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ジャンダルム彷徨

 (2020年 第29回岐阜県民文芸祭 入選作)

  1

 午前五時過ぎ、会社の仲間と新穂高温泉を出発した。

 駐車場の都合で二パーティーに分かれ、僕は先行の五名のパーティーを追って僕は残りの三名と共に歩き始めた。

 四方は山に囲まれているのでまだ薄暗いが、頭上の空は明るく、すでに夜が明けているようだった。会社の仲間との北アルプス登山、初日の今日は「新穂高温泉~白出沢出合~奥穂高岳頂上~穂高岳小屋(泊)」、二日目が「穂高岳小屋~北穂高岳~大キレット~槍ヶ岳頂上~槍ヶ岳山荘(泊)」、最終日が「槍ヶ岳山荘~飛騨沢~新穂高温泉」となっていた。あいにく僕は二泊できないため最終日は付き合えず、二日目の朝から違う行程を取ることになっていたのだが、その行程をまだ決めかねていた。北穂高岳か前穂高岳のどちらかをやって下りるくらいしか考えていなかった。

 白出沢出合まで緩やかな登りの未舗装林道を歩いて来た。すでに明るくなっており、途中の穂高平小屋で休憩するころには暑さも感じられるようになっていた。

 七時前、白出沢出合に到着した。ここから登山道となる。道標の示すとおり僕らは右に折れ、少し開けた場所で休憩を取った。各々適当な場所にザックを下し、腰を落ち着けた。先行パーティーの五名はここにもいなかった。

 先行パーティーに追いついたのは、それから一時間以上も後、白出沢をかなり登り詰めたガレ場の途中だった。大きな岩に腰をかけている誰かがこちらにカメラのレンズを向けていた。それはTだった。僕がストックを振ると彼はファインダーから顔を上げ、うなずいた。ほかのメンバーは休憩中らしくみんな岩の上に腰を下ろしてうなだれていた。

「なかなか追いつけなかったよ……ずいぶん急いだのか?」

「そんなことないです、普通ですよ。でも、疲れました」

 腰を掛けたまま動こうとしないTをはじめ、ほかのメンバーもかなり疲れていることが見て取れた。僕はゆっくり白出沢を見上げた。陽光を白く反射するガレ岩の堆積が廊下のようにまっすぐ伸び、両岸に崖が立ち上がっている。どん詰まりとなるコルの上は、雲一つない濃い青空。

 コルと青空が接する所には堤防のような張り出しがあり、その上に穂高岳山荘の赤い屋根が見えた。あと一時間もかからない距離。僕はそれほど疲れていなかったので一人で山荘まで行ってしまおうと思い、登り始めた。

 山荘が大きく見えてきた。両岸の岩崖がだんだん低くなり、空も広くなってきた。右側に視線を送るとずいぶん低くなってきていた崖の向こうに、それが姿を現した。

『あれは……ジャンダルム?』

 奥穂高岳の南に位置する前衛峰「ジャンダルム」をじかに目にしたのはこの時が初めてだった。

 山荘に到着したのは十二時前だった。僕以外のメンバーはまだまだはるか下を登っていた。勝手口側から山荘の北側を抜けて東側のテラスに出た。

 眼下には雪渓を残した涸沢カールが大きくえぐれるように広がり、その向こうには常念岳などのいわゆる前山の山並みが並んでいた。右手には黒々とした前穂高岳の峰々がカールへ向けて階段状に高度を落としていた。左手には、斜面に貼り付くように張られたカラフルなテント場の上方で涸沢岳の岩肌が白く光を放っていた。そして、それらすべての上には濃い色の青空と、そろそろ湧きだし始めてきた白い雲の峰があった。

 やがて全員が山荘に到着した。テラスで持参した昼食を摂り、部屋に入って荷物の片付けを終えたとき、天候は崩れそうにないし、時間もあるのでこれから奥穂を登ろうということになった。

 山荘を出て、南側のすぐ向かいにそびえ立つ斜面にみんなで取り付いた。急坂を攀じ終えると、ルートはぐっと緩やかになる。白出沢のガレ場の登りはかなり苦しかったが、昼食を摂って十分休憩したこともあり、また三千メートルの高度にも馴れてきたのか、それほど息も切れず、足取りも軽かった。

 そのあとまた急坂を攀じ、やや平坦な道を歩き、また急坂を攀じ……ということを繰り返すうちに頂上直下に到着した。太陽はまだ高い位置にあり、ガレているその周囲を白く輝かせていた。

 視線を少し右方向に移すと白く輝く稜線の奥に、陰った城塞のようなピークが目に入った。再び見るジャンダルムとその一帯であった。ここまで来ると遮るものはなく、その位置関係や形状がよくわかる。「西ホ(矢印)」と白ペンキで書かれた岩のあたりからそちらに向けたルートが付いていた。

『ここを進めば行けるのか』

 そう思ったとき、迷っていた明日の行程が決まった気がした。

『西穂まで行こう。それであのジャンダルムを越えよう』

 迷うことも臆することもなく、なぜかそう決まった。

 全員で記念撮影を撮ることになった。カメラマンは次に撮影しようと並んでいた女性の登山者にお願いした。全員整列し、いよいよ撮影という段になったとき、Tが声を上げた。

「ちょっと待ってください」

 Tは足元のザックから一枚の大きな布を取り出した。よく見ると登山姿の男性の全身像が印刷された幟だった。印刷された人物を見て、数名が軽い驚きの声を上げた。

「名誉会員のIさん」

 Tはそう言って幟を広げ、整列しているメンバーに四隅を持ってもらうよう頼んだ。ほとんどのメンバーが神妙な顔付きになった時、僕はIがかつてのメンバーであることを思い出した。

「では、撮ります」

 カメラマンの声にみんな笑顔になった。三枚撮影し、待機している次の登山者たちに場所を譲った。

「Iさん、今年亡くなったんですよ」

 撮影のあと、Tが僕に教えてくれた。

「亡くなった?」

「ええ……でも、山じゃなくて。病気で入院していたんですけど復帰できなくて」

 Iとはこのメンバーとしての付き合いしかなかった。それも二年前の槍ヶ岳登頂の時だけだったので、よく知っているというわけではなかったが、一緒に登った記憶は残っているし、ほかのメンバー同様、気のいいやつだったと記憶している。

「メンバーなので、いつも一緒なんです」

 力強くTが言った。

 山荘に戻った。太陽はまだ沈むことなく、短い夏の山に強烈な日差しを浴びせ続けていた。ベランダで僕は裸足になってあおむけに寝転がり、日差しを浴びた。平地以上に強く紫外線を感じ、かなり日焼けするだろうと思った。
 真正面に見える常念岳を含めた前山のもっと向こう側に巨大な積乱雲が立ち上がっているのが見えた。その最上部は南からの風を受けて流れ始め、かなとこ雲に変化しつつあった。ここではあまり風を感じないが、どうやらこちら側が風上にあるので、あの雲の峰はこちらに近づいてくることはないだろうと思った。頭上にも群れからはぐれた積雲がゆっくり向こう側に流れているだけだった。
 とても妙な気分だった。あちら側はこれから大荒れになるだろう。しかし、こちら側はそんな気配もなくその様子を寝転がって眺めている。立場が逆になることもあるだろうが、今は違う。不幸は幸福の隣人。

 Iのことを思い返し、人の死について考えた。

 人は必ず死ぬ。死は予測できない。死は遠い先のことであるかもしれないし、明日、いや今この直後かもしれない。この北アルプスでは毎年遭難があり、死者が出ている。全国の地図を不慮の死者の発生数で色分けしたら、僕はいま最も濃い色で塗りつぶされているエリアにいるのではないだろうか。交通量の多い交差点もそういう場所だろうし、自殺の名所もそうなのかも知れない。峻険な崖のある海に行動を戒める看板。しかしそこは、死のうとして行く場所である。

『すると、ここは?』

 死のうとして来ているわけではないが、死のうと思えば間違いなく死ねる場所だ。そう考えたとき、少し怖気がした。死ぬことを最も達成しやすい場所なのだ。

『何を考えている?』

 大げさに考えている自分が滑稽に思えてきた。なぜ急にこんなことを思いついたのか不思議だった。

 二十一時になり、室内の電灯が落とされた。消灯時刻である。山荘の夜が早いことは常識であり、すでに室内の客は全員寝床に潜り込んでいた。既に寝息を立てている者、スマホの画面を凝視している者、そして、目を閉じてはいるが眠れずにいる者……それは僕だった。軽い頭痛があった。おそらく疲労と今ごろ現れてきた高山病のせいだろう。

 僕は目をつむり、白出沢から見上げたジャンダルムのことを思い出した。数多の登山者を惹きつけてやまないこの山の魅力は、いったい何なのだろうか。標高は奥穂高岳に匹敵する三、一六三メートル。奥穂高岳の支峰という位置づけのためか、標高ランキングには入っていない。もちろん、支峰も含めた標高ランキングがあれば、間違いなく上位一桁クラスであろう。

 その標高もさることながら、もっと魅力的なものはその山容だろう。その一帯は、よくある岩稜帯のピークの集積なのだが、主峰自身は円柱状に突き出し、こちらから見ると頂上付近は丸みを帯び、人工的で隠された悪意でもあるのではないかとすら感じさせられてしまう姿だ。そんな魅力的な山であるにもかかわらず、登山者の大部分を寄せ付けない。登りたいのに登れない、という複雑な感情が登山者たちの心を強く惹き寄せる。ジャンダルムにはそんなデモーニッシュな力を有しているように感じられた。

 明日の行程について考えてみた。ジャンダルムを通過すると決めたのは、思い付きのようだったが、よくよく考えてみると、僕はこれまでに「奥穂高岳~ジャンダルム〜西穂高岳」のルートについては、これまでずっと意識していたような気がした。「初心者だけの通行不可」「岩稜経験者のみ」「落石多し」と地図上の五センチメートル程度の稜線に警告文の吹き出しがいくつも並んでいた。それらを見るたびにどれほど厳しい稜線なのだろうと気になっていたが、三千メートル級の山をいくつか経験するうちにこれらの警告文に対しても「僕なら大丈夫、行けるはずだ」と感じるようになっていた。


 2

 スマホのアラームを三時にセットしておいたが、その前には目覚めていた。眠れなかったわけではなく、十分眠れた上で、早くに目が覚めた感じだった。

 朝食はエネルギーバーとフルーツの缶詰とインスタントコーヒーだ。シェラカップで湯を沸かしてコーヒーを作り、残った湯はテルモスに移しておいた。昼食はこの山荘のお弁当である穂高岳山荘名物「朴葉寿司」、すでに手に入れていた。川魚の甘露煮と天ぷらがついている。山の中で食べる酢飯は最高だろうと思った。

 洗顔し、部屋に戻った。仲間はまだ誰も起きていない様子だった。荷物を整理し、僕は外に出た。

 テラスはそろそろ明るくなっていたが、日の出はもう少し先だ。これから登る奥穂高岳の取り付きに視線をやると山荘の上に十六夜の月がまだ強い光を放っていた。そちら側はまだ夜で、見上げると星々も輝いていた。再び視線を戻してテラスを進む。眼下のカールの雪渓はまだぼんやりと輝いていた。

 四時になった。予定通りいよいよ「ジャンダルム越え、西穂高岳行き」を開始した。

 昨日も登った急な取っ付き。起き抜けであり、重量十五キログラムのリュックのせいか苦しい。緩い風が右側の飛騨側から吹いている。日の出前の群青色の空が広がり、今日も大気は安定したままだろう。

 登山者は意外に多かった。西穂あるいは前穂に向かう人なのだろう。僕は奥穂直下の分岐を頂上まで行かず右折し、白ペンキで「西ホ」と書かれた岩の横を過ぎてそびえるジャンダルムに相対した。多いように思われた登山者たちは一気に数を減らしていた。ジャンダルムに向かうのは、見える限りで僕とすぐ前の二人連れだけだった。ほとんどは前穂方面に向かっていったようだった。

 早速、ナイフリッジが現れた。その手前の岩に白ペンキの丸印があるが、そこから巻いて(迂回して)いくのか、ナイフの「刃」の上を歩くのか判断できなかった。

「……これはどっち?」

「上やね。西穂へはこの程度なら巻いたりせんと、そのまま上を行くんや」

 すぐ前を行くパーティーの二人が関西弁で話していた。そして、二人が「刃」の上に上がったのを見て、僕も少し間を取って「刃」に上がった。

 足元は尖った岩が隙間だらけの束状に並んでおり、その両外側斜面はすっぱり切れ落ちている。バランスを失うとこの「刃」の上から転落し、垂直に近い岩肌を滑り落ちてしまう。いきなり心臓の鼓動が激しくなる。しかし、想像以上に「刃」は頑丈であり、足を踏ん張ってもびくともしなかった。

 このあたり一帯の岩は風化が進んでいた。また、コケだかカビなのかわからないものが染み付き、黒ずんでいる。中には穂先のように細くとがった「刃」もあった。それなどは力を込めて蹴れば折れてしまいそうである。上体を極端に落とし、しゃがんだまま進む。とことん重心を下げておかないとバランスを保てない。緩やかな風もある。これ以上強くなったら、と思うとぞっとする。

 わずか数メートルだけではあったが、緊張を強いられ、神経をすり減らす場所だった。これまでの山ではこれほどの難所を経験したことはなかったため、僕はあきれてしまった。まだ前穂との分岐を過ぎてから十分と経っていないというのに。

 すぐに痩せではいるが、緩く歩きやすいルートに変わったが、緊張は解けなかった。ジャンダルムが徐々に近づいている。ここまで景色の一部でしかなかったその巨大な岩塊は、いくつかの尖塔に守られて立ちはだかっている大いなる城となって見えていた。

 五時を過ぎ、歩き始めて一時間が経過した。足取りが重い。昨日の疲労のせいなのか、いきなりの難所通過によるストレスのせいなのかわからないが、先を行くパーティーとの間がどんどん開いていた。僕にとっての先導者的存在だった彼らだったが、離されてしまうとあてにはできない。だんだん空が明るくなってきていたが、日差しは山並みに遮られて、こちら側には達してこなかった。

 やがて、小さな岩屑に覆われた丘が現れた。その上に先ほどと同じようなナイフの「刃」が見えた。攀じないと登れないくらいの急傾斜だったので、巻き道があるのではと思ったが、先行する二人は上を進んでいた。丸印も付いている。やはり、攀じる場所なのだ。

 このナイフリッジこそ、コース有数の核心部「馬ノ背」だった。

「馬ノ背」という名称は、その両側斜面が切れ落ちている峻険なところに名付けられており、全国の山にもある。富士山にもあれば、仙丈ケ岳にもある。六甲山にもあれば、蔵王山にもある。しかし、最も恐怖感ある「馬ノ背」は、間違いなくこの「馬ノ背」ではないだろうか。

 標高三、一〇〇メートル前後、切れ落ちた斜面の長さは百メートル以上あるだろう。足を踏み外したが最後、骨は粉砕し、露出している皮膚はすり下ろされ、斜面は血に塗れることになるだろう。

 攀じ登り、さっきのように「刃」の上に立った。しかし、さっきとは比べものにならないほど幅が狭く、場所をしっかり見極めないと足を置けない。腰を落として安定させようとしたとき、リュックの重量のせいでふらついた。一瞬息が止まり、思わず両手を前に出して岩を掴み、四つん這いになった。

『こんな登山もあるのか』

 絶望的な気分で数メートル這う。足元を凝視しながら進んでいるため、体が左右に振られると、その都度切れ落ちた斜面と直下の岩棚が目に飛び込んでくる。強烈な落差に意識が遠のきそうになる。足を踏み外せば間違いなく命を失うはずだが、四つん這いになって岩をしっかり掴み、慎重に進めば落ちることはなさそうだった。懸念すべきは横風だが、変わらず緩やかに飛騨側から信州側(右側から左側)に流れており、事故を誘因しそうにはなかった。

「馬ノ背」の半ばを過ぎ、やや急な下りになった。すると這うべき「刃」に幅がほとんどなくなってしまい、足を載せる部分が「刃」の先っぽだけになってしまった。

『どこに足を置けばいいのか』

 ルートを間違えたのかと思ったが、前方を見ると下った先にルートが続いていた。

『やっぱり、巻くのか』

 しかし、「刃」の上に来て今さら巻くもなかった。完全に行き場を失い、僕は軽いパニックに襲われた。

『どうする……戻るか』

 岩の上でしゃがみ込んだまま足元を凝視することしかできなかった。手は汗ばみ、つかんでいる岩の黒ずみが湿り気を帯びていた。

『落ち着け。きっと乗り越え方がある』

 深呼吸を一つして焦る気持ちを抑え、もう一度「刃」の両斜面を見た。右側の飛騨側はほぼ垂直に切れ落ちており、その斜面のどこにも足を置くスタンスはない。左側の信州側は飛騨側ほど切れ落ちていなかった。視線を徐々に下げていくと、一.五メートルほど下のところに剥がれ落ちた岩壁の断面が弓状に付いていた。例えは変だが、バウムクーヘンの一つの層が剥がれ、一部を残しているという感じだった。

『足をあんな薄い断面に置くのか?』

 再び恐怖感が襲ってきた。あそこがスタンスだというのであれば、足をそこまで下ろさないといけない。

『足を下ろしているとき、手が離れたら……』

 当然、滑落する。僕は意を決し、しゃがんだまま「刃」の上で体を九十度右に回し、両手でしっかりと足元の岩を掴み直した。そして、両腕に力を込めたままゆっくり「刃」の上から左足を、そしてすぐに右足を斜面に下ろし、爪先を岩壁にこすりつけながらそろそろと下ろして行った。

『断面に届くのか?』

 届かない。一.五mなのだから、そろそろ届くはずなのに!

 確認しようにも視線を向けられない。呼吸は荒くなり、顎が上がる。視線が虚空を舞う。太腿の前面部、腹、そして胸を岩肌に密着させながら、もう少し体を下ろしていく。両腕で体を支えているが、このまま足が届かなければ三、一〇〇メートルの高所で懸垂をすることになる。

『これが登山か?』

 僕は絶望感を通り越して諦観のような奇妙な感覚に襲われ、酩酊しそうになった。その時だった。右足の爪先がそっと岩壁の断面に触れて止まり、間もなく左足も止まった。爪先に力を込めてみるとしっかりした感触が伝わってきた。自然に両腕から力が抜けていき、徐々に全身の緊張がほぐれていった。ゆっくり視線を落とすと、五センチメートルくらいの幅の「バウムクーヘン」の断面に両方の登山靴の爪先が載っていた。

 岩壁の断面はしっかりしており、足を動かしても問題はなかった。両手は「刃」を握ったままで体を少し岩壁から浮かし、徐々に足を動かして横移動を始めた。激しい鼓動と荒れる呼吸を抑え、少しずつ理性を取り戻しながら安全な場所に移っていった。

 一.五メートルあった断面と「刃」の高度差は徐々に縮まり、そしてなくなった。そこまできてようやく幅の広がった「刃」の束の上に僕は再び足を載せ、核心部「馬ノ背」最後の下りを進むことができた。もちろん、滑落の危険性は消えていなかったが、薄い「刃」とはいえしっかり足を置けることに言い知れない安心感を覚えた。下り終えると、ジャンダルムが真前に見えた。


 真正面(奥穂高岳側、北側)から見るジャンダルムは本当にすんなりと上に突き出た岩塊だった。基部の幅(というか直径)は三、四十メートル、高さは七、八十メートル以上あるだろうか? 形状は極端に言うと、巨大な親指が立っているという感じである。ある人は「タコ入道」と例えていたが、それが一番似つかわしい例えなのかもしれなかった。

 ピークの丸みが特徴的である。一般的に稜線というものは不規則かつ無作為にできているものだが、この整った丸みやその円柱体には人為的なものを感じてしまう。

 六時ちょうど、僕は歩みを止めた。太陽は徐々に高度を増し、日差しが基部までしっかり照らしつけていた。右手に見える笠ヶ岳や左手奥の西穂高岳、そのまた奥の焼岳がくっきり見えている。雲一つない青空、そこに外し忘れた画鋲のような月がぽつっと浮かんでいた。いつの間にか風も止んでいた。コンディションは上々だった。

 そして、静かだった。本当に無音に近かった。自分や他の登山者の足音くらいしか聞こえない。風がないせいで音が消されないせいかもしれなかった。現実感のない、不思議なほど奇妙な静謐だった。

 やがて、ジャンダルムの直下に到着した。ピークの登り下りのルートは、西穂高岳側についている。したがって、奥穂高岳側から歩いてきた僕はピークを巻いてそちらに行かねばならない。基部の信州側に「西ホ」と「矢印」が白ペンキで書かれており、岩壁には丸印が間隔を空けて書かれている。巻くルートはすぐに「バンド」(スタンス程度の棚状の道)となっている。

 バンド自体はがっしりしており、また、基部の岩壁も崩れそうにないので、三点支持で落ち着いて進めば無理なく西穂側に回れそうだった。数十秒で西穂側に回り込み、ようやく頂上への登り口に取り付いた。「ジャン」とこれまた白ペンキで書かれており、その上に丸印がぽつんぽつんと続いていた。このコース初の本格的な岩壁を攀じるステージになった。ここまで四つん這いになったり、トラバースしたりするときに両掌を岩を押したり、つかんだりしてきたが、四肢をがっちり使って攀じる行為はなかった。

『慌てず、遅いくらいに確実に行こう』

 普段の岩場であればひょいひょい攀じてしまうのだが、ここまでのコースに懲りていたため手足を置く部分は慎重に選びたかった。しかし、登り始めから少し進んだところまでは手掛かりや足掛かりが崩れるという懸念は感じられなかった。怖いのは急峻な場所でバランスを失うことだけだった。

 二、三分攀じてピークに近づいた。岩壁ではなく大きな岩の堆積を攀じ登るという感じになってきた。岩は固定されていないが、それぞれ大きく重量があるので手足に力を込めてもびくともしない。

やがて、空が広がった。両手を使わず両足だけで身体を支えて登れるようになった。そして、数歩、階段を上がるように進んだ。

 光が目を射った。透き通った強い光だ。その光が僕の身体の前面すべてを照らした。

 六時二十分、ついにジャンダルム登頂。

 頂上は六畳間程度の広さで北側の縁にこんもりと石を重ねたところがあり、そこに縦書きと横書きの標識板が一枚ずつ置かれていた。石の重なりに一本の棒が付き刺さっている。その棒の先の金属板には、細かく穿たれた穴で縁取られた「飛翔する天使」が描かれていて、天使の下に「ジャンダルム 3163m」と記されていた。その彫金細工は練達者の手になるものではないようだったが、岩山の頂上に天使がいるという発想の意外性が秀逸だった。

 十分ほどピークで過ごし、下山を始めた。登頂の感動で忘れてしまっていたが、これから西穂までまだまだ神経をすり減らすコースが待っているはずなのである。

 ジャンダルム登頂を終えた。しかし、達成感はない。まだ先は長かった。


  3

 奥穂の取っ付きからずっと岩、岩、岩であった。

 一つひとつのピークを過ぎて振り返ると、大きかったはずの岩々は小さくなり、まるで白い骨片がうずたかく積まれているように見えた。ジャンダルム一帯を過ぎると、奥穂はもうずいぶん遠くにあった。

 久しぶりに見る「土の道」。ようやく中間点「天狗のコル(鞍部)」にたどり着いたようだった。十字路の真ん中に道標が立っており、それを知らせていた。左に折れれば岳沢、このコース唯一のエスケープルートである。右に折れれば……それは滑落を意味する。右側にルートはなく、切れ落ちているだけだった。

 七時五十分、太陽は高く上り、かなり暑くなってきた。この気温の感じは、里山を登っているのとあまり変わらない。ひたすら喉が渇く。数分ごとに水を飲んでいる。そろそろ空気の乾燥よりも発汗による水分消費の方が多くなってきた気がする。

 このコルで休憩を取ることにしたとき、ちょうど西穂側から登山者が岩壁を降りてやってきた。

「間ノ岳は浮石だらけです」

 お互い挨拶したあと、山を歩き慣れた感じの彼は言った。

「そんなにひどいのですか」

「西穂周辺ではあそこが一番ひどいですね」

 興奮気味に彼はそう言った。よほど厳しい思いをしてきたのだろう。僕の歩いてきたここまでのルートは落石の少ないルートだったのかもしれない。落石に悩まされることは全くなかった。

 メインとなるジャンダルム一帯は過ぎたのだが、ここから先も変わらぬ峻険な岩稜が続くらしい。まずは天狗ノ頭、そして落石が多いという間ノ岳、それから赤岩岳、西穂高岳に続く。まだまだ神経をすり減らす厳しい思いを繰り返すのだろう。

 標識のすぐ前には十メートルくらいの高さのある岩壁がそそり立っている。こんな岩壁を登るのは初めての経験だ。僕は垂れ下がっているクサリに右手を伸ばし、思いっきり引っ張って体を浮かせた。岩壁に取り付き、歯を食いしばって攀じ登る。四肢にはまだ力がみなぎっていた。とんでもない垂直の壁だったが、思いの外スムーズに登りきった。

 その後の岩稜帯もこれまでと同じように急坂を歩き、岩壁を攀じ、ピナクルを巻き、ナイフリッジを這い、岩壁を乗越して行った。厳しい道行きが続く。

 岩壁を乗越すときは大股で岩をまたぐことになるのだが、その瞬間は両足が岩から浮いてしまう。バランスを崩しでもしたら、手前側か向こう側のどちらかにまっさかさまに落ちてしまう。そんな場所が何ヶ所も出てきた。一瞬だけのことであるが、それが何度も繰り返され、その都度肝を冷やし、神経を摩耗させ、理性を歪ませた。

「天狗ノ頭」までは本当に苦しく、喘ぎながら、そして立ち止まりながら歩かざるを得なかった。それと空気の薄さがこたえた。何度も大きな呼吸をするので喉は乾燥する。そのため水を摂り続けた。

 半時間かけて「頭」に到達した。足を止め、右手に伸びる白出沢の壮麗な景色に目をやったが、すぐまた歩き始めた。

『景色はもういい、早く先に進みたい』

 二十分後、「間天のコル」に到着。「間ノ岳」と「天狗ノ頭」との間にあるコルなので「間天のコル」である。

『間ノ岳は浮石だらけです』

「天狗のコル」で出会った登山者の言葉を思い出した。

 少し休憩し、再び歩き始めた。下って、休み、登る。これを何度繰り返したろうか。

「間天のコル」から見上げると、それまで普通のピークに見えていた間ノ岳が、まるで尖塔のようなピナクルに見えていた。コースにある「ロバの耳」に似たピナクル。しかし、これは頂上ではなく、その手前にあるピークのひとつであり、本当の頂上はまだ先だった。

 ルートは右側、飛騨側を巻くようについている。さすがにあのピナクルを越すことはしない。巻き道はかなり下っており、下るにつれて足元の岩の沈む感じが強くなった。

 やがて、傾斜も急になり、足元は完全に浮石ばかりとなった。足を置くだけで岩が滑るため、僕は慎重に岩を選びながら歩いた。

「危ない!」

 思わず声が出た。やや大きめの岩に足を置いたところ、それが急に大きく横にずれたのだ。僕はバランスを崩し、思わず尻もちをつきそうになったが、バランスを取ろうとして振り回した手が偶然岩壁をとらえたので身体を支えることができた。ずれた岩は動きを止めずに落下し、「カツーン、カツーン」という乾いた音を上げながらどんどん落ちて行った。そして、数十メートル下の棚状の場所で岩屑のしぶきを上げてようやく止まった。人がいなくて良かったと僕は安堵した。

 岩が止まったのを見届け、気を取り直して下り始めた。この斜面は危険すぎる。身体を谷側から岩壁側に寄せ、岩壁を掴みながら下ることにした。ほとんどが浮石であり、慎重に岩を選ばないとまた滑りそうであり、時には立ち止まって足をどう進めるか先まで目を配った。

 ずいぶん長い下りだった。

『いつまで下るんだ』

 少し心配になってきた。ペンキの丸印が見当たらない。が、ここしか行きようがないので、ルートを迷った感じはしなかった。やがて、岩壁が切れて踊り場のような場所に出た。ここから登りになるのかと思ったが、そのすぐ先はまだ切れ落ちる斜面になっていた。ここも違うと思い直し、元に戻って再び下り始めた。

 戻ったすぐ下で岩壁が低くなった。左手側からVの字に登っていくルートが岩壁越しにかなり下の方に見えてきた。そこから登りになるようだったが、そこまでこの斜面をまだずっと下らなければならなかった。たくさん下って、たくさん登らねばならない。もう面倒になっていた。

『ショートカットするか』

 少し降りたところに幅の狭いザレた脇道が出てきた。そこに入ってみると思った通り、さっき見たずっと下のVの字に登ってくるルートにショートカットできるようだった。

 しかし、ここからVの字のルートに入るには、岩壁に張り付いてVの字のルートの登りきったところにある踊り場まで横這いしなければならなかった。横這いする岩壁は切れ落ちており、落ちれば大怪我は必至だったが、数メートルの距離なのでなんとかなると考え、僕は壁に取り付いた。

 這っていくと、さっきは気づかなかったが、岩壁のところどころから草が生えている。岩肌のささくれもとがったままである。その様子から、ここは登山者が普段使わない場所だと気付いた。

『マズいな』

 岩壁に取り付いた全身から汗が吹き出した。普段使われていないルートは崩れやすい。戻るべきだと思ったが、目的の場所まであと三メートルもない。何とかなると判断し、戻らずこのまま進むこととした。

 そのとき、右足を置いている足場がわずかに動いた。

 右手を次の手掛かりに動かそうとしたタイミングだった。置いたときは安定していたはずの右足の岩が壁から少し浮き、抜けそうになっていた。急いで右手を狙っていた手掛かりにかけ、即座に右足を浮いた岩から上げ、次の足場に置いた。慌てていたため、次の足場が大丈夫なのかどうか確認する余裕はなかった。もし、それも浮いていたら……幸いにしてその足場は動くことなく、乗せた右足をがっしりと支えてくれていた。僕は大きく息をひとつ吐いた。

 この間ノ岳に来るまで、岩壁の手掛かり足掛かりが浮くなどということは全くなかった。すべての手掛かり足がかりは安定していた。僕は完全に安心しきっていた。両手両足の四点のうち、動かすのは一点だけという三点支持さえ守っていれば、事故が起こることはないと思っていた。このとき、僕の中の安全神話が一気に崩れた。止んだ汗が、再び全身から吹き出してきた。

『次はどこに動けばいいのか?』

 自信を失い、動けなくなってしまった。すると、今度は左手の手掛かりの岩が少しずつ抜け出てくるような感触が伝わってきた。

『抜ける!』

 左手を外し、すぐ横の草むらをつかんだ。その草もまた抜けるのでは、と思ったが、大丈夫だった。とうとう動きは完全に封じ込まれてしまった。

『どうすればいいんだ』

 このままじっといているわけにはいかなかった。今は安定しているほかの手掛かりや足掛かりが、いつまた緩んで抜けそうになるのかわからなかった。何とか動かねばと思い、意を決して右足を上げて爪先で足掛かりを探してみた。

 そのときだった。

「そこはコースじゃないですよ」

 Vの字のルートの登りきった踊り場あたりから、声が落ちてきた。僕は驚いて右足を元に戻して顔を向けた。そこにいる男性二名の登山者がこちらを見ていた。

「……そうなんです。違う方に入っちゃって……大丈夫です」

 不思議なことに突然登山者が現れたせいなのか、緊張感が一気に消え、気を取り直すことができた。僕は改めて踊り場の位置を目視した。あと一メートルと少しだと確認するや、思い切って右足を次の足掛かりに乗せた。少し不安定な感じがしたが、すぐに思いっきり左足を蹴るようにして体全体を岩壁から離し、身体を捻って踊り場真下の岩壁に飛び移った。そして両腕を岩壁の縁にかけて体を引き上げ、踊り場に躍り上った。

 かなり無茶苦茶なことをやってしまったが、なんとかルートに戻ることができたようであった。

「すみませんでした」

 見守ってくれていた登山者たちにそう言った後、緊張と恥ずかしさのあまり僕は逃げるようにして先に進んだ。


   4

 太陽は中空高く上り、日差しは強く周囲は隠すものなくすべてをさらけ出していた。灰青色の岩稜帯の所々が岩の影で黒ずみ、ある部分には草叢がこびりつくように生えていた。暑く、そして乾いていた。

 遠くに目をやると飛騨側には錫杖、笠、抜戸の山並みがみずみずしい濃い緑色の縞模様をまとって存在していた。動くものは、何ひとつ見えなかった。信州側はまだ日陰であり。黒いシルエットの山並みがくり抜かれた舞台背景のように置かれていた。

 この天上の楽園は恐怖を隠したまま、あくまでも静かであった。

 虎口を脱した僕は、引き続き間ノ岳の頂上を目指していた。滑落の恐怖に肝を潰され、心は折れかかっていたが、エスケープルートはもうないため逃がれようがなかった。とにかく、前に進むしかないのだった。

『残りは、間ノ岳、赤岩岳、西穂』

 これら以外にも名もなきピークがいくつもあり、これまで同様の難所であるはずだった。

 息苦しさと喉の渇きは続いていた。また、足腰以上に肩と手首にも疲れを感じ始めていた。普段の山登りで上半身に疲労を感じることはほとんどないのだが、今回は攀じることが多いせいか、腕や肩へのダメージが大きかった。

 間ノ岳の山頂に向かう登りに入った。変わらぬ岩の連続。これまでより大きい岩が多く、また角も尖鋭であるためよけながら歩かねばならなくなった。

 山頂手前、またしてもナイフリッジが現れた。僕は摩耗しきった神経を奮い立たせ、慎重に乗越した。その時、岩の上の消えかかった「間ノ岳」という文字を目にした。そのあたりは半畳の広さもなく、ここもまた向こう側は切れ落ちていた。どれほど多くの危険きわまりない場所を越えて来たのだろうか。

 下りになり、再び緊張を緩め、腰高の尖鋭な角を避けつつゆっくりゆっくり下って行った。登りのときと違って岩屑だけのザレた道ではなく、岩だらけのいわゆるガレ場なので浮石が多かった。それを避けようとするため、なかなか思うように歩けなかった。

 完全に下りきり、赤岩岳とのコルに到着した。少し足を休めるため立ち止まり、ハイドレのチューブから水を飲んだ。そして、西穂前の最後の大きなピークとなる赤岩岳を目指した。

 間ノ岳とは違って浮石はそれほど多くなく、少し楽に歩くことができた。もちろん、ガレた岩の続く稜線であることに変わりはなく、岩を踏み外さないよう慎重に足を進めた。相変わらず息が切れる。時折立ち止まりながら、深呼吸を繰り返し、再び歩き出す。

 中腹まで来たとき、突然どこか遠くの方から怒鳴り声が聞こえた。

「ラーーークーーーーーーッ!」

 落石に対する警告だった。そして、間髪を入れず石と石がぶつかる「カツーン、カツーン……」という大きな音が数度響き、やがて止んだ。一瞬、時が止まったような気がした。静かな山域での突然の咆哮と落石の大音響は稜線上の登山者全員の肝を冷やしたはずだ。もちろん、僕も驚いて立ちすくんでしまった。核心部を進んでいるときだったら、バランスを崩し、危険な目に遭っていたかもしれなかった。

どこで起こった落石なのかわからなかったが、その後の静寂から怪我人は出ていないように思われた。

 天気はいいし、ルートも誤ることのない一本道。岩の登りも三点支持を守れば大丈夫、と信じていた今回の山行だが、道迷いは起こるし、三点支持だって浮石が多くなればどうなるか分かったものではない。

 そして、落石すらある。確実な情報入手、完璧な装備、絶好のコンディション、そして十二分な心身の鍛錬……それらだけでは遭難を完全に防ぐことは不可能なのである。そのことをここまでの山行でいやというほど知った。

 ようやく、赤岩岳の頂上に着いた。

 ここを下れば西穂との間のコルと、まだいくつかのアップダウンが続くが、大したものではないはずだった。

 目指す西穂の頂上はよく見え、たくさんの登山者が集まっていた。写真を撮ったりしている楽しい様子が想像できた。

『もうすぐ、あの仲間入りができる』

 本当にあともう少しだった。ここまで危険な目にもあったが、なんとか目的を達することができると思い始めた。西穂の向こうには大きな雲をまとい始めた焼岳があった。あそこもいつか登りたいものだ、とこのコースを踏破しきっていないにもかかわらず、次の山行について思いを巡らせていた。

 その時、眺めている西穂方面から誰かの声が聞こえてきた。

 僕はまた立ち止まった。今度は落石を知らせる声ではなかった。最初は誰かが歓声を上げているのかと思ったが、どうもそんな感じではなかった。そして、少し時間をおいてまた聞こえてきた。

「助けてー……」

 僕は身震いした。明らかに助けを求める呼び声だった。僕は声のした方向に目を凝らしたが、僕と同じようにその声を聞いて立ち止まったと思しき登山者の姿しか見えなかった。

『どこだ?』

 声の方に目を凝らすが、よくわからなかった。力ない、何か諦めたような弱々しい声だった。

「助けてー……、誰か助けてー……」

 また聞こえてきた。どうすればいいんだ? 僕は焦った。そしてまた声が聞こえた。とにかく、ここからでは何もわからないので、近づいてみようと下り始めた。慌てては危険な道である。落ち着くよう言い聞かせながら、足早に進んだ。

 進む間にも助けを呼ぶ声は続いていた。西穂の手前のピークに目をやるとそこにいる登山者たちが集まって下方を眺めていた。どうやら、その視線の先あたりに遭難者がいるのかもしれなかった。目を凝らすと一人の登山者が携帯電話を使っている様子が見えた。

 いつの間にか、助けを呼ぶ声は聞こえなくなった。おそらく、救助を呼んでいることが分かったのだろう。ようやく、僕も落ち着いてきた。

 声が聞こえなくなり、僕の中で焦りは消えた。しかし、もう何度目だか覚えていない恐怖がまた芽生えてきた。

『遭難があったところを通過しなければならないのか』

 それは避けようがない。とにかく、西穂まで行かねばならないのだから。

『何が起こったのだろうか。そんなに危険な場所があるのだろうか』

 そして思った。

『これ以上、神経をすり減らすところは通りたくない』

 肉体の疲労とともに気力が限界に来ていた。完全に萎縮していた。動揺する気持ちを抑えつつ赤岩岳を下りきってコルに到着した。あとは西穂までいくつかの小さなアップダウンを残すだけだったが、これまでで一番悩ましい気持ちにさせられた場所となった。しかし、高度もかなり下がってきたため、道も岩ではなく草付きの歩きやすいものに変わってきていた。左右の切れ落ちもそれほど急ではなかった。

 コルをすこし進むと、登山者が一人佇んでいた。気持ちを切り替えよ流ためにも、僕はその登山者に声をかけた。

「さっき救助を求める声が聞こえましたよね」

「ええ、ここです。ここから落ちたんです」

「えっ……」

 その男性は西穂に向かって右側、飛騨側に切れ落ちたところを指差した。それほど急でもないザレた下り斜面があった。

「ここから、ですか?」

「見てください、あそこにストックが落ちています」

 よく見ると、十数メートル先の斜面に黒のストック二本と、ポカリスエットの五百ミリリットルペットボトルが重なり合うように転がっていた。斜面はその下で左方向に曲がっており、先は岩壁で見えなかった。遭難者はもっと下にいるらしく、ここからでは見えなかった。

 彼によると、遭難者はこの何でもないコルを歩いているときにバランスを崩し、転落してそのまま滑り落ちたとのことである。

「助けが来た時に場所が分からないといけないから、私はここで待っているんです」

 僕も残ってあげた方がいいのではないかと一瞬思ったが、やはり一刻も早く西穂に向かいたかったため「よろしくお願いします」と頭を下げ、次のピークに向けて歩き始めた。

 通過したくなかった遭難現場を通過した。こんな安全なコルから落ちるなんて。危険の去ったところにさえ危険は存在しているのだ。

 登りはまた一段と苦しくなっていた。ここを登り切ってもそこは西穂頂上でないことはわかっていた。いくつかのピークを越え、すべてがなくなった時、目の前に西穂の頂上が見えるはずである。いま登っているこのピークはまだ最後のそれではないはずだった。

 空気の薄さによる呼吸の苦しさ、全身の倦怠感、精神力の衰弱、高まる渇き……そして、ずっと維持していたはずの足腰の力も限界に来ていた。飲んで減った水の分だけザックは軽くなっていたのだが、ショルダーストラップの肩への食い込みはますます強く感じられた。足が上がらない。数歩歩いただけで休まねばならなかった。歩きたくなかった。しかし、歩かないと到着しないのだ。気持ちだけが足を上げ、身体を前に運んだ。実際、あとほんの少しの距離であるし、ピークといってもこれまでのような緊張を強いるようなレベルではなかったが、いくつピークを越えれば西穂に着くのか読めないためやる気が起こらなかった。ピークを越えても、また次のピークがあると分かるたびに、落胆した。

 そして、ひとつのピークを登りきった途端に動けなくなってしまった。とうとう気力さえも喪失してしまったのだ。

 このピークは台状をしていて中央に突起状の岩が出ていた。突起に接してベンチのような岩があったので、僕はリュックを下ろしてその岩に腰かけた。日陰で涼しかった。

『食べないとダメなのか』

 食欲はなかった。ザックから山荘で買った朴葉寿司を取り出してプラスティックケースを開いた。少し口に含んだが、期待していた酢の涼感が口に広がることはなく、顎の力も弱くなっていたせいか噛みにくく、味わいが全く感じられなかった。

 一口だけ食べてケースを閉じた。それから、今朝山荘で詰めたテルモスの湯を飲んだ。それはすでに冷めてしまってはいたが、口の中に優しく広がってとても美味しかった。

『もう無理か』

 テルモスを横に置いて僕はうなだれ、このまま動けなければどうなるのか考えてみた。ここまでの間、「動かなければ戻れない、だから歩き続けないといけない」と自らを鼓舞して来たが、その考えを変え、動くのをやめてしまえばどうなるか考えた。

『救助を頼むか』

 そう思った瞬間、さっきの遭難者の「助けてー……、誰か助けてー」という声が頭の中で蘇った。

『僕も遭難者か?』

 突然、恥ずかしくなった。「酒に酔って帰れなくなったからパトカーを呼ぶ」「日焼けで肩が痛くなったから救急車を呼ぶ」、それと同じレベルではないか。怪我もしてないのに疲れたからヘリを呼ぶのか。

『でも、もう歩けない』

 息苦しく、足は重い。倦怠感は極限にまで来ていた。神経は磨り減り、注意力は散漫となり、ポジティブに思考することが出来なかった。

 僕はうなだれたまま荒れた呼吸音に聞き入っていた。このまま座っていれば状況は良くなるのだろうか? それとも、先の見えないままここでじっとしているしかないのだろうか。

 しかし、歩くしかなかった。呼吸が落ち着いたのでリュックを担ぎ直して立ち上がり、日の当たる場所に足を進めた。

 数歩進み、ピークの縁に出て下に入ろうとしたそのとき、顔を上げると目の前に西穂があった。

 そこまでの間にもうピークはなかった。ここが西穂までの最後のピークだったのである。

『西穂……』

 西穂の頂上には強い日差しの中、たくさんの人が群がっていた。立っている人、しゃがんでいる人、寝転がっている人が見えた。でも、不思議なことに全員が向こう側である焼岳方面を向いていた。

 なぜあの人たちは向こう側ばかり見ているのだろうか、とぼんやりと考えた。

「バラバラバラバラ……」

 徐々に大きくなり、あたりを圧倒する大音響が周辺に響き渡った。ヘリコプターのローター音だった。

『ヘリ……救助……そうだ、救助が来たんだ!』

 一瞬にして僕の中の疲労、倦怠、足腰や腕、肩の痛みが吹っ飛んだ。ローター音は急速に近づいてきた。どうやら西穂山頂の人たちは、やってくるヘリを見ていたのだった。近づくヘリに手を振り、声を挙げていた。輝く青色に赤色の帯をまとった機体が、大きくそしてすばやくカーブしながら急迫してきた。こちらの稜線と向かいの笠ガ岳の稜線の間にある広大な空間で自らの姿を見せびらかすように余裕たっぷりで飛来してきた。

 僕は足を速め、西穂に向かう最後の斜面を下っていった。まだまだ油断のならないルートではあったが、何かにすがりたいような気持ちになって駆け降りた。

 ヘリは近づいて速度を落とした。ホバリングしながら次の動作を行うために待機しているようだった。ローターの回転数はやや抑えられているにもかかわらず、近くにいるためにその音は一段と大きく聞こえていた。荒ぶる雄牛のような力強さがあった。機体の青と赤が輝きを浴びせかけてきて、僕の目には神々しく映った。

 この一帯はもう以前のような悪意の隠された静けさに満ちた場所ではなかった。美しく、生命を生み育む神々の住む聖地になった。

 僕は、本当に最後の登りとなる西穂山頂への斜面に取り付いた。また足腰の筋肉と関節が軋み始めたが、構うことなく足を上げ、岩を踏んだ。

『あと少し、あともう少し』

 また、ローター音が響き、ヘリが近付いてきた。僕は西穂の頂上でそれを迎えたいと思っていた。最後の力を振り絞って頂上を目指した。音がどんどん近づいて来る。あと少し、あともう少し。

「バラバラバラバラ……」

 耳をつんざくほどの轟音が頂上周辺を圧倒してきたとき、僕は最後の岩に手をかけ、力を込めて頂上に顔を突き出した。たくさんの登山者が頭上に向かって手を振っている姿が見えた。

「頑張れ!」

「お願い!」

「行け、行け!」

 僕もその場で痛みに疼く右腕を上げて振った。誰よりも強く、誰よりも大きく振った。

 その後、ヘリはゆったりと旋回し、稜線の影に姿を隠した。救助作業を開始したのだろうか、音が小さくなり、頂上の登山客の高揚も収まっていった。

 そして、僕はゆっくり最後の一歩を踏み出し、西穂山頂に到達した。疲労の極みだった。


 頂上に立つ標識の向こう側の斜面に身体を横たえた。焼岳とその背後に輝く白い雲が視界に広がった。日差しはあい変わらず強かった。

 隣で初老の夫婦連れが弁当を開いていた。

「どちらから見えたんですか?」

 奥さんらしい人が声をかけて来た。

「ええ……穂高岳山荘からです」

 彼女は「じゃあ、ジャンダルムを越えて来たのね……すごーい!」と驚くように言い、どんな様子だったのか聞いてきた。しかし、僕は聞こえないフリをして目を閉じた。

『すごーい?』

 喋ることはできなかった。声が出せないほど疲れていたせいもあったが、それよりも喋るべきものを何も持っていないような気がしたからだった。

 同時に、すごいことなんて何もないような気がした。



 5

「十五時に臨時便が出ます。お急ぎの方は……」

 新穂高ロープウェイ「西穂高口駅」構内にアナウンスの声が響いた。僕がカゴに乗るとすぐに扉が閉まり、動き始めた。

「こちら側には西穂高岳をはじめとする山並みが……」

 動き出すとすぐに車掌によるガイドが聞こえてきた。僕も含めた乗客が右側後方に視線を向けた。西穂高岳から山荘までの稜線が青空と白雲の中でくっきり浮かび上がっていた。

『もうこんなに下って来たのか』

 数時間前まで、あの岩だらけの道を彷徨していたことが信じられなかった。

「新穂高温泉駅」に到着し、僕は駅舎でJR高山駅までのバス乗車券とコーラのペットボトル一本を買った。バスは十分後に来ることになっていた。登山帰りの客や、登山はせず西穂高口のテラスから景色を眺めに来た客たちが少しずつ集まって来た。その時、今朝まで一緒だったメンバーのことを思い出した。みんな、大キレットを越えられたのだろうか?

 バスがやって来た。リュックをバスの横っ腹のトランクに入れて席に着いた。すぐにバスは扉を閉め、発車した。

 すべてが終わった。

 もう歩くことはない。あの岩だらけの稜線を歩くことは終わったのだ。空気の薄い、死と隣り合わせの岩稜帯を歩き終えたのだ。もう、危険な場所はない。油断しても構わない。目を閉じていたっていいのだ。このまま眠りこけてもいい。そして、後頭部を背もたれの上部に乗せ、両目を閉じた……。


 西穂山頂でほんの数分、僕は目を閉じてじっとしていた。

 何も考えず、ただ、静かに呼吸していた。息苦しさがややおさまってきたので下山を開始した。ここから独標までのコースも油断が出来ない。慌てず、ゆっくりと歩を進め、一時間と少しで独標に到達した。

 その後もクールダウンのつもりでゆったりと、何も考えずただひたすら高度を下げていった。森林限界を過ぎ、緑が濃くなった。丸山を越え、西穂山荘に着いた。そこでトイレを借りた後、休むことなくロープウェイ「西穂高口駅」まで歩き、僕はようやく歩みを終えた。駅舎に入る手前の水場ではミズバショウもキヌガサソウもすでに花が終わっていた。

『ジャンダルム登頂。西穂まで踏破』

 そう心の中で呟いてみた。

 やはり、達成感はなかった。僕は奥穂高岳と西穂高岳の間をどうにかこうにか通過しただけだった。技術はギリギリ、体力は尽きかけていた。通らせてもらったという感じだった。

『よくも滑落や転落しなかったものだ』

 両膝から下、両手の指先には岩角にぶつけた時の切り傷や痣がいくつも付いていた。膝には血の塊が盛り上がっていた。

『あの遭難者は助かったのだろうか?』

 あの救助を呼ぶ声を思い出した。今となっては不思議なほど穏やかに感じられる声。きっと救助はうまくいったのだろう。

 でも、ヘリに救われたのはあの遭難者だけではなかったように思った。

『死ぬはずだったのかも知れない』

 僕が生きているのは、ただの偶然なのだと思った。あのコースは何もしなければ何も起こらない場所であるが、「死のうと思えば間違いなく死ねる場所」なのだから。

 ナイフリッジの「刃」の上で風に煽られて……狭いトラバースの巻き道で足を滑らせて……ピークを乗越すときバランスを失って……高度差のあるルンゼでクサリを握り損なって……垂直の岩壁で横這いしているとき手掛かりが崩れて。そして、コルの安全な草付きの道で油断して。

 死のうと思えば、間違いなく死ねる場所だったのだ。天使に連れられて地獄へ。でも、なぜ死のうとしなかったのか?
『なぜ死のうとしなかったのか?』

 いや、違う。そうじゃないはずだ。しかし、死が確実なものとして出来したとき、僕の心の中には恐怖とともに奇妙にも親和感のようなものが湧いてきていた。

「生きて戻らねばならなかったから、死のうとしなかった」のではなかった。

『では、なぜ?』


 それまでカンカン照りだった国道158号線の上空がにわかに曇り、真っ暗になると同時に土砂降りになった。フロントガラスに大きな雨粒が叩きつけられ、ワイパーをフル回転しても視界が歪んだ。そして、突然雷光が目を打ち、激しい雷鳴が響いた。車中から軽い悲鳴が上がった。

 そのとき、僕は目覚めたような気がした。雨の降り始めからしっかり目を開いていたつもりだったが、見ながら眠っていたのかも知れなかった。その眠りの殻の中で、僕は死ぬことについて考えていた。殻を払いのけ、思考はこちらに戻って来た。「なぜ生きている」という疑問を残したままで。

 腹が空いていた。僕は朴葉寿司のプラスティックケースを取り出して蓋を開けた。酢のわずか匂いだけで、僕はいきなり食欲の虜になった。寿司をほおばり、パックから魚の甘露煮を引き出して噛みつき、天麩羅を一口で喉に送った。あっという間にすべて食べ終え、テルモスに残っていた冷めた白湯を飲み干した。その白湯は残念ながらあのときほど美味しくはなかった。

 夕立は上がり始めていた。雲をかき分けるように、傾きかけた西日が前方から車中に差し込んで来ていた。
                                    了


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