見出し画像

自分という深海に潜る

こんにちは。

私、昔からスキューバダイビングが好きでして

小さい頃から両親のダイビングに一緒について行き
初めて潜ったのは三宅島。

ガイドさんのオクトパス(バックアップ空気源)を咥え
台風が去った2日後の海へ。

もはや味噌汁みたいで
何にも見えないし
体は浮こうとするしで
何にも楽しくなく。

高校生になり
スキューバダイビングのライセンスが取れるようになると同時に
チャリンコでダイビングショップへ通いました。

実地試験は地元千葉の房総の海で。
インストラクターのお姉さんに
ソフトクリームを奢ってもらった
記憶しかありません笑

その後
獣医師になり仕事をはじめましたが

3年働いて
病院を変えることになったタイミングで
いまだ!と言わんばかりに
ダイビングショップに連絡を取り
住み込みでアルバイトさせてもらうことにしました。

2ヶ月ほど沖縄の北部で
雑用&送迎&たまにダイビングさせてもらう
という暮らしは
とっても快適でしたが

さすがにもう社会人になって
3年経っている私には

お金を稼ぐこともなく
何も生産していないのでは
という焦る気持ちが芽生えはじめ

2ヶ月がちょうどよかったな
と思うのと同時に

自分の中にある
社会の中の自分を考えているマインドに
驚いたりもしました。


さて、ただいま絶賛
認知科学に基づくコーチングスクールで学んでいる最中の私。

コーチたるもの
過去に棚上げしているものが
心にあってはいけないと。

以前、体の中の異常リンパ球に思いを馳せたりしましたが

どう見てもあそこに何かあるな
と海面から見ている私が
気づいていた

私の深海に沈んでいる沈没船の
解体作業を行いました。。



それは、、、
家族についてです。


両親と兄ですね。
正しくは父親は他界していますので
母と兄か。


本来は父親が理由で
夫婦の問題になるはずのことを
まだ多感だった
思春期の私だけが知っているという状態。


それを20年以上ずっと
私の深海に沈めたままだったんです。

死ぬまで沈めとくつもりではあったんですが

コーチになる覚悟とともに
もう解体してしまおうと思ったんです。


これはそもそも私の荷物ではないし
人のものを背負って生きていた方がいいと
あの頃の私は思っていましたが

すでに、20年。
もっと大切なものに囲まれているので
あとはもういいでしょ
よく頑張った自分。

父親に対する考え方が
母や兄と違う私。

そりゃそうでしょ、
みんな何にも知らないもんね。
が言えなかった20年。


私には父への感謝もありますが
恨みも軽蔑も悲しみも持っています。

でもそんな自分は嫌じゃない。
嫌なのは
何も知らない家族に誤解され続けことと
他人のどうでもいい荷物(いやもはやゴミ?)を
私の海に沈めておくこと

もはや不法投棄でしょ

そんなわけで
解体作業が終了して
1週間。

別に毎日変わらないけど
なんだか自分の海が少し綺麗になったような
また魚たちがたくさん還ってくる海になりそうな

そんなワクワクだけが残っています。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?