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ブスとメンヘラは金にならない文章を書け

ブスとメンヘラが高じて作家になった篠原かをりです。辛うじて文筆で生きていけるのではないだろうかと思い始めたくらいの泡沫作家ではありますが、心は一丁前に作家です。この夏に4冊目の本を出版しますが、自分で自信を持って作家と言えるようになったのは、noteで文章を書き始めたからだと思っています。ありがたいことにnoteのフォロワーが8000人を超えました。他のブログやSNSに比べてこじんまりとしたnoteでは、想像もつかなかった数字です。去年の暮れは2000人台だったと記憶しています。欲が出てきて、他のユーザーのように文章でお金を稼げたらいいなあと数日考えていて、気付いたのですが、私の書けるテーマでは、どうにもこうにもお金を稼ぐイメージが湧かないのです。何回か書いた有料記事を買ってくださったり、サポートをくださった方々は本当にありがとうございます。私が今までに稼いだお金の中でもとりわけ尊く、感慨深いものでした。

いつかは書くものすべて爆売れし、原稿料で飼っている人間を豪華社員旅行に連れて行くような作家になりたいと思っているのですが、現状まだまだ暗闇の中で爆売れ専業作家への道を探っています。

私は生き物を飼うのが好きなのでドブネズミから人間にいたるまで多くの命の餌を稼ぎあげる義務があります。清貧なんて犬に喰わせろ!金は社会の血液だ!が基本の商人の家に生まれ、これから数多く生まれるであろうクリエイターのためにも執筆で食べていける道を築かなければいけないという考えもあります。

売れる有料noteの特徴は、ノウハウやデータなど実用書に近い内容のものだったり、中身が気になるタイトルや商品紹介など雑誌に近いものです。

これらはすぐに役に立ちます。必要な時と活用方法が明確にわかるからです。私が買ったことのある有料noteもそういったものが多いです。

私の書く文章は、実用性が皆無です。

実用に適した生き方をしてこなかったからです。人に教えるようなコンテンツを何一つ持たずに今日まで生き延びることだけで必死でした。物心ついたときには劣等生、思春期超えた時にはメンヘラ。唯一の特技は金魚すくいです。

精一杯、人生で得たライフハックを考えたところ、思いついたのが、文章を書くことでした。

先日、裏垢で早く死にたいと幸せになりたいを繰り返す友人と飲んだ時に「どうやったらこの苦しみから解放されるのか」と問われ、ふと、文章を書くことによって精神の安寧を得たことに気づきました。感情むき出しで丸裸の文章を書き始めてようやく、寝ても覚めても未来の見えない深海から光の届く浅瀬までたどり着きました。だから、人に教えるようなことを持たない裸族の作家です。未開の地から裸一貫で鉄の塊の行き交うコンクリートジャングルに殴り込みにきました。強え奴と戦いたいです。

文章を書くことは、人間という最も複雑で多様性のあるコンテンツに向き合い、思考し続ける人類最大のオーダーメイド体験型エンターテインメントです。

もちろん、人間こそが自然の頂点だというわけではなく、もし、ドブネズミが執筆をしていたら、ドブネズミに向き合うのが最高の娯楽になると思います。

全くやったことがないので分からないのですが、音楽とか美術もそういったコンテンツなのだろうなあと思うのですが、文章の優れている点は誰にでも書けるところです。

できれば、全ての人が会話をするように文章を書く社会になってほしいのですが、とりわけ、ブスとメンヘラ同志には、是非とも文章を書いていただきたいというのが今回最も伝えたいテーマです。

ブスとメンヘラは、満たされ続けることが難しい人類の中でもめちゃくちゃに満たされにくい種類の人間だからです。生まれながらに十字架を背負い、自分自身を受け入れることが困難な人間だからこそ自分自身を愛するために、私には文章を書くことが必要でした。

文章を書くとブスとメンヘラが治ります。

水を褒めると美味しくなるようなオカルトではないので、正確に言えば、ブスとメンヘラが気にならなくなります。1万文字書くごとに0.1mmでも顎が短くなるとか鼻先が細くなるとかなら、すごい勢いで文章を書き続けますが、残念ながらそんなことはなかったです。タイピングだけ早くなりました。

何かが満たされずに苦しんでいるとき、何に苦しんでいるかを知るのが一番難しいのです。体のどこかが痛いことは分かるのに患部が分からないのでどの薬を買えばいいのか、何科にかかればいいのかすら分からずに布団の中でのたうち回っているようなものです。

私は容姿が悪いことが悲しいと思って毎日泣き暮らしていましたが、何故、容姿が悪いと悲しいのか、どうすれば救われるのかわからないまま、容姿によって受けた理不尽について嘆き、無関係のものに八つ当たりし、自分の顔を美しい顔にするためにかかる費用や最新技術にばかり詳しくなる日々でした。

ところが、文章を書いて初めて、気付いたことは容姿が悪いのが悲しいのではなかったことがわかりました。私に一切の責任がないことに対して理不尽に馬鹿にされることへの憎しみと怒りを自分にぶつけていただけでした。自分の考えや思いを言語化して自分で読むことでようやく自分の欲求を理解することができたのです。理解してからは早いもので、一通り怒ったら結構落ち着きました。たまになんらかのきっかけでぶり返すことはありますが、また同じように適切な処方をすればいいのです。

オムツが濡れているのか、お腹が空いているのかわからずに泣くインナー自分をあやすのに育児疲れしていた中で、ようやく自分自身が快と不快のスイッチ以外の言語化という表現を得るまで成長してくれたような気がします。

自分のための一銭にもならない価値ある文章を書くためのコツはたった一つです。

とにかく格好つけないことです。自分に押し付けている理想を全て捨てた真実と向き合うことだと思います。

私は、自分自身が傷ついて怒っているという事実と向き合うことが怖かったです。

傷つくことも怒ることもダサいと感じていました。何を言われても傷つかない強い人間でありたいと思っていました。

でも、私はすごく怒っていて自分が避けたかったダサい人間だったという事実は変えようがないのです。事実がある以上、それを覆い隠してなかったことにするのは、もっとダサいし、意味がありません。

最初になりたいと思っていた物書き像は圧倒的才能によるセンス抜群の飄々とした文章で人を笑わせる人だったけれど、私の体の中にいたのは、正義感丸出しでいつも怒りに震えている戦闘民族で、身近にいたらちょっと面倒くさいような委員長って感じで。

でも、それしか自分がいなかったからもう仕方のないことなのです。私の作画が萩尾望都でなく、強いて言うならさいとうたかをであるのと同じくらい仕方のないことなのです。

他人に見せるためじゃない自分のための文章を恥ずかしげもなく公開している私は法に許された露出狂のようなものですが、それを読んでくれる人がいて、救われたと言ってくれる人がいて、私が一番救われていると思っています。

だから、ブスとメンヘラは金にならない文章を書け。

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