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空海「三教指帰」

空海が初めて著した書。三教、つまり儒教、道教、仏教のどれが一番正しいのかについて、それぞれの教えを説くものを登場させた小説風な書。
結論としては仏教が最も正しい教えであると結論づける。
漢学の素養豊富な空海であるため、そこからの引用が山盛りである。

何故読みたかったかというと、数年前に僕も参加して走った高野山金剛峯寺までのトレイルランニングレースのコースである「Kobo Trail」がまさに空海の歩いた道であり、そのゴールである高野山が彼が教えを説く道場に相応しい場所であるとの夢告がここに書かれてあると聞いていたので……。
もうひとつ、空海は僕と誕生日が同じなので(6月15日)。


序章は何故この書を書いたのかという空海の説明である。

秀才であり、親戚のコネもあり京の大学寮で真面目に勉学に励んでいたが、1人の仏道修行者から『虚空蔵菩薩求聞持法教』について教えてもらってからそこに書かれてある超能力を得たいと考えるようになり、京を離れた。
そして、郷土の四国各地で激しい修行を行い、ついにその技を我がものとすることができた。

それからは、宮仕えや富貴の愚かさを知り仏道修行に邁進するようになった。
ところが親戚からはその生き方を否定されたため、なんとか仏法の重要さを知らせたかったため、また、出来の悪い甥がいてそれを矯正するためにこの文章を書いたのである。
とのこと。

虚空蔵菩薩求聞持法を獲得するくだりは、司馬遼太郎の「空海の風景」にも書かれているが、なかなかドラマチックなのである。
洞窟で修行していた空海の口の中に洞穴の外から飛び込んできた光の玉が口の中に入ってきたというのである。
それからの空海は、目にし、耳にしたものは全て記憶できるようになったのである。
ということはこの「三教指帰」には書かれてなかった。

さて、本文。

登場人物は兎角公(とかくこう)とその甥で放埒な生活をする蛭牙公子(しつがこうじ)、教えを説く儒者亀毛(きもう)先生、道教隠者虚亡(きょぶ)隠士、仏教修行者仮名乞児(かめいこつじ)。
儒教、道教とその内容の説明により蛭牙公子を諭していく。

亀毛先生は中国の古典から日々の生活を改め、忠孝を進め、学び生きていくことを説くが、それを聞いていた虚亡隠士がそれよりも仙術を身につけ、長生きをし他方がよほど素晴らしいと説き、兎角公、蛭牙公子、亀毛先生は恐れ入る。

そして、場面が変わって仏道修行に励む仮名乞児のことが記される。この仮名乞児は空海その人を表している。
兎角公の屋敷で亀毛先生と虚亡隠士が言い争っているところに現れ仏教の素晴らしさについて説く。
(ここで、儒教も道教も仏教の一部であり、釈尊が儒童、迦葉という弟子をそれぞれ孔子と老子に姿を変えさせて遣わしたと述べている。これは初めて聞いた話だ。仏道を説く前の地ならしとしてこの二つの教えを広めたとしている)

地獄と天国について、釈尊について、「無常の賦」という詩によってこの世の無常についてを説く。
これを聞いて四人は恐れ慄き仮名乞児にひれ伏し、釈尊の教えに従うと指導を求める。

仮名乞児は「生死海の賦」にて改めてこの迷妄の世界で魚、鳥、獣が本能のまま生きており、同じように人が生きることを戒め、菩提心を起こし、正しい生き方を行うべきだと説く。
そして、釈尊の事績を説きその素晴らしさを示す。

菩提、涅槃の境界は儒教や道教の教えよりも尊く恐れ多いことを亀毛先生も虚亡隠士も知る。

最後に仮名乞児は「十韻の詩」という詩にて儒教、道教も教えの一つとして挙げられるが、仏教はそれにも増して素晴らしい、と述べて文章を終える。
この最後の部分は空海の世俗の立身よりも仏道修行こそが最も大切なことであり、そこに邁進するという決心を述べているのだ。

話としては単純だし、かなり我田引水な筋ではある。そもそも仏教と儒教や道教を比較して論じるのは無理があると思うけど、あの時代はそれが可能であり、空海にとっては必要なことだったのだろう。

この文章で甥っ子を善導できたかどうかはよく分からない。

そして、高野山への道のりについては何も書いてない……別の書だったか(笑)


空海は24歳でこの書を著し、31歳で入唐するまで何をしていたかわからない。しかし、さまざまな仏教教典にあたっていたとのこと。
そして「大日経」と出会い、悟りを理屈だけではなく知情意の全てで感応することに強く惹かれる。
しかし、サンスクリット語は分からないし、今日に記されている「図像」「印」「法具」については全く理解できないため、唐にわたることを決めたのである。

20201208

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