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8年アルゼンチンに暮らして想うこの国とタンゴと日本

この地球の反対側という、遠く遠く離れた地で日本を恋しく想うことはなんですか?と聞かれたら、その全てが詰まっているのがお正月(年末年始)な気がする。

日本の静寂さ、精神性、自然と生きる姿。
大晦日は、大掃除を必ず終えて迎えるもの(“お正月を迎える”ではなくて!)。一年の埃を払った状態、つまり全てを清らかにした状態で「一年」というものを敬意をもって送り出し「新年」を迎えるなんて、目に見えないものを大切に、清く正しく美しい姿で生きていきたいという気持ちの表れの最たるものではないだろうか。

日本で私が恋しく想う場所で、絶対アルゼンチンで見つけられないのが神社。必ず自然に守られて、自分を心を清め、目に見えない大きな存在への畏怖をもって、自分リセットできるような場所というのは、ブエノスアイレスで代替を見つけるとしたら頑張って植物園(大好きな場所だけど、神聖さは頑張って見つけ出さないと難しいのかも)…かな。

私は昨日の大晦日を、植民地時代のなごりの残る San Telmo でいつも通りの週末として過ごした。出店者は少ないものの、観光客でごったかえす石畳の両脇に延々と続く民芸や骨とう品のフェリア。
つつましい?私のパートナーは外食なんてもってのほかなので、準備したお昼を道路わきで食べる…のは、さすがに私が悲しくなるので、ブエノスアイレス誕生の地を記念したLezama公園まで行こう(それならピクニック気分になれるから)、と歩く、歩く。

実はここ、改修が行われるまでドラッグ中毒者の集まる公園だったので、自分もそんな治安の良いところに住んでるわけでもないパートナーでさえ「嫌な感じがする…。もうちょっと奥までいこう。」と言うのでしぶしぶもう少し歩いてお昼をとり、お昼寝を楽しんでいるところに、「撃たないで!撃たないで!! Amigo!(←友達の意味)」と言いながら浮浪者が近づいてくる。「どうしたの?助けが必要なの?」と心優しいパートナーが話しかけると、「僕は刑務所にいたことがあるんだ。もうあんな所には戻りたくないから物乞いをすることにしたんだ。」と言うので、自分もお金ないくせに人を助ける(これ、アルゼンチン人の好きなところ)パートナーが心ばかりのお金をあげると、ぼろぼろな姿のその人は「君たち結婚しなよ!」とか言いながら去っていった。

…と思ったら数分後に道端で数人の警官に囲まれているその浮浪者を見かけて複雑な気持ちになる私達…。

「この国は」と語る時、その人がどんなバックグラウンドで、どんな社会階級でどんな経験をして、どんな信念・思想をもっているかで全然変わってくると思うので、一概には言えないと思うけど、私はアルゼンチン生活を本当にお金のない状態でスタートして、ただただタンゴが歌えるようになることだけで突っ走ってきて、今は効率良く仕事をすることも覚え、多分、中流階級並みの生活ができていると思う。

日本でも噂になった?就任したばかりのアルゼンチンの新大統領の口癖は ”No hay plata!!” (金はない!)。長年、政府というものが自分たちの懐を肥やすことだけの政治をしてきたので、無政府主義を謳い、「今まで国が牛耳ってきた利権を国民に返す」とのスタンスで、省庁廃止や国営企業の民営化など、物凄い数の大変革を恐ろしいスピード(就任1カ月未満)で進めている。

多分、私のような中流階級者は生活が厳しくなると皆怯えている(経済が安定するためのショック療法なので、数カ月から数年の辛抱と政府は言っているけれど)。それより私が心配なのは、それより下の社会階級に属する人には「死ね」と言ってるようなものだと思うからだ。しかもアルゼンチンの貧困率は前政権で40%に達したはず。

毎回、大統領が変わる度に、とても日本では考えられないような根本的なことが変化してきたけれど(何種類もあったレートが急に一つになったり増えたり、海外からの衣服や食料が個人のものでも輸入とみなされ受け取れなくなったり解禁されたり)、今回ばかりは「国」というものの有り方の根底を揺るがす大変革を数百の法令を変更させる緊急大統領令を一気に発表して「何が起こるか分からない」と目くらまし爆弾の煙の中に追いやられているような状況で先の予測が全くつかない。

「何でこんな国に暮らし続けるの?」「どうして日本に帰らないの?」というのは、この国に辟易しているアルゼンチン人から私に向けられる至極当然な質問。実際、海外に行く余裕のある若者(若者の全人口の5人に一人…、つまり貧困層ではないということか)は海外移住しているというデータもある。

昔なら間髪入れずに、「本物の Tango はここにしかないから」と答えていたと思う。
でも、2023年はそれを見失っていたけれど、それでも日本に帰ろうとは思わなかった。
多分、私にとっては今のところこの国の方がのびのびと暮らせるからだと思う。

こちらに長く暮らした友人が、アルゼンチンに暮らす意味を失って日本に帰った…。
と思ったら数カ月でまた帰ってきた(笑)。「どうして?」と聞くと、「う~ん、アルゼンチンのこの広い青空が恋しくなったからかな。」と。嘘のように聞こえるかもしれないけれど、分からなくはない。

私は最初一年半アルゼンチンに暮らした後、本当に小銭を数えて野菜屋さんで何が買えるか悩むくらいまで貧乏になって、心もかさかさになっていた所、NYに住む友人が出産・ベビーシッターを手伝って欲しいと三ヶ月呼んでくれて渡米、そこから日本に一時帰国した。

その頃は、まだまだ「本物のTangoが歌えるようになりたい!」と情熱に燃えていたので、日本での生活は本当に苦しかった。あのブエノスアイレスなら街中で気軽に聴けて私の伴奏もしてくれるタンゴギターの音色は聞けないし、ブエノスアイレスでアングラなミロンガが好きだった私には、綺麗に上品にまとまった日本のミロンガはとても不思議に見えたし、容姿やレッスンで習ったことをちゃんとできているか、間違っていないか、を心配しすぎて自由になれない姿は、アルゼンチンに暮らす前の私を思い出させて少し心が苦しくなった。

その後、私はアルゼンチンに帰り、日本で?アルゼンチンで?認めてほしくて、様々なコンクールやフェスティバルに参加、上位入賞したり、皆からの応援を受けたクラウドファンディングで、到底こちらの普通の歌手ではできないような贅沢(一流のミュージシャンによるアレンジ、演奏、伝説のスタジオでのレコーディング、ミキシングetc)をさせてもらってCDを発表、その音源で作ったMVが色んな人の目に留まってラジオやテレビに沢山出演したり。私のドキュメンタリー番組が制作されると、沢山のニュース番組に呼ばれたり、と、とにかく突っ走ってきたこの5年。

まさかの、日本でないとどうしてもできない手続きが発生して、この三月に一時帰国することになった。今度は何を感じるだろう。
前回でさえ、もう日本には馴染めないな、と、半分外国人みたいな気持ちになったので、5年ぶりの日本(移住してから9年)は半分以上「外国」なんだろうな、もう。(しかも日本のテクノロジー的な進化の速さは想像するだけで怖い。)

パンデミックも終わり、ブエノスアイレスに来る人が増えてきた。その中でも、長期でTango留学に来る人達を見たり、連絡がくると言葉に困ってしまう。
Tangoを愛していればいる程、長く暮せば暮らすほど、この国で感動することと幻滅することが大きいことを知っているから。

私が来た頃、ちょうど日本に帰る直前だった私の尊敬するダンサーさん(彼女は美しいだけじゃなくて、すごく泥臭いブエノス仕込みの踊りをすると思うから)は、最後にあった時はすごく「やさぐれて」いて、どうしてだったのか今ならすごく良くわかる。

ブエノスアイレスでアルゼンチン人の中で日本人がTangoをやっていくというのはそういうことだ。私も師匠に良く言われたけど「”Japonesita”(日本人の女の子)のままじゃTangoは歌えないわよ!」。そりゃそうだ、Tangoはこの地で生まれたもので、この国の人達の文化や気質を理解しないと本物には近づけない。でもそれは“日本人の女の子”には苦しかったりもする。

今なら、「日本人でありながらTangoの表現を追求する」ことに価値を見出せるけど、それでも、やはりある程度の本質をつかまないとそこには進めない気もする。

もう一人、私が到着した頃に日本に帰った、物凄くやり手のダンサーさんも「だらだらこの国にいたってダメよ!ちゃんと期間と目標を決めて過ごさないとね!!」と友人に言っていたらしいのだけど、それも今なら、凄く凄く理解できる。

ピアソラの奥さんのアメリータが「スペイン語の分からない外国人にTangoの何が分かるってのよ!」と言ってるのを目の前で聞いたけど、それも本当にそう。本当に本当にTangoを理解したいならスペイン語を理解する必要がある。でも口の悪いブエノスアイレスっ子の言葉が分かるからこそ、アルゼンチン人やこの国の嫌なところがダイレクトに伝わってしまう。

昔は「本当にTangoが好きならこうすべき!」という思い込みがあったけど、今は本当に各自のTangoを楽しめるのが一番で、その方法を探せば良いんだよな、と思う。

日本で楽しく、仲間たちと素敵な先生たちと過ごす、数年に一度ブエノスアイレスに旅行に来て踊り尽くす、コンペで上位入賞を目指して頑張る、とにかくタンゴ音楽を楽しむ、アルゼンチンに暮らしてタンゴと心中(笑)する、アルゼンチンで修行して日本で頑張る、アルゼンチンで新たな生き方を見つける etc, etc.

「ねえ、お水ちょうだい!」とやってきた浮浪者一家の女の子が、次には「ねえ、そのクッキーちょうだい!」とやってきて、次には「ねえ、お父さんの分もちょうだい!」、次にはお兄ちゃんが「おい、クッキーよこせ!」とやってきて、あげないとスプレーを拭きかける。横では妹が「やれ!やれ!!」と叫んでる。(私のパートナーがつい先日経験した実話)

何が正しいのかを教わることのない、こういう子どもたちが人口の大部分を占めていく。政府は教育や文化を守るという(私にとっては「国」というものが果たすべき大切な役割)ことよりも経済の立て直しにやっきになっている。

もしかするとアルゼンチンの経済は立ち直るかもしれない。その代償に貧富の差は今よりも大きくなるか貧しい人達は存在すらできなくなって切り捨てられていくのかもしれない。

「お金がなくても文化が豊かな国」それが私が大好きなアルゼンチンの一面だ。
国一番の音響施設を誇るCCKで一流のタンゴミュージシャンのコンサートも聴けなくなるのだろうか、大統領の言うように「国民の手に返す」ことによってTangoはどう変化してしまうのだろうか。

そんな大変換点を迎えているアルゼンチンから、日本に一時帰国することで、ますますアルゼンチンに嫌気がさすかもしれない。
でもきっと、大好きな皆に久しぶりに会ってエネルギーをもらって、あの美しい精神性と道徳心、教養を培える日本で育ったことに誇りをもって、またこの国に帰って暮らし続けるための神様からのプレゼントな気もしたり。

日本で皆に会えること、楽しみにしています!

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