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【No.11】立ち止まる、ということ

私は振り返るのが嫌いだ。道を間違ったと思っても、引き返すことができない。そろそろと徐行運転もあまり、できない。とりあえず走ってみて、行き着いた先の景色を見たいと思う。

復職してからもずっとそんな感じで走っていた。そもそも離婚したいと思ったときに子供3人を育てる自信がなく、経済力、あるいはそれにつながるものを子育てという大義名分の前にことごとく手放していたことに気付いて歯がみをした。

離婚したいと思ったときにしたい! 引っ越したいと思ったときにしたい! 海外に行きたいと思ったときに行きたい! 

夫の名誉のために言っておくが、決してDV夫とか生活費を入れないというわけではない。ちゃんと食器を洗ったりとかもする。私は、私のために自分の足でちゃんと立ちたかった。それがなくては、チャンスがあった時に全力疾走できないし、本当の意味でのエンパワメントではないと思ったから。いくら主婦が子育てという貴重な経験を得ていると言っても、人間力という意味では大きな成長をしていると声を大にしても、経済社会には認めてもらえない。

子供を学童に通わせたり、実家の近くに住んで、なるべく子供たちの生活に変化をもたらさないようにと思いながら、仕事をしてきた。一人でも多くの女性がフルタイムで働いて、働けるんだと証明することは、日本社会の48歳の3人の子持ち主婦が復職するときに役立つんだと自ら叱咤激励し、認めてもらおうと必死だった。

でも、今になって思う。子育てを夫婦でするという協力関係もなく、ただただ実母と二人で必死になって、子育てと仕事を両立させようということ自体に欠陥がある。そもそも48歳の主婦が実家の協力を得られる人ばかりではない。退院してきて、しょんぼりしている私に長男が言った。

「できると証明できなかったことに、できなかったと証明したことで、お母さんはちゃんと社会システムの欠陥を証明している」

良く分からない。分からないけれど、なんだか受け止めてもらえたような気がして泣けた。ウイルス性腸炎で1週間絶飲食というだけで、体の表面がシワシワになっていて、しかも高熱でPCR検査に行ったときに派手に転んだみたいで足が黒くはれ上がっていたのを改めてみて、さらに泣いた。

アホみたいだけど、その時に初めて、人生で初めて立ち止まって考えた(いや、アホみたいじゃなくて、相当なアホですな)。高熱でうなされながらも、いろんな思いを走り書きをしていたノートを広げて「これにしよう」と思った。

「足るを知る」。右肩上がりの成長とか、そんなところとは決別した「知足」のビジネスをやってみたいと思ったのだ。私と、私の子供たちがこの資本主義社会の中で幸せに生きるだけの糧を得ること。将来、誰かが一緒にやりたいと言ってくれたら、その人とその周りの人が幸せになるだけの糧を得られればいい。それ以上は求めない。ピリオド。

かなりスローに一歩ずつ、でも楽しく歩み始められた気がする。


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