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捨ててこそ。

おはようございます。きょうも書いていきます。

大学生のとき、「捨ててこそ。」というタイトルのブログ記事を発見した。以来それが気に入っていて、たまに言葉にして使う。捨ててこそ、のあとにつづく句はなんだろうか。「物の上手なれ。」ではあるまい。もしかしたら「拾われる」だろうか。そんな連想を幾つかさせるようなタイトルだった。

今になっておもう。「捨ててこそ見つかる。」の略ではなかっただろうか。そのブログ記事の内容は、ある女性が恋人との別れを悩んでいる、といったようなものだった。そして、結婚についても触れられていた。それは確か、恋人とは別の男性とのことであったように記憶している。

当時どんな葛藤が彼女に起きていたのかは知らない。しかし、おそらく2人の男性の間で揺れ、また恋愛と結婚の間で揺れて、「捨てる」を検討した。それは片方の選択肢を取るために、もう片一方を諦めるという、そのままの意味だったのだろうか。僕にはそう思えなかった。消極的な行為ではなく、もっとエネルギッシュで前向きな感覚だった。そこに生命力があったのだ。

そして最近、ある登山家の話を人づてに聞いた。登山家というより、登山が日常になっているような人の話だ。彼が言う登山のコツは、「吸う息よりも吐く息。吐けば(勝手に)吸うから。」らしい。それで漸く、腑に落ちた。進むために、捨てるのだ。

件の彼女にとって、なにかを取るよりも、なにかを捨てる方が苦難だった。だからタイトルが「捨ててこそ。」だったのだろう。取るのと捨てるのは、同時に起こることではない。寧ろ、同時に起こってはならない。きちんと、順番をつける必要がある。

それからだいぶ暫くして、同じブログを訪れると、生まれた赤ん坊について書かれていた。彼女は「捨てる」を選んだのだ。その一択をしっかり選んでいた。強い人だとおもって、僕はウィンドウを閉じた。

きょうも読んでくださって、ありがとうございました。よい一日をおすごしください。

サポートありがとうございます。