽さを、久々に味わった。そこでわたしは、近所で野暮用を済ませたあと、缶ビールを一本買って、真昼間の公園でのんびりと飲んでぼーっと過ごした。平日の午後一時の公園にはほとんど人がおらず、おじいさんがひとり、体操しているだけだった。この仕事をはじめてからずいぶん経つとはいえ、こんな時間にお酒を飲んでいるのはどこか、サボりのような風情があった。あたたかな陽射しにまどろみながら、ぬるいビールを飲み干したとき、ふと懐かしい感覚になった。

 中学一年生の頃、学校の成績が一気に落ちた。小学生の頃は勉強が好きで楽しくて、テストの点も高く、やればやるだけ結果に出ることがうれしかった。しかし、中学の勉強は一気に難しくなり、授業についていけなくなった。真面目に授業を聞いて、課題をこなしても、理解できないまま先に進んでいく。当然テストの点もぼろぼろで、それまで自分は頭がいいほうだと思っていただけに、プライドがごりごりと傷ついた。

 授業と部活と習っているピアノ。その三つをいったりきたりしているだけの生活で、わくわくすることなんてほとんどなかった。わからない勉強と、精神的にも肉体的にも疲れる部活と、練習が追いつかないピアノ。土日には同じショッピングセンターに皆が集う。退屈そのものだった。代わり映えのなく、刺激の少ない日常を過ごすなかで、唯一読書だけが、自分の心を彩った。夕食後に自室で本を読んでいる静かな時間が、いちばんの癒しであった。

 その頃出版された、綿矢りさの『インストール』という小説が大きな話題となった。そのときの情報源といえばテレビが主流だったので、何かの番組で知ったのだと思う。17歳という、自分とさほどかわらない年齢の作家が書いた本に興味が湧いたし、あらすじを聞いただけで今すぐ読みたくてたまらなくなった。早速休みの日に街の本屋で単行本を買い、夢中で読んだ。寝る時間も惜しみ、二日足らずで読み切ってしまった。 

 話の大筋はこうだ。平凡な毎日に退屈していた女子高生の朝子が、ある日部屋のものをすべて捨てようと運び出す。そのとき、同じマンションの小学生かずよしと出会い、朝子が祖父からもらったパソコンを彼に譲る。かずよしは壊れていたパソコンを修理して、インターネットが使えるようにした。やがて登校拒否となり、親に内緒で家にいるようになった朝子に、かずよしは風俗のチャットレディのアルバイトを持ち掛ける……。 

 まだ自分の携帯電話も持っておらず、家族の共用のパソコンをたまにいじるくらいだったわたしには、そのスリリングな設定が深く刺さった。親を出し抜いて学校を拒否し、俗なアルバイトを始めるストーリーが、怠惰な雰囲気に包まれながらも、このうえなくパンクであった。自分にはないものをすべて持っているように思えて、わたしは朝子に憧れた。

 毎日退屈していたわたしは、「よし、サボろう」と決意した。その日までわたしは、何かをサボったことがほぼなかった。ピアノの練習を怠けて、レッスンまでに間に合わなかったことや、学校の掃除当番をいい加減に済ませたことはある。しかし、何かを投げ出すような度胸は持ち合わせていなかった。本来、サボるというのは突発的な感情に伴う行動だと思う。朝起きてなんだかだるいからサボるとか、部活の練習が嫌だからサボるとか、そういうものだろう。しかし、だからこそわたしは、何日も前から計画して、心の準備をして、サボることを実行するに至った。

 その当時、剣道部に入っていた。仲の良い友だちと体験入部に行って、そのまま始めた部活だった。しかし、未経験で運動のセンスがないわたしにはどうも難しく、部活が楽しいと思う日などほとんどなかった。サボる度胸もなかったが、行きたくないのが本心だった。だからこそこの機会は逃せない。朝は普通に登校して、四時間目くらいに具合が悪いふりをして保健室に行って、そのまま早退して部活も休もう、という算段だった。たった半日サボるだけでも、自分にはとてつもなく勇気のいることだった。その日は朝起きたときからドキドキして、授業もうわの空だった。三時間目の授業を終えたときに、仲の良い友だちに「ちょっと頭痛い」と言って保健室に行った。もちろん仮病なのだが、保健室の真っ白なベッドに横たわりながら「頭が痛いし気持ち悪い」と訴えた。やがて「しんどいので帰りたいです」と保健室の先生に申し出ると、同じクラスの友だちがわたしのカバンを持ってきてくれた。小学生の頃だったら、親に連絡されて迎えに来てもらっていたが、もう中学生で家も遠くないので、ひとりで帰ることになった。母も日中は仕事に行っており、家には犬しかいない。サボるには好都合な環境である。

 授業中の静かな学校をあとに、歩いて帰る。学校から家までは十五分くらいで、まっすぐ帰ってもお昼前だろう。だがわたしは、なんとしてもコーラを買って飲みたかった。『インストール』の作中で、朝子がかずよしの家でバイトしている時に、いつもコーラを飲んでいたのだ(後にそれがかずよしの母に朝子の存在を知られるきっかけとなる)。サボるなら、わたしもコーラを飲んで朝子の気分を味わいたい。当時、校則で買い食いは禁止されていたので、学校に財布を持ってくること自体が禁止であった。でも、その日わたしは千円札を一枚、小さく折りたたんでカバンの内ポケットに忍ばせていた。学校から家まで、遊ぶようなところなんてない。あるのは田んぼと古い美容室と生協くらいだ。そんな中を制服姿でぶらついていたら、親切な大人が学校に通報してくれるはずだ。でも、なんだかまっすぐ帰るのはもったいなくて、回り道をして三十分くらいかけて歩いた。やっとのことで、自販機で缶のコーラを買う。誰かに見られたらどうしようとビクビクしながらボタンを押した。カバンに入れた冷たい缶の温度を感じながら、家に帰った。昼間の誰もいない家すらもなんだか新鮮で、変な感じがした。飼っていた犬は、突然わたしが帰ってきたことを不思議そうにしていた。

 わたしは制服のままベッドに倒れ込んで、ふーっと息を吐いた。スカートにしわがつく、と思いながらも、しばらく寝転んでごろごろとしていた。膝より下の長いスカートと、指定のカバン、頭の下の方でひとつに縛った髪の毛。絵に描いたような真面目な学生が、今日はじめて授業と部活をサボった。もし万が一誰かに見られていたとしても、まさかサボっているなんて思われないだろう。無事に帰ってきたことに安堵しながら、買ってきたコーラを飲んだ。コーラというのは、缶とペットボトルと瓶で微妙に味が違う気がする。『インストール』に出てきたのは缶だった。

 ひとくち、ふたくちと飲み下していくうちに、深い眠気が襲ってきた。土日も部活で朝が早いから、わたしはいつも眠かった。そのまま一時間ほど眠り、目が覚めたときはコンタクトレンズがかぴかぴに乾いて最悪だった。目薬をさし、コーラを飲む。ぬるくなって炭酸の抜けたコーラが、甘ったるく喉を焼く。飲みきってふと、この缶をどこかに捨ててこなければと気づいて、近所の自販機のゴミ箱に空き缶を捨てた。もし親にサボったことがバレたら面倒だった。缶さえ捨てられたら、わたしのサボりの痕跡などない。そうして、サボりは幕を閉じた。

 次の日は普通に登校して、いつも通り授業を受けて、部活の練習に参加して、疲れ果てて帰ってきた。やがて、成績を上げるために塾に通い始めて、部活もほぼ休まなかった。ピアノもそれなりに練習した。あの幻のようなサボりを誰かに話したこともなく、とうとう大人になった。あの出来事で何かが変わったわけではなかったけれど、味わったことのないようなスリリングな一日だったのは確かだ。仮病で授業と部活をサボり、内緒で持ってきたお金で帰り道にコーラを買い、家でだらっと過ごしただけの日が、十三歳のわたしには誇らしかった。

次回は4月19日頃の更新です。
隔週金曜日に更新予定です。

過去記事は以下のマガジンにまとめています。


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