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【No.13 クッキー屋さんの起業までに思ったこと、いろいろ】

起業して1カ月が経った。売上はまだまだ小さいけれど、自分の手で何かを作り出すのは、やっぱり楽しい。実は、今回の起業に至るまでにも、クッキー屋さんをやりたいなと思うことがあった。

「1枚100円のクッキーを何枚売ったら生計立てられるんやろな」。その時は、計算が早くて、いつも的確に毒矢を放ってくる姉の言葉に思いとどまった。

走り出してみて、その言葉の重みがドスンと胸にこたえた。復職する前にやっていたフリーライターは、ほとんど経費というものがなかったのに比べて、クッキーを販売するとなると、材料費や梱包材などこまごまとしたものが必要だ。週に3万円のクッキーを売ったとしても、手元に残るのはいくらだろう……。

でも、ライターに戻るつもりはなかった。フリーランスの賞味期限は男性より女性の方がずっと短い。韓国のフェミニストであり、コミュニケーションディレクターのキム・ジナの『私は自分のパイを求めるだけであって人類を救いにきたわけじゃない 』をたまたま手に取って、フリーランスとして仕事をしてきた数年間に感じていた違和感が腑に落ちた。(この本すごくオススメです)

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そうそう。3人の子供を出産するたびにライターの仕事は減っていった。リーマンショックで仕事の量が落ち込んでも、景気とともに回復するかと思いきや、私がやっていた仕事は別の編集者が担当をするようになり、若いライターを使うようになったんだ。

自分も編集をやっていたことがあるからわかるけれど、自分よりもずいぶんと年上の人に仕事を外注するのは気が張る。安いライターが巷には転がっているのだ。何を好き好んでオバハンに仕事を頼まなければならない。昔の私だったら、そう思っていた。だから、腹を立てることもなかったし、別に悲しみもなかった。書きたいという欲はまだまだあるけれども、もっと別の形で仕事にしたいと思った。

それよりも、今はとにかく「経済的な自立」が喫緊の課題なのだ。

マルクス・フェミニストを標ぼうする息子が言った。「それは垂直分業ということだと思うよ」。

彼によると、家父長制のもとの男女間の仕事の分業は、植民地時代の宗主国と植民地の国と構造的には同じらしい。無償報酬に等しい評価しか得られない家事労働と植民地の安い労働力、社会的な地位や給与という目に見える形での報酬と、宗主国の絶対的な権力や産業化に裏付けられた資金力をなぞらえると、なかなかにその仕組みから抜け出すのは難しいのが分かる。

もちろん、男性と同様の地位と金を目指して組織に属するというのも一つの手だとは思うけれども、それには世界の中でも珍しいほどのエイジズムとセクシズムが蔓延る日本では難しいなというのが色々と壁にぶち当たる中で実感してきたところ。

もしかしたらクッキーを売るだけでは、私の夢は実現できないかもしれない。でも、もしかしたら私の奮闘は2人の娘という次の世代につながるかもしれない。

母の世代はどちらかというと足を引っ張りたがる。「子供は3歳まで手元に置いておかなくちゃね」、「そんなに必死になって働かなくても、旦那さんがしっかりしてくれてるやろ」、「子供は母親が家におらんとねぇ」……。色々言われてきたけれど、自分の代でこれを断ち切ればいいんだと思う。

色んな考え方の人はいるし、すぐには変わらないだろうけれど、次の世代が生き生きと輝くために少しずつ、一歩ずつ。


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