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ここにあること



人や場所のもつ
空気、温度、においに
敏感になって

いつからか 人の心の温度が
上がったり下がったりするのが
なんとなくわかるようになった

目に見える表情や言葉が
素直な感情とは限らない

でも心が動いた感覚は
そのまま伝わってくる



こどもの頃
自分のことに精一杯で
挙動不審になりやすく

周りを見渡し誰かを慮る
余裕がなかった

母や周りの人に
それを咎められ

言われなくても
いろんなことに
気がつかなくてはと思っていたら
感性の殻が破れたような気がする

目の前の人の
温度が下がる感覚が嫌いで
なるべく上がるような態度を
心がけることで自分を守っていた

もちろん本当の意味では
誰も守れていなくて

望んで得たにもかかわらず
感覚過敏にでもなったようで
上手く扱えず手に余っていた


自分がそうだと
断言はできないけれど
HSPという言葉が
世に浸透し始めたとき

救われる人は
多いのではないかなと思った

こういう感覚は
程度の差があっても
誰しも備わっていて


上手く使ったり、
鈍くしたり
研ぎ澄ませたりしながら
生きているのかなと思う

最近は感覚が自分になじんでくれて
穏やかさを保てる時間が長くなった

うけとる感覚が
すべて正しいわけではない

自分の経験や性質などからくる
うけとり方の癖のようなものは
少なからず存在していて、


誰かの気持ちのすべてを
わかったような気になってはいけない

そんなあたり前のことが
いつも心の片隅にあった







花から、色から、絵から

いろんなものから
温度を感じとる

過敏だと感じていたものを
最大限研ぎ澄ませて
言外のものをうけとっていく



そこで感じる自分の感覚を
どこまで信じていいか
わからなかった。

この感覚を言葉にしたら
誰かの心を「決めつけ」
「わかったような気」に
なってしまうようで

けれど自分の感覚を
信頼しないと始まらない。
その加減がむずかしく、
相談してくださる方に対し
自信を持てなかった。


健全な自信は必要だけれど
自信をもちすぎてはよくない


ゆらゆら揺れる私に
まっすぐ届く方法で
ある時
胸を張ろうと思える
出来事がやってきた。

それはとても些細なことで、
けれど私にとっては

ありがたく
まっすぐうけとらなくては
と思わざるを得ないような
奇跡みたいな贈り物だった。

あまりにささやかで、
けれど決して私が軽んじたり
かわしたりしない、できない
あたたかな流れの中
起こったことだった。

今ここに生き 感じ
うけとるものとして、

ひとつの可能性を
軽やかにささやかに

できるだけやわらかに
よりそえる温度で
言葉にし差し出す

そのことを自分にゆるそうと思った。
感覚の正しさとか自信の程度でなく

この感覚がここに在ること
それを届けること
私という感覚がそこにあることを
ゆるそうと思った。



ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー 



書けないような、書かないような。
しばらくそのどちらも感じながら、

久しぶりに
書きたいことをいくつかだして

ひとつひとつをさっぱり短くし
全部書こうと思ってはじめたら

最初のひとつ目で終わりました。


私はずっと漫画を読むことが好きで、
それは今も変わらないのですが

何度も読んだはずなのに
久々に読み返したら
新たに琴線に触れる
ところがあったり、

気づかなかったことに気がついたり
また ちがったうけとめ方や解釈が
生まれたり。


登場人物のこころの動きと一緒に、
私のこころもうごいていく。


そんなことをしていたら、
私のこころの動きも
かたちにしていいかなと
思うことができました。


今日はセラピーをするとき
どんなふうに健全に在るか
揺れていたときうけとった
贈り物のことを書きました。


書ききれなかったことも
また、書けたらなと思います。

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