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第6話ー初めて文章化するNYCで暮らして学校に通った6年間ー10代の少女が感じたこと 「ほとんど分からなかった授業」

授業の内容を十分理解するには2年近くかかったと思う。理解したことでようやく質問や発言ができるようになって、教室に座っていることに意味が感じられるようになった。

好きな科目は特になかったが、物理に力を注いだ。文章が比較的簡単で、第1章はメートル法だったから。担当教師はしかめっ面をしたシスターだったが、いつもゆっくり話すので助かった。

生徒たちはメートル法で苦戦していた。「実生活で使わないのに何で覚えなければならないの?」と。これほど分かり易くて、覚えやすいのに、アメリカでは使われていないことに驚いた。これは半世紀たった今でもそうだ。

私は結局、最後までインチ、フィート、マイル、重さを表すオンス、ポンドなどの使い方が分からなかった。温度を表す華氏にも面食らった。今の天気予報を見ると摂氏表記も出てくるが、当時は華氏一色で、今日は70度と言われても全然ピンとこなかった。

ある時、その年の成績優秀者を発表する行事が講堂であった。科目ごとに生徒がステージに呼ばれて賞状が担当教師から渡された。私には縁のないこととぼんやり座っていたら、私の名前が呼ばれた。そして物理の教師から賞状を受け取った。「物理での進歩」という私のために特別に用意された賞だった。いつも、しかめっ面だったシスターが満面の笑みを浮かべて抱きしめてくれた。大きな拍手が聞えた。努力が認められた。他のどんな贈り物より嬉しかった。

ある時、教師の計らいで、成績優秀な生徒から英語の個人レッスンを受けることになった。ちなみに私の通っていた高校は4年制で、1年生のことをフレシュマン、2年生のことをソフモア、3年生はジュニア、最年長をシニアと大学生と同じように呼んでいた。

シニアの彼女の名前はモーリーン。背が高くて痩せたアイルランド系で髪はブロンド。メイクや装身具とは一切縁のない、優しい声をした真面目な優等生だった。同じ生徒とは思えないほど落ち着いた大人の雰囲気で、私にとっては「先生」だった。具体的にどんな勉強をしたのかは覚えていないが、彼女と過ごす時間は楽しかった。

もうすぐ卒業というある日、私は感謝の気持ちを込めてプレゼントを用意した。手作りの絵本だ。日本の国語の教科書に載っていたちょっと悲しいストーリーを英語に訳して、色鉛筆とクレヨンで絵を描いた。

当日、私が作りました、と言ってそれを渡した時の彼女の嬉しそうな顔と言ったら・・・・そして一読してから「一生大事にする」と繰り返した。今頃どうしているかしら・・・。教師を目指していたから、どこかの学校か大学で教鞭を取っているかも知れない。私のことは覚えているだろうか。

日本では手作りのものをプレゼントにすることは珍しくない。でも少なくともあの学校では、そんなことをする生徒、できる生徒はいなかったと思う。私は仲良くしてくれた大柄のヒスパニック系の生徒の誕生日のお祝いに手縫いのペンシルケースを贈った。すると大声で「わーい、Kaoriが私の誕生日のためにペンシルケースを作ってくれた!」と叫んで、ほら、ほら、と周りの人に見せた。もっとちゃんとしたものを作れば良かったと思った。

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