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阪神淡路大震災に思うこと

こんばんは、☺(かお)です。
石川県をはじめ、
この度の地震に伴う被災者の方すべてに
謹んで哀悼の意を表します。

また、飛行機事故や火災事故、その他事故事件。
心が痛むことが続きました。
年末年始というテレビを見る時間が長い期間だったので、より一つ一つがフォーカスされ、凝縮され、視聴者は疲れたことと思います…

自分にはお正月が明けた後、日常があるのに、日常を迎えられなかった人がいると思うと、ニュースを見るたびに正直キツイ。

※この記事は地震の記述を少しばかり含みます。ご注意ください。


先日、熊本地震が起きた時に行った
募金活動について書いたところだったので、
大きな地震・津波が起きたことに対して
たくさん思うことがあります。

1月1日といういろんな人が集まって、
団らんの時間に。
ニュースで語る方の悲痛な声は本当につらいです。

少しでも多くの方が
心穏やかに再スタートを切れること、
インフラ等の復旧がなされること、
救助や復旧作業を実施される皆様の安全が確保され
心のケアがなされること、祈っています。




感謝を忘れない。

なぜこんな記事を書いているかと言いますと、
本日1月17日は、
29年前に阪神淡路大震災が起きた日です。
図らずも100個目の記事となったこと、
なんか感じます。

そして、私が生まれた年は、
阪神淡路大震災が起こった1995年です。
関西出身、当時住んでいた家はかなり打撃が大きかったエリアでした。

実際には被災していないため、
当時の本当の大変さは想像するしかありませんが、
「地震を知らない世代」として
小中高、各学校の各学年では震災の学習が実施されました。

その中でとにかく感じるのは、
「命をつないでくれてありがとう。」
ということです。

きっと当時も、避難所の環境が劣悪だったり、
生き埋めになったけれど救助してもらえただったり、
通信状況が最悪(当時は電話か)だったり、
ライフラインが断絶された中で生きないと行けなかったり。
かなり厳しい環境だったと想像します。
たとえ安心の地に移動しても、
きっと心には大きなトゲが残ったままだったことでしょう。


私と同じ学年で生まれた人たちの約半数?は、
当時おなかにいた人たちばかり。

大変な時期に、大変なことが起こり、
周りの力を借りて、生むまでつなげてくれました。

さらに、生まれた後も、
まだまだ復興が追い付いていない中
大切に育ててくれました。
ありがとうございます。

復興データに目を向けてみる

いままで受けてきた教育の印象は、
どれだけ甚大な被害であったか。
その当時どんな苦労があったか。
それだけだったような気がします。

記憶がある範囲では、被害を受けたの?
と思うほどの復興ぶりだったので、
今まで学んでこなかった、復興データについて検索してみました。

参考:01 【表紙】復旧・復興の状況(令和6年1月) (hyogo.lg.jp)

電話は早い。電気も早い。水と下水が遅い
電車はまちまち。地下鉄とJRが早い。
時期がかぶっている印象を受けるのは、
やっぱりそれくらい掛かるっていうことなんだろうな。

これを見て感じるのは、
阪神高速が倒れた写真、
バスが途中で止まってしまっている写真が
印象に残っていますが、
その復旧は1年半かかったことが分かります。
※写真を最後に乗せています

他にも、意外と電車も5か月余りが必要だったんだな~と。
でも5か月で直せるもんなんだ~とも。

そして同資料では、
被害総額約9兆9千億円、
義援金受け入れ金は1千800億円
やっぱすんげーお金が必要なんだなぁ…
義援金は一部だけどきっと助かったんだろうなぁ…
そのように思いを寄せます。

あえて今日は東日本大震災については
触れませんが、きっとこれ以上にお金が掛かったことは
想像に容易いです。

必要な支援や、これからに向けて

阪神高速では、倒壊したことに反省を受けて、
技術でどうにかしてくれています。
正直読んでもよくわからないですが、
もうこんなこと起きない様にしよう!と取り組んでくれたようです。

他にも、多くの取り組みにより、
おそらく倒壊が心配される建物はあまりないと思います。

こうやって取り組むためにも、お金が掛かる。
請け負う業者もお仕事だからお金はしっかり取らないといけない。
いくら被災地だからといって、
無料でやって共倒れしてもいけませんからね。

昔はよく知りませんが、
今はいろんな補助保険があるみたいですし
それを使って正しく倒れない様にお互いに頑張る。
そのための義援金だし、そのための国家予算だと思います。
未来の担い手が憂う税の使い道ですが、
復興の為なら、ちょっとくらい頑張ります。
そんな気持ちです。


結局やっぱり感謝

大きな地震があるとより感じるのは、
今のインフラのすごさ。
脆弱かどうかは置いておいて。
どこにでも電車や道があって、行ける。
いつでもきれいな水道水があるし、
電気で明るく、温かいお風呂にも入れる。
なんでも当然じゃないんだよなぁと思い知らされます。

多分、当事者になったら余裕もなくなって、
「早く復旧してくれよ…」
「なんでまだ断水してるんだよ…」
って思ってしまうかもしれないのですが、
もしかしたら作業者さんは
一部被災者さんかもしれないしって思ってしまう…
日頃から感謝したいなと思います。

私の命があるのも母、父はじめ、
いろんな人がか関わってくれたからだと感じています。
たまにうまくいかないことがあって
もうこんな人生やだな!って思うこともあるんですが、
誕生日と阪神淡路大震災の日は
その考えを考え直す日です。

やっぱり生きてて良かった。
大好きな母と会えてよかった。
大好きな街で生きることが出来てよかった。
そう思う、今日です。


※下に阪神淡路大震災発生当時の
高速道路の写真を3枚貼っています。
参照元はリンクでつけてあります。
苦手な方はご注意ください。




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