見出し画像

開鐘(ケージョー)

(2021年度第30回岐阜県文芸祭 短編小説部門秀作賞受賞)

 1

 最後の曲が終わったとき、十数名の聴衆は水を打ったように静まり返っていた。

 演奏を終えた京極が両肩から力を抜き、笑顔を見せると、ようやく拍手が鳴った。それは決しておざなりなものではなく、演奏のあまりの素晴らしさに感極まったという拍手だった。

 京極は僕の勤め先の取引先の社員である。先月、彼から「三線(さんしん)の演奏をするので聴きに来ませんか?」と誘いを受けた。

 彼とは仕事と「沖縄」つながりで仲がいいということもあり、僕は喜んで足を運ぶことにした。

 京極が三線を演奏すると聞いたとき、僕はとても意外な印象をもった。というのも、沖縄好きだとはいえハイスペックIT人材である彼が三線というトラディショナルな楽器を操る姿が想像できなかったからである。

 その日の夕方、僕は演奏会場になっているカフェに向かった。店内には僕の知らない人ばかり——彼の会社の関係者なのだろう——が十数名、すでに演奏会場用にレイアウトされたフロアの席に着いていた。

 やがて、演奏会が始まった。

 京極が三線を抱え、バックルームから出て来てステージに立った。客から拍手と声援が送られ、彼は笑顔で頭を下げた。

 今夜のセットリストは、沖縄出身ミュージシャンの曲からかなり有名なものを二曲、それほど有名ではないが琉球テイストの強めな曲を二曲、最後に琉球王朝時代の宮廷音楽を一曲、の合計五曲を演奏した。すべて彼一人による弾き語りだった。

 最初の四曲の演奏やボーカルのレベルは、人前で演奏するくらいだけあって、それなりのレベルだと感じた。

 しかし、最後の曲については、そもそも僕の方に宮廷音楽への馴染みがないためか、高尚すぎて耳に合わない感じがした。メロディやリズムが普段耳にする楽曲とはまったく異なるゆったりしたものであり、歌詞も琉球の言葉そのままであったためなじめず、聴き初めは「ラストソングとしては選曲ミスかな」という気がしていた。

 だが、聴いているうちにその流麗なメロディや緩やかなテンポが、僕の心を誘うようになり、「琉球王朝の宮廷音楽も悪くない」と感じさせるようになった。

 また、それだけにはとどまらず、意識というか理性が少しずつ薄れ、やがて「耳で聴き、脳で感じる」という認識方法を超越し、肉体と魂の双方に直接響かせているような特殊な感覚になっていった。

 やがて、その感覚が止んだ。

 一瞬何が起こったのかわからなかったが、京極の表情が緩んだのを見て「曲が終わったのだ」と僕は理解した。

 彼の歌と演奏は心の底まで染み込んで行く素晴らしいものだった。おそらく、ここに集っている他の客も似たように感じているのではないだろうか。

 拍手を浴びながら、京極は再びバックヤードに戻った。

 フロアが通常営業のレイアウトに戻され、客がそれぞれ席に着くと店内は騒がしくなった。

 京極がフロアに戻って来た。順番に客席を回って言葉を交わし、最後に僕のいるカウンター席にやって来た。

「来ていただいてありがとうございます。とても嬉しいです」

 京極は、丁寧にお礼を言った。僕は大変素晴らしい演奏だったと褒めた。

「君がこんなに上手く三線を演奏するとは知らなかった」

「例のプロジェクトで沖縄に行ったとき、覚えたのです」

 彼は二年ほど前、僕の勤務先から委託を受け、一時期沖縄で仕事をしていた。そのとき三線演奏を身につけたようだが、僕は今まで全然知らなかった。

「三線を覚えるくらい余裕があったのなら、もっと納期を早めてもよかったな」

 僕がそう言うと、彼は苦笑いした。

「でも、大変なことがあったのです」彼は言った。「大変というより、恐ろしいことが起こったのです」

 僕は怪訝な面持ちになって、訊いた。

「恐ろしいこと? 命に関わるくらいに?」

 僕は冗談めかして訊いたが、彼は真顔になって答えた。

「その通りだったかもしれません」

 それから、彼は「時間があるなら、あとでその話を聞いてもらえませんか?」と言った。

 明日は月曜日だったが、込み入った予定もないので僕は頷いた。


 カフェの大型モニターでサッカーのゲームを見ながら、僕は一人で時間をつぶしていた。

 僕は格別サッカーが好きなわけではないため——Jリーグに加入しているチームの総数さえ僕は知らなかった——ひいきのチームなどはなかった。ただ、弱い方のチームのシュートに期待し、相手チームのそれにはらはらしていた。

 ゲームの後半が終わりかけたとき、京極が再び僕の席にやって来てジンジャー・エールを注文した。

 ゲームのアディショナル・タイムが三分間と告げられた。弱い方のチームが二点ビハインドなので、たぶんこのまま負けるだろうなと僕は思いながら、顔を京極の方に向けた。

「お待たせしました」

 彼はそれほど酒が入っている様子ではなかった。僕は改めて彼の歌と演奏を褒め、その能力に驚いてみせた。

「ありがとうございます。でも、さっき言った通り、三線を練習しているとき恐ろしいことが起こったのです。下手をしたら命を失ってしまったかもしれません」

 彼はジンジャー・エールを一口飲み、ゆっくり話し始めた。


「今から二年前、私は中原さんのところから依頼された仕事のため——ご存知の沖縄でのシステム開発拠点立ち上げプロジェクトです——半年ほど那覇市で暮らしていました」

 僕は「その際はお世話になったね」と言った。彼は頷き、話を進めた。

「私は大学で情報工学を学び、卒業後は商社系の中堅情報システム開発会社に入社しました。そこでプログラマーとしてのABCを身に付け、さまざまなクライアント企業に派遣されてシステム開発業務を担当して来ました。

 情報システム開発の仕事って、プログラミング業務が結構楽しくて——納期間近に開発要件変更があったりしたら地獄なのですが、あまりそういうこともなかったので——大きな不満もなく仕事を続けられていました。

 数年経って、プログラマーからシステムエンジニア、プロジェクトマネージャーへと成長し、今は起業してシステムコンサルタント業務をやらせていただいています」

 彼のこれまでの職歴については説明されなくても、僕は良く知っていた。

 成長途上で疲弊してしまうことも珍しくないITエンジニアでありながら、彼は常に新技術導入に意欲的であり、人材要件として特に重要なメンタル面でも群を抜いており、またマネジメント能力も長けていたため、今後も順調にIT業界で生き残って行くことだろうと僕は見ていた。

「そして、中原さんの会社から依頼を受け、コーディネーターとして那覇に行くことになりました……あのとき、中原さんは沖縄で仕事したいという気持ちはありませんでしたか?」

「もちろんあったさ。でも、家庭を置いて行けなかったからね」

 そう言って僕は首をすくめた。京極は笑った。

「あのときはとても助かりました。というのも、中原さんの会社がこのプロジェクトにかなり力を入れられていたということで、旅費や半年にわたる宿泊費はもちろん、かなり過分な勤務地手当という名の生活費まで出してくれましたからね。

 私は独身で当時の住まいは賃貸マンションでした。そのとき、半年もの長期出張だから、この際、マンションを解約してしまおうと考えました。

 実は、あのころ個人的にちょっとしたトラブルがあったので、この機会に気分一新したかったのです。そんなこともあって、この仕事は渡りに船でもあったのです。

 私も中原さんと同じように沖縄には何度も足を運んでいて地理勘もあり、また、あちらの業界関係者とのコネクションもそれなりにできていましたから、依頼された仕事はなんとかやり遂げられそうだ、というめども立っていました。

 だから、クライアントの中原さんを前にして言いにくいのですが、重役待遇の仕事という気分で沖縄に向かいました」

 僕は苦笑しつつ、沖縄のオーシャン・ブルーとコーラル・グリーンの海を思い出していた。

「私が沖縄を好きな理由は亜熱帯の気候や自然の素晴らしさ、いつも穏やかで親切なウチナーンチュたちの人柄なのですが、どうしても好きになれないものがありました」

「何だろう、食べ物かな?」

 僕は興味を抱いた。

「いえ、それは琉球民謡や島唄などの琉球の音楽だったのです。沖縄のあちこちで耳にする琉球の音楽だけは、どうしても受け入れられなかったのです。

 理由ははっきりしません。琉球音楽の特徴的な五音音階のせいだったのかもしれませんし、そもそも三線の奏でるメロディやリズムが肌に合わなかったのかもしれません。

 でも、そういうことにも慣れてしまうものなのですね。沖縄に着いて数日が経ったころのことです。常宿のホテルで目覚めてラジオのスイッチを入れたら、琉球音楽が流れてきました。私は聴きたくなかったので、すぐに別の局に変えようとしました。

 しかしそのとき、この曲に共感するような、不思議と心地よい気持ちになったのでした。

 嫌いなはずなのにおかしいなと思いつつ、結局、曲の終わりまで聴いてしまいました。その曲のあとすべての琉球音楽の曲も次々聴いていき、それらのどれもが私を心地よい気持ちにしてくれたのです。

 十数分が経ち、その番組は終わりました。そのときにはもう私は完璧に琉球音楽に魅了されてしまっていました。大げさに言うと、琉球音楽に開眼したという感じでした。

 そして、猛烈に三線を弾きたくなっている自分に気付きました。

 私は、楽器演奏が好きな方ではありますが、だからと言ってなぜ急に三線を弾きたくなったのか、まったく見当がつきません。

 でも、その前日に起こったある出来事がきっかけになったのかもしれないと思いました」

 京極はジンジャー・エールを飲み干し、もう一杯オーダーした。そして、また話し始めた。

「その日は土曜日で特に予定のなかった私は、ずっとハードな仕事が続いていたこともあり、気分転換のつもりで散歩しようと考えました。

 それまで仕事場や役所のある官庁街しか行ったことがなかったので、その日散歩した辺りは初めての地域だということもあり、とても新鮮な印象がありました。

 繁華街から離れ、集合住宅の街区を過ぎ、様々な種類の店舗が密集している一画に出ました。そこに一軒、ボヤ程度のようでしたが、火事を起こしたと思われる古い建物がありました。店の内部を見るとずいぶん焼け焦げていました。

 そういえば前夜はずいぶんサイレンが鳴っていたことを思い出しました。おそらくここの火事のことだったのでしょう。

 その建物は、骨董品店——というより、中古品を売る雑貨屋——であったらしく、焼け残った食器や家具、壺や彫刻などさまざまな商品が道端に投げ出されていました。

 そこに、一丁の三線がありました。

 それは、棹の上部の弦を巻く棒——カラクイというのですが——の先から金糸で織った小さな短冊型の飾りが垂れ下がっているという派手なものでした。

 そして、胴体に張った蛇皮の模様を良く見ると、一匹の龍がトグロを巻いているようであり、気味が悪いほど印象的でした。おまけにその龍の目に当たる部分が不思議なことに青い光を放っているように見えたのです。

 私はその三線が妙に気になりました。しかし、琉球音楽に興味のない私にとって縁のないものだと思い、通り過ぎてしまいました」

「焼け出されたという状況は珍しいけれど、沖縄にいれば三線はいつでもお目にかかれるわけだから、それを見て急に弾きたくなったと考えるのはどうだろうか」

 僕はその出来事を特別視しようとしている京極を制するように言った。

「そうかもしれませんが、私にとってカラクイから下がる短冊や蛇皮の輝く龍の目が、私を誘っているように感じられたのです」

 京極は思いのほか強く言った。しかし、そんなことがあるのだろうかと僕はまだ疑っていた。彼は話を続けた。

「ラジオを聞いたあと、私は楽器店を探しにホテルを出ました。この近くのどこに楽器店があったか考えていたら、すぐその三線のことを思い出し、急いでその骨董品店に向かいました。

 店の前にまだその三線はありました。

 私は店主らしい人に、この三線は売り物かどうか訊ねてみました。彼は頷き、その三線を見せてくれました。

 私は三線を触るのは初めてのことでしたが、棹や胴体はガタついておらず、蛇皮も強く張っていて、良くわからないながらも、作り自体はしっかりしているのではないかと思いました。

 でも、火に当たったせいなのか、それともただ単に年代物だからなのか、棹の漆の輝きが鈍いような気がしました。

 それから、カラクイから下がっている金糸の短冊の存在もそうですが、本来なら胴の両側面に巻いてあるはずの刺繍の布も、片側だけにしか巻いていないということに奇異な印象を抱きました。

 私は値段を訊ねました。店主は少し考えてから金額を言いました。続けてこう言いました。

『本当はもっと高く売りたいのだが、火事が起こって金が必要だから安くしている』

 店主からそう言われても、その金額が果たして妥当なものなのかどうか良くわかりません。

 続けて店主は言いました。

『真壁型(まかびがた)で今時珍しく黒木(くるち)を使っている。そして何より良く鳴る。ケージョーと呼んでいいほどの傑作だ』と」

「ケージョー?」

 僕は口に出して言ってみた。どういう漢字を当てるのか想像もできなかった。

「『開く鐘』と書いて『ケージョー』と読むそうです。三線の中でも特に音が良いものをそう呼びならわしているそうです。

 音が遠くまで響くということで、王朝時代、首里城の門を開くとき鳴らしていた鐘の響きのようだ、ということで付けられた名称だそうです。

 開鐘と呼ばれる逸品はいくつかあって、特に王朝時代の五丁が傑作中の傑作だそうですが、店主が言うには『これはまさに、その五丁のうちの一つかもしれない』とのことでした」

 僕は絶句した。

「しかし、それほどの逸品なら重文とか国宝として扱われるはずだから、こんなところにあるはずはない、とそのときは私もそう思いました」

 京極は含みを持たせて言った。

「ともかく、私は三線が欲しくて仕方がなかったので、ここで目にしたのも何かの縁だと思い、買うことにしました。

 三線を受け取る際、店主からこう言われました。

『弾けば弾くほどいい音を出してくれる三線だが、上手くなりすぎてはいけない』と」

「上手くなりすぎてはいけない?」

 僕は首を傾げた。楽器を演奏するのに、上手くなってはいけないとはおかしな話である。

「私も変に思ってその理由を訊こうとしましたが、彼はそれには答えず、店の中に戻ってしまいました」

 僕は嘆息した。

「そのときは変わったことを言う人だなと軽く考えていました。でも、実際にはその人の言うことは正しかったのです」

 彼はそう言った。彼の表情はさっきの演奏のときの自信にあふれたものではなく、怯えを抱いているように見えた。

 しかし、すぐに表情を元に戻し、京極は言った。

「もう遅くなりましたね……このあとの話は日にちを改めてもいいでしょうか?」

 それほど遅い時間ではなかったので僕は先を聞きたかったが、彼の怯えを抱いた表情が気になり、次回の日程を決めて別れることにした。


 演奏会のあった週の金曜の夜、僕は京極と約束していたバーに行った。

 彼はすでに奥のボックス席で僕を待っていた。古いジャズの流れるその店には、我々のほか客はいなかった。雨の降る静かな夜だった。照明を落とした店内は時間がゆっくり流れ、親密な穏やかさが二人を包んだ。

 僕はやって来たウェイターにジン・フィズを頼んだ。京極はウォッカ・ライムを頼んでいたようだが、すでに二杯目も最後の一口を残すだけだった。彼はそれを飲み干しておかわりを頼むと、挨拶もそこそこに喋り始めた。


「三線を手にしたその足で私は書店に行き、教則本を買って宿に戻りました。中原さんは、三線の楽譜って見たことありますか?」

 僕は首を振った。

「それは五線紙に音譜を並べたものではなく、漢字を縦に並べたものなのです。とても楽譜に見えなくて驚きました。

 しかし、三線の弦はギターと比べて三本少ないし、弾き方だってコードストロークはなくて歌メロを爪弾くだけです。おまけにリズムもほとんどが四分音符、八分音符というわかりやすいものだったため、独学でもなんとか弾けそうだと感じました。

 早速、私は基礎練習に取りかかりました。平日は仕事があるため——もちろん開発拠点立ち上げの仕事です——夕方から眠るまでの短い時間しか練習できなかったのですが、サボることなく毎日練習しました。

 私はそれほど気の長いタイプではないので、こういった反復行為は本来苦手な方です。でも、本当に琉球音楽に目覚めたのでしょうね、自分でも信じられないくらい懲りずに毎日練習し続けることができました。練習に熱が入ると、食べなくても眠らなくても平気でした。

『上手くなりすぎてはいけない』と店主の言ったことはすっかり忘れていました。まるで何かが憑いたかのように私は練習し続けました。

 一ヶ月ほど経ったころ、自分で言うのも何ですが、私はまずまず上手に三線を弾けるようになっていました。

 そしていよいよ、私は弾きたかった曲に取りかかることにしました」

「弾きたかった曲?」と僕は訊いた。

「私には、弾きたかった曲があったのです。琉球音楽に目覚めたときに聴いたあの曲でした。

 琉球音楽は宮廷音楽と、琉球民謡や島唄といった民衆向けの音楽の二つに大きく分けられますが、私の弾きたかった曲は宮廷音楽の一曲だということを番組のウェブサイトで知りました。

 それは『湛水節』という題名でした。ネットで演奏の動画を探してみると、こちらも見つかりました。

『湛水節』は男女二人による舞踊曲のようでしたが、歌詞が琉球の言葉だったので何を歌っているのかさっぱりわかりませんでした。でも、メロディはそれほど複雑ではなかったので、すぐ耳コピーできました。

 だから、すんなり弾けると思っていたのですが、何度弾いてもあるフレーズだけがどうしても上手く弾けなかったのです。他の似たようなフレーズは何の問題もなく弾きこなすことができるのですが、なぜかそのフレーズだけは上手く弾けないのです。私は悔しく感じました」

 僕は先日の京極の見事な演奏を思い出し、意外な気持ちになった。彼はウォッカ・ライムを一口飲み、また話し始めた。

「それから数日後、ある出来事が起こりました。仕事を終え、たまにはお茶でも飲もうと喫茶店に立ち寄ったときのことです。

 いつもなら仕事のあとは一刻も早く戻って三線の練習をしたいと思うのですが、そのときはなぜかそんな気にならなかったのです。たぶん、あのころは立ち上げ拠点要員の採用が思うに任せず、行き詰まっていたせいなのかもしれません。おまけに、睡眠不足も続いていたため過労気味でした。

 喫茶店は、扉を開くとカウベルが眠たげな音を立てる昔ながらの古くさい店でした。年配の女性客が一人だけカウンターにいて、店員と話をしていました。

 狭い店内であり、カウンターには三人しか座れず、テーブル席も二人掛けのセットが二組しかありませんでした。

 私は奥のテーブル席を選んで腰を下ろし、アイスコーヒーを注文しました。その途端に疲労がつのって来て、ぐったりしてしまいました。

 そのとき、カウンターの女性が私に向かって声をかけてきました。

『あんた、目が赤いね。疲れているみたいさー』

 どこの誰だかまったくわからない女性でした。私を気遣ってくれるのは嬉しかったのですが、正直関わりあうのは面倒くさいなと思いました。すると、彼女はまた言いました。

『あんた、ついているよ』

 それを聞いて、私は何かいいことでも起こるのかと思いました。その女性がニヤニヤしながら喋っていたのでそう思ったのですが、実はそうではなかったのです。

『肩と背中にね、憑いているのさー』

『ついている』とは運ではなく、いわゆる『憑き物』のことだったのです。私はゾッとしました。見ず知らずの人からこんなことを告げられるのですから。

 でも、沖縄はこんなことが良くある所だと私も知っていたので、それが冗談ではなく真面目に言っているのだと理解しました」

「ユタだったんだね、その女性は」

 僕はすぐに気付いてそう言うと、彼は頷いた。

 ユタとは、どう見ても一般の人にしか見えないのだが、一般の人には認知できない心霊現象が見えたり、違う場所で起こっている出来事がわかったり、身近な人しか知らないはずの過去や、誰にもわからないはずの未来のことがわかったりする、いわゆる霊感の高い人のことである。沖縄にはこういうユタのような特殊な能力を持つ人は内地と比べものにならないほどたくさん存在するという。

 僕もかつて、失ったはずの財布をユタに見つけてもらった経験があった。だから、京極の話を聞いても疑問には思わなかった。

「憑き物の一つは『生き霊』だということでした。

 暗い顔をした若い女性が私の右肩に憑いていて、私の右手を押さえるような不思議な仕草をしていると言うのです。

 そして、もう一つは『龍』だと言うのです」

「龍?」

「私の背中に憑いていて、じっとしているのだそうです。

 龍は本来、縁起のいいものと言われているのですが、その龍はなぜか悪意をもって憑いている、とユタの女性は言いました。そして、それらの生き霊や龍のせいで、体調がどんどん悪くなっていき、私がやろうとしていることもすべてうまくいかなくなる、とさえ言いました。

 自分には見えなくても、憑き物のまま生活するなんて嫌なことですし、それが体調に影響したり、仕事をうまくいかなくしたりするなんて絶対に避けたかったですから取り除いてもらえないかと頼みました。

 しかし、ユタの女性は自分には除霊する能力がないとのことで、それを行う別のユタを紹介してくれました。

 それから、こうも言いました。

『最近何か買ってないかねー? それが引き寄せて来たみたいだよー』と」

「つまりそれは……三線?」僕は言った。

「おそらくそうなのでしょう」京極は静かに答えた。「私は三線のことには触れず、礼を言って店を出ました。そして、紹介された方にすぐ連絡を取り、除霊の日を決めました。

 その方と話をしているとき『女の生き霊はなんとかなりますが、龍はかなり難しいかもしれません』と言われました。

 私はそれを聞いたとき、この方のユタとしての能力は相当なものだ、と思いました」

「龍は難しいかもしれない、と言っているのに?」と、僕は訊いた。

「ええ。だって私は何が憑いているかなんて、そのときは喋っていなかったのですから」

 彼は笑いながら答えた。

「ホテルに帰ると、やっぱり私は三線を手にしてしまいました。さっき私は何かが憑いたかのようにと言いましたが、その通りだったわけです。

 この憑き物たちが私に三線を弾くようあおったり、その逆に上手く弾けないようにしたりしているのだろうと考えました。

 特に、暗い顔の若い女性が右手を押さえているという仕草が、上手く弾かせないようにしている原因なのではないかという気がしました。

 ひょっとするとあの上手く弾けないフレーズの歌詞と、その生き霊との間に何かつながりがあるのではないか、と考えました。すぐネットで歌詞を調べてみたところ、やはりその通りだったのです。

 あの『湛水節』の内容は、琉球王朝時代の高級役人である親方(うぇーかた)の男性と、女王の住まいである御内原(うーちばら)で彼女の世話をする女官との報われぬ恋愛を歌ったものでした。良くある悲恋ものですが、歌詞もメロディもともに優れていたということで王朝時代の催しでは必ず演奏されていた曲だったそうです。

 そして、私が上手く弾けないあのフレーズの歌詞がわかりました。私はハッとしました」

 そこまで言って、京極はまたウォッカ・ライムを飲み干し、ウエイターにおかわりを注文した。彼の飲むピッチがいつもより早いように僕は感じた。

「その歌詞には何が書かれていたの?」

「……その前に、除霊のときの話をしましょう」

 彼はそう言って笑った。

「除霊は御嶽(うたき)などの特別な施設で行うものかと私は思っていました。そういう場合もあるらしいのですが、私の除霊は那覇市内にあるその方の住居で行われました。

 その方は高嶺氏という五十歳がらみの男性でした。かなり能力の高い方だと女性のユタから聞いていたので、よほど特殊なオーラをまとっているのかと思っていましたが、まったくそういう感じはしませんでした。痩せ型で髪は半分ほど白く、とても穏やかで落ち着いた方でした。私には公立高校の地理か歴史の教師という印象でした。

 和室で向かい合い、私をじっと見ていた高嶺氏は『やはり、龍は難しいかもしれません』と言いました。続けて『正座したまま両手を合わせて頭を下げ、私がいいと言うまで顔を上げずにいて下さい』と言いました。

 私がその通りの姿勢を取ると、高嶺氏は静かに祝詞のような呪文のような言葉をしゃべり始めました。声が大きくなったり小さくなったり、また早口になったり、ゆっくりうなるようになったりしました。

 そのまま私はじっとしていました。十数分経過したころ、高嶺氏のうなり声がひときわ大きくなったかと思うと、急に止みました。どうしたのかと思った瞬間、私の右肩が急に軽くなったのです。そして、高嶺氏から『終わりました。顔を上げてください』と言われ、私は身体を起こしました。

 高嶺氏は『若い女性の生き霊は消えました。もう憑いたりしない、と告げて消え去りました』と教えてくれました。

 私は、少し気になることがあって『それは生き霊・・・であって死霊・・ではないのですね』と訊いてみましたが、高嶺氏はきっぱりと『生き霊でした』と答えました。

 そして、『その方はあなたを恨んでいるようでしたが、実はあなたをとても愛しているようでもありました。何か思い当たることはありませんか』と言いました。

 そのとき、私はようやく理解しました。その生き霊はたぶん、私のかつての恋人だったのでしょう」

 そこで京極は話を止めた。彼の表情は暗く、憂いに満ちていた。

 店の客は相変わらず我々二人だけだった。カウンターの中のウエイターは、手持ち無沙汰にボトルの埃を拭いたり、グラスを並べ直したりして暇を持て余しているようだった。

「問題の歌詞についてです」京極はまた話し始めた。「あの曲では、親方が女官と愛しあい、関係を持つのですが、実は親方には許嫁がいたのです。だから、女官とのことは遊びでしかなかったのです。でも、女官は遊びではなく、心の底から親方を愛していましたので、親方に許嫁がいることを知って大いに怒り、悲しみ、やがて気がふれて最期に焼身自殺してしまいます。

 それで、私が上手く弾けなかった問題のフレーズは、親方が女官に別れを告げるシーンだったのです。

 中原さんには、もうおわかりになったかもしれませんね……生き霊となって私に取り憑いたかつての恋人が私を恨んでいる理由は、そのとき私に婚約者がいたことなのです。まさに、歌詞の通りだったのです」

 僕はゆっくりと頷いた。

「私は婚約者を選び、彼女に別れを告げましたが、彼女はそれを認めませんでした。だから、私は収まりがつくまで沖縄に逃げて来たのです。個人的なちょっとしたトラブルとはこういうことだったのです」

 京極が話の続きは日にちを改めたいと言った理由がようやくわかった。さすがにこの内容は誰かに聞かれるとまずいだろう。

「除霊でかつての恋人の生き霊は消えました。しかし、背中にいる龍はやはり除霊できなかったと高嶺氏は言いました。

 それから、私の三線について話を始めました。

 私が三線を手に入れていたことは高嶺氏に伝えていなかったのですが、すべてお見通しのようだったのです。

 私に別れた恋人がいたこと、沖縄で三線を手に入れたこと、そして、その三線が今回の禍を引き起こしているらしいこと……これらすべてについて、高嶺氏にはわかっていたようです。

『あなたの持っている三線はやはり開鐘なのかもしれません』高嶺氏は言いました。『それは津梁(しんりょう)開鐘という、第二尚氏王朝第十七代尚灝王(しょうこうおう)が愛用した名器に良く似ています。カラクイに穴が開いていることや、胴巻も片側だけにしか巻いていないことがその証しだと言えるでしょう。

 その三線は実はミートゥンダ、つまり夫婦として揃いで二丁が製作されたはずなのです。

 昭和の初めごろ、尚氏の子孫は収集していた三線の名器すべてを一般に放出したのですが、このミートゥンダの二丁は出回らなかったのです。よほど大切にしていたのか、あるいは、長い歴史の中でいつの間にか失われてしまっていたのか……。

 ちなみに、尚氏王朝の宝物は太平洋戦争末期、首里城が陥落したとき奪われ、アメリカに渡ったという噂もありますので、今はあちらにあるのかもしれません。

 しかし、あなたがお持ちのその三線こそ津梁開鐘なのだとすると、それは大変喜ばしいことなのですが、大変禍々しいことでもあるのです』と高嶺氏は言いました。続いて『津梁開鐘についての言い伝えを知っていますか?』と訊きました。私は、もちろん知りませんと答えました。

『津梁開鐘は幻の名器です。だから、それが見つかったのは大変喜ばしいことなのです。しかし、この三線、代々の所有者全員に恐ろしい禍をもたらして来たのです。

 禍とは、この三線を持っている人の精神を蝕んで廃人にし、挙げ句の果てに火事を起こして焼死させてしまうということなのです。

 このことから、津梁開鐘は「呪いの三線」とも呼ばれているのです』

 私はそれを聞いて大変驚きましたが、驚きはそれだけではなかったのです。

『ところで、あなたは『湛水節』という曲を知っていますか?』と高嶺氏は言いました。

 私は、今まさに練習している曲です、と答えると、高嶺氏は表情を変えることなく——これもまたお見通しだったのかもしれません——言いました。

『三線演奏を趣味としていた尚灝王はその曲をもっとも好んでいて、演奏の際は、必ず津梁開鐘を使ったということなのです。

 言い忘れましたが、津梁開鐘は王の命を受けて作られた三線なのです。

 そして、王は晩年に精神を病み、退位せざるを得なくなります。当時の人々は王があまりにも熱心に三線を弾きすぎたせいだと噂しました。その真偽はわかりませんが、とても残念な出来事でした。

 しかし、そればかりではありません。病を癒すために住んでいた屋敷から火が出て、全焼してしまうという大惨事が起こったのです。幸いなことに、王はすんでのところで助け出されて難を逃れたということです。

 しかし、津梁開鐘だけは、焦げ跡ひとつ付くことなく残っていたというのです。カラクイに下げた金糸の短冊にも煤汚れひとつ付いていなかったといいます。

 さすがに王は恐ろしくなり、この開鐘を宝物庫に厳重に収め、門外不出としてしまったそうです。

 門外不出ではなく手放した、という言い伝えもあります。そのあと、王と同じ禍に遭っている人たちが何人も存在することから、津梁開鐘はこの世に出てしまっていると考えられます』

 そして、高嶺氏は私に『その三線を手放せば、背中に憑いている龍は必ず去っていくでしょう』と言われました」

「もしそうしなければ?」

 恐る恐る僕は訊いた。

「高嶺氏は『そうしなければ、龍が目覚め、あなたは王や代々の所有者たちと同じ禍に遭うことになるでしょう』と言いました。そして、何かに気付いたらしく、こう付け足しました。

『そのことを思えば、生き霊の除霊はやるべきではなかったのかもしれません』と」

 京極は静かに言った。


「最後に言われたことは気になりましたが、一つとはいえ除霊してもらえたことは良かったと思っていたので、私はきちんとお礼をし、高嶺氏の家を離れました。

 しかし、私は除霊の喜びより、不気味な『呪いの三線』の予言の恐ろしさと、それを手放さねばならないという無念さに悩むこととなりました」

 雨が止まないせいなのか、夜が更けてもこのバーに来る客は一人もいなかった。

 京極は話を続けた。

「ホテルに戻ると、三線はベッドの上にありました。除霊に行く前に少し練習したあと、そこに置いたのです。ひょっとして勝手に動いたりしているのではないか、と考えてみたのですが、そんなことはなさそうでした。

 しかし、蛇皮の龍の目の青い光が買ったときより少し強く輝いているように感じました。その光をじっと見ているうちに、何だか背中がむずがゆくなり、熱を帯びてきたような気がしました。

 手放すように言われた三線ですが、どうしても捨てることはできません。

 私はベッドに腰かけ、三線を弾こうと手に取りました。ちょっと気味悪く感じてもいたのですが、三線を取って抱えると、私の身体に触れる部分がいつも以上にしっくりして、逆に安心しました。

 除霊をしたおかげで、私の右手を押さえていたかつての恋人の生き霊がいなくなったわけですから、しっくり感じるのも当然だろうと考えました。

そ して、迷いましたが、『湛水節』を弾き始めました。

 やはり思った通りです。いつもとは比べものにならないほどスムーズに弾けるのです。私は興奮しました。これなら、上手く弾けなかったあのフレーズもきっと弾けるはずだと確信しました。

 背中の熱は少しずつ高まって来ていました。それから私は少しずつある種の感覚——変な例えですが、性的な感覚——つまり、エクスタシーのような心地よさを感じるようになりました。演奏に陶酔するというのでしょうか、私は自分の演奏に酔い始めていたのです。

 そして、あのフレーズを上手く弾きこなすことができました。

 そのとき、この上ないエクスタシーが身体中を巡り、同時に理性が引き離されていくような感じがしました。

 一度弾き終え、また弾き始めました。二度目もやはり完璧に弾きこなせました。そして、三度目も……。

 何度も弾くうちに、私の脳裏に歌詞の世界が広がっていきました。

 私は親方になり、かつての恋人が御内原の女官になりました。琉球王朝のきらびやかな世界で、親方と女官は激しく愛し合います。しかし、親方の私には婚約者がいますから、女官である彼女とのことはあくまでも遊びでしかありません。そして、恋人に対して『婚約者がいる。別れて欲しい』と伝えました。恋人は激しくショックを受け、そして私をなじりました。

 しかし、私は覚悟を決めており、引く気はありませんでした。その場を上手く言いくるめ、即座に住んでいたマンションをたたんで沖縄に向かいました。

 演奏しているうちに、歌詞の内容がいつの間にか私と別れた恋人との関係にシフトしていました。

 私はどんどん高まっていくエクスタシーを感じながら、同時に彼女に対する強い謝罪意識に苛まれていきました。彼女を捨てて逃げ出したことで、彼女の生き霊に責められている自分が許せなくなったのです。私はその責苦によって理性を砕かれ、感情を統御できなくなりつつあるように感じました。

 精神に異常をきたし始めているのかもしれないと私は思いました。津梁開鐘を作らせて愛用した尚灝王や代々の所有者たちと同じ宿命に陥っているという気がしてきました。

『弾くのをやめなければ大変なことになる』脳裏には遠のいてゆく理性の呼びかけがこだましています。しかし、どうしようもありません。私の手は止まらず、歌もやめられません。背中はかなり熱くなっていました。おまけに弾いている三線さえもなぜか熱を持ち始めていました。

 三線の胴に目を落とすと、蛇皮の龍がトグロをほどきながら身をもたげようとしているのが見えました。その目はいつもより爛々と青く輝き、放つ光は強烈な光線に変わり、部屋中を照らしていました。

 熱を帯びた背中で何かが蠢き始め、やがてそれはずるずると背中から抜け出してしまいました。

 その背中から出て来た生き物——これまた龍であり、目から赤い強烈な光線を放っていました——は三線から抜け出した龍と互いに身体をくねらせ、抱き合おうとしていました。

 龍が抜け出したせいで背中の熱はなくなりましたが、今度は目前の二匹の龍から発する熱が凄まじくなりました。二匹の龍を取り巻く空気が少しずつ紫色の煙に変化し、焦げた臭いを発してきました。

 私は、そのうちに燃え上がるのではないかと恐ろしくなりましたが、高まるエクスタシーと謝罪意識による責苦の中、演奏と歌は止められそうにありませんでした。

 そんな狂った状態にも関わらず、演奏は完璧でした。一対の、いやミートゥンダ(夫婦)の龍二匹はもう全身を寄り添わせようとしていました。互いの爪を互いの胴に深く食い込ませ、目からは青と赤の光線を撒き散らしていました。

 そして、とうとう炎が現れました。

 二匹の龍の全身に金色の炎が揺めいたかと思うと、すぐ猛烈に噴き上がりました。炎は部屋中に広がり、ベッドシーツやカーテンは炎に包まれ、天井や壁のクロスは炎で捲り上げられ、黒く焦げて行きました。部屋中に猛烈な炎と煙が充満し始め、私は熱さと息苦しさを感じ始めました。

 しかし、三線を弾く手は止まりません。

 私の身体は金色に輝く炎に包まれていました。『呪いの三線』の言い伝えの通り、私はここで焼け死んでしまうのだと覚悟しました。

 そのときでした。

 強いけれど優しさにあふれる力がみなぎって来たのです。また何かに取り憑かれたような感じがしました。三線の弦をはじき続けてやまなかった右手が急に止まりました。それと同時に、エクスタシーと謝罪意識の責苦は一瞬にして消え、逆に消えかけていた理性が戻って来たのです。

 助かったと思った瞬間、これまでとは比較にならないほどの凄絶な熱さと息苦しさが私を襲ってきました。

 部屋はまるでボイラーの中のように炎と煙で充満しています。私の頭髪や衣服にもすでに炎が燃え移っていて、髪や皮膚の焦げる不快な臭いが鼻腔を突いていました。

 あまりにも熱くて動けません。ドアまでの距離は、ほんの三メートルしかないのに、そこまで行くことさえ無理でした。

 しかし、理性が戻って来たこのタイミングで動かなければ、間違いなく焼け死んでしまう、という戦慄が私を動かしました。

 私はまだ手にしていた三線を投げ捨てました。その瞬間、何かの呻き声が聞こえた気がしました。炎と一体化してしまった二匹の龍の声だったのかもしれません。

 私は熱さに気を失いそうになりながら立ち上がり、ドアの方に飛び跳ねました。手にしたドアのレバーもとんでない熱さだったのですが、なんとかつかんでそれを引き、ドアを開けました。そして、ようやく通路に飛び出すことができたのです」

 京極が話をやめたとき、彼と僕は見つめ合ったまま、前のめりの姿勢になり、みじろぎもせず座っていた。

 僕がゆっくり背もたれに体を預けると、京極も同じように身体を預けた。しばらく、沈黙の時が流れた。

 そして、京極はまた話し始めた。

「部屋の中ではずいぶん長い時間、炎や熱と戦っていたように感じていましたが、ほんの一瞬のことだったのかもしれません。

 私はそのとき、自分がホテルの通路に突っ伏し、体を震わせていることに気付きました。

 猛烈な熱さや耐え切れないほどの息苦しさはなくなり、焼け焦げているはずの頭髪と衣服も、焼け爛れているはずの顔や手足の皮膚もまったくなんともないことに気付きました。

 私はゆっくり身体を起こして座り込みました。まるで狐につままれたような気分でした。

 夢でも見ていたのではないのかと思い、確認のため部屋に戻ろうと思いました。

 しかし、カードキーがないため、オートロックの扉が開けられません。私はポケットに入れてあったスマホでフロントに連絡し、開錠してもらうよう頼みました。

 すぐ担当の女性がやって来て解錠し、扉を開きました。

 私は、恐る恐る中を覗き込みました。しかし、そこはいつもの私の部屋であり、炎も煙も見えませんでした。私は拍子抜けしながらその女性担当者に礼を言い、自分一人で部屋の中に入りました。

 部屋の中を見回すと、ライティングデスク上のノートPCは開いたままであり、ベッドにはめくりあげられたままの掛け布団とその上にリュックサックが投げ出され、枕元には三線の演奏曲集がありました。

 何も変わったことはない、と私は認識しました。

 さっき体験したことは、何だったのでしょうか。たぶん、ストレスや疲労のせいで一時的に精神錯乱に陥ったのだろうと考え、心を落ち着かせることにしました。

 しかし、変わったことが一つだけありました。三線がないのです。

 今日、高嶺氏のところから戻って来たとき、ベッドの上の三線を取り上げた記憶があります。そのあと、あの恐ろしい状況の中、何かに力と理性を戻され、私は三線を投げ捨てたはずなのです。

 ベッドにライティングデスクの周囲など、投げ捨てた辺りに目をやりましたが、見当たりません。クローゼットやバスルーム、トイレにシューズボックスまで調べてみましたが、やはり見当たりませんでした」

「三線は消えてしまった……」僕は呟くように言った。

「そうです。そのあとひょっとしてまた出て来るのではないかと思いましたが、決してそういうことは起こらず、完全に私の元から消え去ってしまいました。

 気に入っていた三線でしたが、あんな精神錯乱のような経験をした以上、もう見たくも触りたくもありません。でも、高嶺氏が言っていたようにそれを手放したのだから、私の背中に憑いていた龍ももういなくなったのだろうと思いました。それは本当によかったと思っています。もう言い伝えのような禍が起こらなくなったのですからね。

 そのあとは、仕事に没頭しました。私は生まれ変わったように仕事に取り組むことができ、無事にプロジェクトを完了させることができました」

「もう、そういうことは起こっていないの?」僕は訊ねた。

「そうですね……そう言えば、仕事を終えて沖縄を発つ直前にこんなことがありました」京極は続けた。「知人への土産物や記念の品を買おうと街を歩いていたとき、いつの間にかあの三線を買った骨董品店のあったところに出てしまったのです。

 私はゾッとしました。しかし、すぐそこには焼け跡が残っていないことに気付きました。片付けしてしまったわけではなく、もともとその場所に何かがあったという気配すらなかったのです。そこは木陰で薄暗くなっており、地面は分厚く苔に覆われていてまるで何十年もそのままという感じなのです。

 良く見ると、奥の方に背の低い小さな祠がありました。昔からずっとそこに置かれていたようなかなり古い祠でした。

 突然、脳裏にあの恐ろしい出来事がよみがえり、私は思わずその祠に手を合わせようとしました。その瞬間、視界の端に金糸の短冊の揺らぎと青い光のきらめきを見たのです。

 私はとても恐ろしくなり、急いでその場を離れました……あそこにはまだ私を捉えようとしている何かがあるのかもしれません」

 話が終わり、京極はいつもの表情に戻った。酒の飲みすぎで顔は赤くなっていたけれど、先日のような怯えはもう消えてしまっているようだった。

 僕はカウンターの中でぼんやりしているウエイターに水を出してもらうよう声をかけた。

 窓から外を見ると雨はほとんどやんでいた。

 雨宿りで周囲の飲み屋に入っていた客が一斉に通りに出ており、往来の人通りが増えているようだった。その喧騒が店内に聞こえて来たわけではないのだが、店内の静寂感は失われつつあった。


 我々は店を後にして雨上がりの街並みを歩いた。京極はやはり飲みすぎたようであり、わずかに千鳥足気味だった。交差点で立ち止まったとき、僕は京極に訊ねた。

「別れた恋人は、そのあとどうなったのだろう」

 それを聞いて、京極は何かを思い出したような表情になった。

「大事なことを言い忘れていました」彼は言った。「彼女が生き霊として私に憑いていた理由についてなのですが、最初それは私が婚約者と一緒になることを彼女が邪魔したかったからだ、と考えていました。

 しかし、後になって本当はそうではなかったのだと気付きました。私があの曲を完璧に弾いてしまうと、禍を呼び込んでしまって大変なことになる、ということが彼女にはわかっていたのではないか、そして、彼女はその禍から私を守ろうとしていたのではないか、ということに気付いたからです。

 彼女は『あなたを恨んでいるようでしたが、実はあなたをとても愛しているようです』と高嶺氏が言った通りのことを行なっていたのです。その証拠に、私が火事から逃げ出せたのは、除霊されたはずの彼女が再びやって来て、私のために力と理性を取り戻してくれたおかげなのですから」

「あれは彼女の力だった?」

「ええ。間違いないです。生き霊だった彼女の雰囲気と同じだったからです。

『除霊すべきではなかった』という高嶺氏の言葉はこのことを予言していたのです。でも、除霊されても彼女は私のために再びやって来てくれたのです」

「彼女は本当に君をとても愛していたのだね」

 僕がそう言うと、京極は悲しそうな表情で大きく頷いた。

 やがて、信号が青に変わり、我々は歩き出した。

「実は沖縄から戻ってすぐ彼女の住んでいたアパートを訪ねて行ったのです。

 携帯電話番号もメールアドレスも使えなくなっていましたから、連絡をつけることはできませんでした。それでも私は訪ねてみました。しかし、彼女はそこには住んでいませんでした。彼女もまた、私の前から消え去ってしまったのです……あの三線と同じように」

 少し置いて、彼はまた話を続けた。

「それと、婚約も解消しました。婚約相手には申し訳ないと思いましたが、あんな恐ろしいことが起こったせいもあって、相手への思いが冷めてしまったようです。別れた恋人への謝罪意識も影響したのかもしれません。

 別れた彼女はどうしているのか、『湛水節』の女官と同じようになってしまったのか……除霊のときは生き霊・・・だったわけですが、今はもうわかりません」

 僕は頷いた。

「それで、私は再び三線を弾くようになったのです」

 京極が気分を変えて明るい声で言った。

「今の三線はもちろん妙な言われのない普通の三線です。

 どうやら私の琉球音楽に対する気持ちは変わっていなかったのです。先日聴いていただいたように演奏の腕も落ちていないようでした。

 ちなみに、先日のラストの曲ですが、あれが『湛水節』だったのです」

 彼はそう言って笑った。


 後日、僕は那覇の首里城近くの歴史的建物の一つが全焼した、というニュース映像を見た。

 そのニュース映像をぼんやり見ていると焼けた建物の残骸や焼け出された品々の中に一丁の三線があることに気付いた。

 映像がその三線のクローズアップになり、アナウンサーが「……火災現場より、長い間行方不明とされていた三線の名器『津梁開鐘』が無傷のまま見つかり、その存在がようやく明らかになりました」と説明した。

 僕はそれを何気なく見ていたのだが、カラクイから下がっている金糸の短冊を見たとき初めて「京極の話していたあの三線だ」と気付いた。

 僕は薄気味悪くその三線の映像を見ていたが、蛇皮の龍のように見える模様の一点が青く光っているような気がした。

 僕にはそれが、誰かを求めているように感じられて仕方がなかった。

 了


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?