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日常を旅する

おはようございます。きょうも書いていきます。

「料理が好きなんですね」と言われて「いつもは作ってあげられないので」と返事をした。「いつもは」と口にしたことで「いつも」について考える。非日常ではなく日常を旅しているのかもしれない。

エアビーで家を借りる旅行客のなかでも料理をするのは珍しいことらしい。自分でも気づいていなかったが、たしかにどこか観光地へ赴けば、夜はその土地の料理を堪能するというのが、いわゆる旅の習わしというものだろう。

食事以外でも観光客らしくないことをしている。地元の人が通うような温泉(スーパー銭湯みたいな場所)に行くのもそうだ。もし自分がここに住んでいたならという妄想を、旅先でするのが好きなのだ。

バスに乗って外の景色を眺めていると、地元の中学生がジャージ姿で歩いていたりする。(もしくはブカブカの制服で)そういう光景を目にした途端、頭のなかで妄想劇がはじまる。東京で一旗あげるぞと上京してそれから……(地元の彼女とも別れなければいけない。もちろん駅のホームで)

自分にもホームタウンがあるけど、どこかにまたホームを求めているのかもしれない。それは郊外だけれど一応東京で育った人間のもつ一種の憧れや、無いものねだりのようにも考えられるし、あるいはここではないどこかへといった現実逃避のようにも考えられる。

いずれにせよ僕にとっての旅は、別の人生をたどる、という行為に似ている気がする。それは結局つまり「非日常」ということなのだけれど、できうる限りそれを「日常」に近づけることができると、旅が楽しくなるのである。

そう考えると旅は、映画や小説にも似ている。究極の(というとチープさが滲みでるが)仮想体験のようなもので、リアルな日常を描くことができるほど、非日常を生きて、自分の中の新しい発見と出会うことができるのだ。

きょうも読んでくださってありがとうございました。よい一日を、おすごしください。


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