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「嫌いな人」との歩き方


こんにちは。
今日は「簡単に離れることはできないけど、どうしても好きになれない人」について。

家族、どこかのコミュニティ、社会の中で、時にはどうしても、嫌いな人・苦手な人・なんだか嫌だなと思ってしまう人がいたりするものだと思います。

心の中にそういう存在があることで、自分の心の広さに対し未熟さを感じたり、自分を責めてしまう場合もあったりしますよね。

今日はそんな存在の人に対し、どう共存していくのが良いのか、そんなことについて私が思っていることを書いてみたいと思います。

ちょっと複雑なことを書きますが、「嫌い」という感覚は、その人を意識し、その人に少し囚われている感覚だと感じています。

似たようなニュアンスを含めた言葉に「無関心」という言葉がありますが、無関心って自分の心が消費されていない状態だと思いませんか?

誰かや何かが心の中の「嫌い」という枠に入っている状態は、特に入りたてほやほやの時、「無関心」と比べると、何かしら心が費やされている感じがします。

何だかお坊さんの域に入ってしまうような話の流れになってきました笑

でも、急に無関心になるなんて、それこそとても難しいことだと思います。
嫌いになるまでに、色々な出来事や切っ掛けがあったのだと思うのです。。


嫌でたまらない人が出来た時は、いっそのこと嫌いになるのではなく、その人の在り方や思考は認めて、自分とは違うことを理解する。

これが出来たら一番良いのかなと思います。

そして、自分がその人と一緒にいると心が乱れるようなら、今までよりもっと距離を置いてみる。
物理的な距離を置くことで、心の安定が得られることが結構あります。

嫌いだけど、完全に断ち切ることはできない。

そんな関係が世の中には沢山ありますよね。
そして、そんな時は、無理して断ち切らないで良いと思うんです。

一緒に歩きながら、その人の生き方も尊重する。
だけど自分はそうではないと思えば、「そうではない」と思う気持ちも大事にする。

自分の全てをその人に合わせなくていいんです。


どうしても合わせる必要がある場合、心の中では「自由」でいましょう。
そして、心の中は自分の意見をちゃんと持っている、ということを忘れないようにしていきたいな、と思います。

貴方は貴方。私は私。
そう思うことが必要な時って、沢山ありますよね。

そして、そうできたらどんなに楽か、と思う時も沢山あります。

嫌いで煩わしくてどうしようもない時は心の中がその人でいっぱいになっている時。
そして、その人のことを考えれば考えるほど、自分の心も疲弊していってしまいます。

「嫌い」という自分の熱で、自分の心がさらに傷ついてしまわないよう、心の中のその人に費やす度合いを、少しゆるめていくことができたらいいな、と思います。

自分の「心」を大切にしていくために、色々な方法を取り入れていきましょう。

最後まで読んで頂きありがとうございます。
今日も、素敵な一日をお過ごしください。


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