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私がライフスタイルデザイナーであり続ける理由【生い立ち〜現在のストーリー】

はじめに

どうやら私は「自分らしく暮らすこと」に人一倍強いこだわりがあるようです。我ながら「私ってめんどくさいなぁ」と思うこともあるほど。

13年間も不動産やリノベーションに関わる仕事をしていたし、今も「自分らしさ×暮らし関連」を一生の仕事にしたい」と思い、活動しています。

実は私自身が長い間、暮らしている場所や住んでいる家への違和感に悩まされていました。「自分らしくいられる場所に住みたいけど、具体的なイメージがない」という夢見る夢子なのかなんなのか‥という時期がありました。

それから3年後(2017年)、移住という形でようやく実現した「自分らしい暮らし」。

それを振り返ったとき、大切なことに気がつきました。それは、「家探しや街探しの前にやるべきことは自分がどんな暮らし方を心から望んでいるのかを明確にすること(=ライフスタイルデザイン)が肝だということに。そしてそれが一番難しかったですね。

その頃から、『ライフスタイルデザインを通して幸せに暮らす人のサポートをしたい』と思うようになりました。そしてなんのあてもなくライフスタイルデザイナーとして活動を始めたのが2017年。移住相談や移住コンサルティングを中心に活動を始めました。(ライフスタイルデザイナーという職種があるわけではなく、自分でつけた呼称です。

活動内容は「今の生活に違和感があって、自分らしく暮らしたいけど、どうしたらいいのかわからない」という人のために妄想から実現までを伴走サポートすることを中心に行っています。

最近、なぜここまで「自分らしく暮らすこと」にこだわっているの?と聞かれることがあるので、その理由をまとめてみました。(過去の自分をさらけ出すことになるのでとても恥ずかしいのですが、勇気を振り絞って‥)


中屋香織がライフスタイルデザイナーであり続ける理由

私は静岡県の浜松市に生まれました。畑と田んぼに囲まれた住宅地です。父は大手自動車メーカーの会社員。母は職種を変えながら正社員として働く共働き一家の長女として生まれました。

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私の住んでいたところは、田舎によくある近所の付き合いが盛んなところ。お隣さんのお葬式の時には、自分の家を貸さないといけないという風習もあるくらいでした。

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今だから言えるのですが、当時の私にはちょっと息苦しいところもありました。私がどこで何をしていたか、近所の人の口添えで親に伝わるということも・・・。なんとなく近所の人たちに、監視されているような感じがしていました。


田舎では目立ってしまう子どものころ

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小学校時は、おてんばな子と言われていました。家の中にほとんどいなくて、日が暮れるまでずっと外で遊ぶのが好きでしたね。ただ田舎ではちょっと目立ってしまうようで、イジメにも合いました。イジメる人たちは、みな一緒にいようという村意識があったのかもしれません。

私は「自分は自分」というタイプ。中学生になってもよくケンカしていたなぁ。よく先輩に呼び出され、やられればやり返すという感じでした(笑)先生にもカワイがられるようなタイプじゃなかったですね。

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高校は地元ではちょっとした進学校ということもあり、クラスメイトは真面目な人ばかり。みんなと同じ行動するのがつまらないし、学校の授業に興味も持てませんでした。

何かワクワクすることしようと思い教室を抜け出したりしてね。先生に目をつけたられて何かと叱られていました。(そういえば高校1年の時に没収されたピアス、返してもらってないな・・)

もっと自分らしい生き方がしたい

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大学に進学するときは、家を出ようと決めていました。父も厳しかったので、実家にいては自分らしく生きることができないと思ったのです。

そこで東京の大学に進学し、OLをやってみるのもいいかなと思い、そのまま東京で楽器卸商社に就職しました。この会社で今の主人と出会い、入社5年目に寿退社しています。

3ヶ月で挫折した専業主婦の生活

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結婚してすぐに専業主婦となりました。社会との繋がりがなくなった感じがして、孤独感がハンパなかったですね。ちょっとしたノイローゼみたいになり、3ヶ月で専業主婦は挫折。主人も「あなたは専業主婦できるタイプではないでしょ」と言ってくれましたね。


自分の居場所を快適にしたい想い

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空間作りみたいなものに興味があったので、職業安定所の紹介で「職業訓練校_住宅リフォームアドバイザーコース」に通うようになりました。実家暮らしのころから、家の居心地は悪くても自分の部屋だけは心地良くしようという思いがありました。カーテンを作ったり、レイアウトを変えたりと工夫していましたしね。

このころの私は、住宅リフォームの営業をやりたくなっていました。
ほんとうの目的は内装提案をしたかったからですけどね。

空間づくりへの第一歩

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「女性が活躍しています」「仕事が丸々インテリア」という広告を見て、中古マンション買い取り・再販業界では神奈川県売上トップの不動産会社に就職することになりました。

街の不動産会社にひたすら飛び込み営業する業務。物件仕入れのため業者まわりの日々が続く、かなりストレスフルな仕事でしたね。

私が家を仕入れると売れる理由

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入社早々から私が仕入れをしてリフォームをした物件は飛ぶように売れました。多くの男性営業マンたちは、その家でどういう暮らし方をするとか興味がない。なので、賃貸リフォームと同じように内装してしまうのです。私はまったく違いました。

新築マンションのモデルルームにも足しげく通い研究を重ね、インテリア雑誌もむさぼるように読みました。居心地のいい空間に住みたいと子どもの頃から思い続けて育っている私ですから。住む人に居心地のいい空間を手に入れて欲しいという思いは人一倍強かった。

それがよかったのか私が家を仕入れ内装デザインをすると、すぐに売れるようになりました。

6年間で180戸 住む人に合う究極の空間づくりを提供した自負

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6年間で私の住宅販売戸数は180戸にものぼります。リノベーション予算は限られていました。限られた中、どこにお金をかけるかを徹底的に考えました。やがてキッチンや収納の改良、生活導線に沿った間取りなど、女性ニーズに合ったリノベーションノウハウを身につけることができました。
街を散策し、リアルなお客さまのイメージを作り、自分だったらういう暮らし方をここでしたいかということを考えることが楽しかったです。
古い物件を蘇らせることが得意になって、相場よりも100万円以上高く売れることも多かったですね。


人生の試練「乳がん」

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34歳の頃、子どもを授かり出産後8ヶ月で復職しました。幸せな日々を過ごしていたところ、私の人生の転機とも言える衝撃的な事件が起こります。

「乳がん」が見つかったのです。私はこのとき、初めて「死」というものを意識しました。告知から手術までの2ヶ月の間。私は自分の生き方について徹底的に考えました。

生き方についての本を読みあさり、行きたいイベントとか交流会とかお茶会にも通いましたね。自分が今まで知らなかった世界の人の生き方を感じ取りたかったのです。

そして手術の日が来ました。麻酔が効き、薄れゆく意識の中で「これで私、死ぬかもしれない」「このまま目が覚めなかったら(娘よ)ごめんなさい」と頭に浮かんだことを今でも覚えています。

病室の天井を見つめながら・・・

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幸い手術はうまくいき私の目は覚めました。術後、体が動きませんのでずっと天井を見ていることになります。

「こんな景色を見るために生きているわけではない」と思いました。

病室の窓の外は壁。聞こえてくる音は機械の音。窓も空けられない人工的な空気・・・。管理された箱の中にいるのは、生きた心地がしなかったです。

早くここを出て、自分の心地良いと思える空間で暮らしたいという思いが強くなりました。

病気が気づかせてくれたもの①【今を楽しむ】

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私はガンを患ったのが、娘でも主人でもなく私で良かったなと思っています。私であれば、余命がもし短かったとしても、残された時間を思い切り楽しみながら使いきればいいと思ったからです。

「今を楽しむこと」

病気が教えてくれた1つ目のキーワードです。くよくよ悩んでも、病気は治るわけではない。いつ途絶えるかわからない命。今この瞬間を楽しむことが大事なのだと気づかせてくれました。
私のライフスタイルデザイナーとしての礎(いしずえ)となっている理念
でもあります。

病気が気づかせてくれたもの②【お金では買えないもの】

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私は主人の収入だけで節約生活をするというイメージは持てませんでした。だったら稼げばいいかという感じでずっと結婚後も働いていました。年収も1200万円以上となり、外から見るとバリバリのキャリアウーマンに見えたと思います。

当時の私は時計・服・バッグなどを買い、仕事のストレスを発散していたりもしました。ところが病気が完治して職場復帰したところ、今までいっしょに働いていた人たちが別世界の人に思えました。

同僚たちは私生活よりも仕事を優先しているような人たちです。心が病むか身体が悪くなるかで突然、会社に来なくなる人もいました。亡くなった人もいまして・・・。

以前の私はお金のために無心で働いていたのですが、「お金では買えないものがある」と気づいたのです。

お金はただのツールであって、お金を稼げば幸せになれるというのは幻想。幸せになるためには、お金だけではないということに気づきました。病気が私に気づかせてくれたもうひとつのことです。職場復帰して3ヶ月後、私は辞表を提出していました。


心地よい空間さがし始動!

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会社を辞めて失業保険をもらいながらフラフラした3ヶ月間。カフェ探しをしていました。カフェは心地良いからです。自分の心地よい空間を探し求めていた感じですね。

そこであることに気づきました。

「誰かにいい感じのカフェをやってもらいたい。」
「友だちにも近くに住んでいてもらいたい。」

そんなことをぼんやり考えていたら、これって不動産業しかないなと思いました。

・空間と人をつなげる
・街と人をつなげる


この2つを自分がやれば欲しいと思ったカフェも作れるし、会いたいと思った友だちとも気軽に会える空間が作れるなと思いついたのです。

そこでこだわりのある人と、こだわりのある空間をつなぐことがコンセプトになっている東京R不動産https://www.realtokyoestate.co.jp/に魅力を感じ、転職を決意しました。

「街づくり」を実現している人との出会い

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東京R不動産に入社することで、私がぼんやり思い描いていた街づくりをすでにやっている人たちに巡り合うことができました。私も不動産業とは別に、街づくりの活動の方にも積極的に関わるようにしていました。とは言え、街づくりだけでは私の収入につながりません。

自分がどういう不動産のプロになるか、どういうお客さまに対して価値を提供したいのかをずっと考えて仕事をしていました。


コスパが悪すぎる都心の生活

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お客さまを案内していく中で、都心部はあまりにもコスパが悪すぎるということに気づきました。家賃も15万円とか・・・。それくらい出さないと心地良い空間には住めないのです。


そこでちょっと郊外に広げてみると、同じような空間でもグッと価格が安くなることに興味を持ちました。1日3000件の物件リサーチを毎日のように続けていたのですが、当時は物件だけではなく、街全体を見るようになっていました。

住むとしたら、どの街が自分に住みやすいかという視点が加わっていたころですね。物件が良くても街が自分にフィットしないと思ったら、そこの物件は住むべきところではないと思うようになりました。

住まいの違和感

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東京R不動産で働いていると、住まいにかかる費用と、自分が快適と思える空間の家に隔たりがあることにも気づきました。

当時の私は主人の実家に同居していました。しかも高級住宅地に名を連ねるようなエリアにあります。住まいにこだわらなければ住居費ゼロ。人から見たら恵まれたところに住んでいたにも関わらず、あるモヤモヤが私の中に浮かんでいたのです。

そのモヤモヤのひとつはご近所との交流がないことです。お隣さんとの会話がないというのは違和感でした。また近所の歯医者さんも挨拶してこない。私が子どものころに住んでいた街とは真逆の世界です。

誰も何も言わない代わりに、誰も積極的に関わってこない。コミュニティとして存在したのは、老人クラブみたいな自治会だけでした。

私はペットじゃない!

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私が以前住んでいた街は、東急が作った街です。そこにあるものは、ほぼ東急の管理下です。買い物は東急ストア。バスもテレビもセキュリティーも東急系の会社。
ここに住むこと自体が「東急のお客さん」だと感じました。

一戸建てで密集しているのにお隣さんとの交流もほとんどなし。自分たちで街を作っているというよりも、作られた街で飼われているかのような感覚になりました。
これは私の住む街ではない。
そう確信したのです。主人との両親との同居についても、価値感の違いというか生き方の違いのようなものを感じ、主人と相談の上ここを出ようと決めました。

やっぱり街づくりがしたい

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「どこに住めばいい?」「どんな家に住めばいい?」私にはまだそのイメージがまったくつかめていませんでした。

主人からは「東京の今の仕事を辞めて、移住先で仕事を探すイメージはない」と言われています。そこで主人に2拠点生活を提案しました。まずお試しだと思って主人を東京に残し、私と娘だけで1ヶ月、実家(浜松)に住んでみました。

あらためて住んでみると、実家の近所は閉鎖的な昔のイメージがあまりにも強すぎました。ここは私の住むところではないということに気づけました。また、街づくり活動をしているコミュニティがあるところに住みたい気持ちも強くなりましたね。

海の見えるところがやっぱりいいなとか・・・。娘もパパと日常的に会えなくなることに寂しがりまして、お試し住みをしたことから自分の住みたい街のイメージは鮮明になりました。


私の人生の転機キーワード「移住」

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この頃になると「移住」というキーワードが自分の中で鮮明になってきました。東京R不動産を辞めるまでの半年間は、移住の家探しをするための時間に費やしています。

住居費と自分が快適と思える空間のある家を考えると、東京だとそれが叶わないのは明らかです。

私が移住先としてこだわったポイントは、

・予算内であること。
・自然があること。
・畑が敷地内にあること。
・景色が良いこと。
・街として魅力的で、将来的なポテンシャルを感じること。
・街づくりに参加できること。
・自分と同じような価値観のある人がすでに住んでいるところ。
・自分たちの欲しい暮らしを一緒に作っていく仲間がいること。

というものでした。

「熱海」との出会い

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当初、私が現在住んでいる「熱海」は頭にありませんでした。観光地というイメージと、ちょっと東京から遠いのではというイメージがありました。

今は全国でリノベーションまちづくりというものをさまざまな街が行っています。Facebookを通じて熱海でもやっていることを知りました。たまたま参加している人たちが、私の周りに数人。彼らから熱海はまちづくり活動が活発ということを聞き、出向きました。

そこで街づくりをやっている社長さんと繋いでいただいたのが運命のようなもの。社長さんに自分の暮らしのイメージをお話したところ、「中屋さんのしたい暮らし方ができるところは熱海にもあるよ」と言われました。

その後は、「熱海に興味がある。何かイベントがあったら教えて!」と周りの人たちに言い始め、色々なイベントに足を運びました。そこで知り合いがどんどん増えていきましたね。

主人の心を動かすキッカケ

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主人は最初、私の気持ちとは裏腹に、あまり移住に乗り気ではありませんでした。しかし「今の家に住み続ける選択肢がないならば、どこかに家を買うしかないな。でも自分の住みたいところとかは特にない」というようなツレない感じ。

そうこうしているときに熱海のお祭りに呼んでいただく機会がありました。主人といっしょに出かけたのですが、偶然、熱海に住んでいて仕事のために東京に通っている人がいたのです。主人はその方に入念に様子を聞いていました。

そこで「実際に熱海に住んで東京で働いている人がいるんじゃ・・・断れない感じになってきたな」と言い出したのです。「ちょっとこの街で探してみようと思う」という感じになり、熱海への移住が決まりました。

移住を実現して気づいたこと

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自分が移住を経験した時に、知りたい情報を手に入れるのが大変でした。実際に足を運ぶことで情報を仕入れることになります。

人と繋がることから知り得た情報もありましたが、時間がかかります。物件情報も熱海は多くありません。不動産会社を一軒一軒まわらないとなかなか見つからないのです。私は住まい探しのプロなので出来たけれど、普通の人が自分で移住先探しをすることは、結構ハードルが高いと思いました。

私が熱海に移住すると、移住を考え始めた人からの相談が後を絶たなくなりました。前職が東京R不動産にいたという信用もあり、人から頼られることが増えていきましたね。

地元の不動産業者に相談に行かず、私を頼ってくれるのがうれしかったです。そんな人たちの役に立ちたいという気持ちがふつふつと湧いてきました。

ライフスタイルデザイナーとしての生き方

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移住をぼんやり考え出した人たちから質問されることは、

「ご主人は反対しなかったの?」
「お子さんは友だちと離れるの、さびしがらなかった?」
「仕事はどうすればいいの?」
「私にあった暮らし方ってどういうもの?」

という、物件がどうのということ以前の問題が圧倒的に多かったです。通常では不動産業者には相談できないようなことばかり。生き方やライフスタイル全体の相談にのることができるのは、私しかいないと思えたのです。

そこで私は、自分らしく暮らすまでの総合サポートを行うライフスタイルデザイナーとして起業を決意しました。

ライフスタイルデザイナーとしての使命

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私は不動産と人を繋げるだけということはしたくないのです。その人の生き方や暮らし方をちゃんとヒアリングし、生活しているイメージできるところまでを考え、物件提案していきたい。

山がソーラーパネルだらけになったり、景観を壊した建物が建ったり。私の身近でも起きています。私はこのようなことが起こることがいたたまれない。その街に住む人すべてが笑顔になることをしたい。

それが私に課せられているライフスタイルデザイナーとしての使命です。

不動産業者に誘導され、住み心地の悪い家に住むことになるとか、売るに売れない物件を買ってしまうことがないようにお手伝いできたらいいなと思います。まちと人と不動産の適切なマッチングを通して、笑顔で日常を過ごす人が増えることを願って・・。

以上が私のライフスタイルデザイナーであり続ける理由です。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ライフスタイルデザイナー 中屋香織


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