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読みやすい文章を書くために(2)漢字は控えめに

文章を書く際に、漢字を多用する方がいます。

けれど、それは考えものです。

(1)漢字の多用は避ける方がよい

次の二つの文を比べてみてください。

A 

校正と言う物は厳しい物だと良く言われるが、そう言う事の意味を考えて見ると、彼は逆に意欲的に成る様だ。

B

校正というものは厳しいものだとよく言われるが、そういうことの意味を考えてみると、彼は逆に意欲的になるようだ。

どちらが読みやすいでしょうか?

好みの問題もありますが、たいていの人は後者の方が読みやすいと感じるでしょう。

漢字の多い文章は読む人に威圧感を与えてしまいます。

文語調の小説や学術論文ならともかく、人に語りかけるような文章で漢字を多用すると、すべてぶち壊しになりかねません。

苦しい時は一人で悩まずに、貴方の事を何時も心配して居る僕が居る事を思い出して下さい。

……といった具合にです。

けれど、ひらがなばかりでもまた読みにくくなります。

こうせいというものは厳しいものだとよく言われるが、そういうことのいみを考えてみると、彼は逆にいよく的になるようだ。

とりわけ名詞がひらがなになっていると、きわめて読みにくいものになります。



☛まずは漢字は適度に使用し、ひらがなでも意味が通じるところはできるだけひらがなにした方が、圧倒的に読みやすいと覚えておいてください。

(2)ひらがなにした方がよい漢字とその理由

そのうえで、ひらがなにした方がよいのはどのような漢字でしょうか。

先のAの文は、漢字の使い方としては間違ってはいません。

けれど内容から考えると、さまざまな問題をはらんでいます。

「校正と言う物」「厳しい物」の「物」「そう言う事」の「事」は、その語じたいの実質的意味をほとんど持っていません。

内容を示す修飾語を受けて使用されるものです。

このような名詞を形式名詞といいます。

この「物」や「事」は、「物体」とか「事柄」とかという意味を表す「物」や「事」と区別して、漢字ではなくひらがなにした方がよいとされています。

「本当のところ」の「ところ」とか、「そうするわけにはいかない」の「わけ」なども形式名詞です。

「校正と言う物」の「言う」「そう言う事」の「言う」も、「発言する」という意味を持っていません。

・「校正と言う物」の「言う」は、「言う」という動詞の連体形です。

これは「と」が受ける語の内容を次の語に結びつける役割を果たしているだけで、実質的な内容は持っていません。

別の言葉に置きかえてみると、「~の言葉で表現される」とでもなるでしょうか。

この「言う」の用法では「口に出す」という動作性がなくなっています。

こういった言葉はひらがなで書くのがふつうです。

・「そう言う事」の「そう言う」は連体詞です。

これはひらがなで「そういう」と書くべきです。

あえて漢字で書くとすると「然ういう」となります。

また、この「そう言う」は「そのように表現されている」という意味なので、「校正と言う物」の「と言う」と同じ「言う」の用法であるとみなすこともできます。

けれどもやはり、そう考えても(「言う」を動詞であると考えても)ひらがなにすべきです。

「そう言う」と書いてしまうと「そのように発言する」という意味での「そう言う」と混同されかねません。

「考えて見ると」の「見る」は、「見る」という本来の独立した意味を失って、ほかの語に付属的な意味を添えるものとして用いられています。

このような動詞を補助動詞とか形式動詞とかといいます。

その多くは「て(で)」をはさんでほかの語につづくかたちで使われます。

「校正者としてやっていく」の「いく」とか、「お客さんが増えてくる」の「くる」とか、「猫である」の「ある」とかもそうです。

これらもひらがなにすべきです。

また、「箱を開けてみる」と「箱を開けて見る」とでは意味が異なります。

「良く言われる」の「良く」は、「しばしば」という意味の副詞であり、形容詞「良い」の連用形ではありません。

辞書のなかにはこの副詞も「良く」と漢字表記にしているものもありますが、これもひらがなにした方がよいでしょう。 

漢字にしてしまうと、「しばしば言われる」ということと「ほめられる」ということの区別がつかなくなってしまいます。

「意欲的に成る」の「成る」は通常、ひらがなにして使用されます。

こういう言葉もけっこうあるのです。

「ここにいる」の「いる」とか、「机の上にある」の「ある」、「そんなことはない」の「ない」、「時と場合による」の「よる」など。

「成る様だ」の「様だ」は「ようだ」という助動詞です。

助動詞ですから、当然ひらがなにすべきです。

もっともこれは名詞「様」に助動詞「だ」がついたものとみなすこともできます。

しかしその場合でも、「様」は形式名詞ですから、やはり「ようだ」とひらがなにすべきなのです。


なお、②の「という」の「いう」を補助動詞とみなしている人もしばしば見かけます。

しかし、この「いう」は、本来の意味を失っているという点では補助動詞と同じですが、何かほかの語を補助しているわけではありません。

したがってこれを補助動詞とすることはできないのです。

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さて、いろいろと細かいことをいわれて、たいへんだなと思った人もいるかもしれません。

でも、大丈夫です。

①から⑥で挙げた語をひらがなにするようにして文章を書きつづけてみましょう。

そうすると、そのうちに慣れてきて、考えなくても感覚的にかな書きをするようになりますよ。

読みやすい記事を書くための記事が、口うるさく理屈っぽいものになってしまいました。すみません。これを反面教師にしてください。

(ここの最後の「ください」は補助動詞ですよ。)


☛それから、漢字は適度に使用し、ひらがなでも意味が通じるところはできるだけひらがなにした方が、圧倒的に読みやすいと先に書きました。

まずはそこを押さえておけば、いいと思います。

同時に漢字を多用しない理由として大事なのは、漢字が多いと読者はどうしてもそこで一瞬立ち止まるため、文章のリズムが損なわれてしまうということですこれを避けるためになるべくひらがなにした方がいいのです。

一般の紙の出版物を意識してみてみると、読みやすいように一定の表記ルールがあることがわかりますよ。

下のような新聞社の表記ルールガイドブックを参照するのもよいでしょう。

(写真は共同通信社のものです。)

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ちなみに現代作家もおおかたも一般的な表記ルールを意識して書いています。新聞や雑誌の記事と違って、かならずその通りに書いているわけではありませんが。

私の知る範囲でいうと、作家の石田衣良さんはかなりぎりぎりまで、ひらがな表記を使ってますね。

また作家の中村文則さんの最近の作品では「とき」は「時」としている例が目につきました。

作家はあるていど自由度があるとは思いますが、要は読みやすさとリズムです。

そこを意識して書いてみてください。











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