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なぜ今、時短よりエンタテインメントなのか?

自宅の料理教室では主に大人向けに料理を教えているが、渋谷区の「景丘の家」という施設で、子どもたちに料理やお菓子作りの無料ワークショップを提供することがある。

前のめりで参加してくれるキラッキラな瞳の子どもたちに何かを教える機会をいただけるのは、本当に幸運でありがたいことだなと毎回思う。相手が子どもだからといって「子ども向けメニュー」を無理やり創作することはしない。大人に教えるのと同等の料理の中から、「時間内に作れて子どもたちが関われる行程があるもの」を選び、下準備もかなり進めた上で臨んではいるけれど、子ども相手に「子どもだまし」は通用しないと思っている。

たとえばこのときは3種のブルスケッタを作った。
人気はトマトのケッカソース。ズッキーニ&茄子炒め、生ハム&マスカルポーネも好評だった。

そんな子どもたちとのやり取りの中で、こんな話をしたことがある。

「簡単にできて時間がかからないAの方法と、時間はかかるけどよりおいしくなるBの方法があるんだけど」

大人的にわかりやすくいえば、Aは時短簡単系、Bは丁寧な暮らし系あるいは昔ながらの正統派。

子どもたちは絵に描いたように「きょとん?」として、「そんなの、聞かれるまでもないけど」といった表情で、こう即答した。

「時間がかかったほうが楽しい。しかもおいしいんでしょ?Bのほうがいい!」

私はハッとした。子どもたちに、またもや教えられた気分だった。

簡単で手間がかからないというのは、毎日「料理をしなくてはいけない」大人にとっては、それ以外にはあり得ないくらいのメリットとして捉えられがちだ。その文脈では、「手間暇かけて丁寧に」はまるで悪者ですらあるかのように、鳴りを潜めるしかない。とくに昨今はその風潮が強いよね。

でも、子どもたちは「料理は楽しい」としか捉えていない。そもそもこのワークショップは「希望者のみ・先着順」だ。やりたくない子は参加していないし、やるからには楽しみたい。おいしくないなら作りたくもないだろう。
だから時間がかかったほうがうれしいし、結果がおいしいほうがいいに決まってるのだ。

でもこれって、子どもたちだけの「特権」なんだろうか?
料理は本来、楽しんでいいものなんじゃないだろうか?

子どもたちが楽しんで料理をつくる横顔を見ながら、付き添いのお母さんたちも幸せそうな顔をしている。それこそ子どもに負けないくらいキラッキラの笑顔だ。それは、わが子のうれしそうな顔を見てつられている、というだけでなく、「料理って楽しい」と自分でも感じている表情なのだと思う。

私はいつも子どもたちの笑顔の向こうの、大人の笑顔を見ている。お母さんたちが家に帰っても今のテンションで料理を楽しんでくれたらいいな。そう思いながら、「このスパイス、新大久保で買うと安いんですよ〜」「このチーズは絶対ここのブランドがおすすめなんです」と、子どもそっちのけで話しこんだりもする。

毎日の「ごはん作らなきゃ」には、楽しむ余裕なんて1ミリもないかもしれない。私だってそういう日は多いから、わかるわかる。

でも週に一度でも、月に一度でも、それこそアウトドアやイベントに出かけるような気持ちで、1日丸っと時間をかけて、心から料理を楽しんでみたっていいと思うのだ。実際、そのくらいの余裕を持って臨めば、料理は本当に楽しい。ヘタなエンタテインメントよりよっぽどエンタテインメントだ。なにしろ、「買い物する」「作る」という過程を楽しんだあと「食べられる」んだから。

大人は、もっと料理を楽しまなくっちゃ。

子どもの食育のために子ども用の料理教室に通うより、大人自身が楽しみながら料理することこそが、食育なんじゃないかなとも思う。

もちろん子どもがいなくてもおんなじだ。
親のために、恋人のために、夫や妻のために、そして自分のために。
料理をエンタテインメントとして楽しもうじゃないですか。

さて、今週末は何を楽しみましょうか。


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