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ひととあらし【短編小説】

 いまから話すことは、与太話みたいなもんだから、聞いたら忘れてほしいんだけど。

 ガキの頃、俺は田舎の村に住んでた。全部で1000戸もなくて、近所中全部親戚か知り合いかみたいな、狭くて古い村だ。まだゲームなんて一般的じゃない時代でな、ガキの遊びといえば川で泳ぐか、虫を捕まえるか、そんなようなことしかなかった。

 学校なんて中学までしかない村だった。その中学校も、俺が村を出た後で廃校が決まったらしい。

 進学する子は、町の高校に通った。家から通うのは大変だから町に下宿するんだけど、下宿を世話してくれるのは村の偉いさんだったから、結局村の繋がりの中で町に行くことになるんだ。

 高校を出た後は、大抵が村に帰る。実家の農業を継いだり、役場で働いたり、働き口なんてそんなに多くはないんだけど、それでも村を出ていく子の方が少数だった。

 村を出ていけばよそ者だの裏切り者だの故郷を捨てただの言われて、残った家族まで後ろ指を指されるような土地だったんだよ。


 実家の裏に、そうって名前の兄ちゃんがいた。

 またいとこくらいの親戚らしい。歳は俺よりだいぶ上で、俺が10歳の時には確かもう成人してたはずだ。大人なのに子どもみたいな兄ちゃんで、ズボンのポケットにいつも安っぽいナイロンの財布を入れてた。それこそ小学生の持ってるようなやつをな。

 俺たちガキどもは、颯を見つけると遠くからでも走っていって取り囲んだもんだ。

「颯兄ちゃん、お小遣いちょうだい!」

 ってな。

 そんなふうにねだられると、颯はいつだってあるだけ小銭をくれた。あの安っぽいナイロンの財布から。

 颯からせびった金で、臼木うすきのおじちゃんがやってる小さな商店に行った。そこでアイスクリームやおやつを買うんだ。そうしたら、臼木のおじちゃんは言った。

「あいつもしょうがねえ奴だな」

 俺たちの金の出どころなんて、臼木のおじちゃんにはお見通しだった。

 臼木のおじちゃんだけは、颯をかわいそうに思ってか、時々店の仕事を手伝わせたりしてた。それで颯にいくらか給料みたいなもんを渡してたんだ。つまり、臼木のおじちゃんからもらった金を、颯が俺たちに渡して、俺たちがそれを臼木のおじちゃんの店で遣ってたって訳だ。

 颯は、あんまり喋らない兄ちゃんだった。

 高校を出て村に戻ってきたんだけど、何の仕事もしてなかった。あんな薄ら馬鹿に仕事なんてさせられない、ってのが、大人たちの言い分だった。確かに、颯は農業をやるには体力がなかったし、店をやるには愛想がなかった。無表情に自分の内にこもってることが多くて、馬鹿だと思われるのも無理はなかったんだ。

 普通の高校を出てるんだから、脳味噌には問題はなかったはずだ。だけどみんな、大人も子どもも、颯は馬鹿なんだって口をそろえて言ってた。


 さて、ここからが本題なんだがな。

 忘れもしない、小学校4年生の夏だった。恐ろしく風の強い日。嵐になるんじゃないかってくらい不吉な感じがしてて、空が真っ黒で、夜みたいに暗かった。

 その日は、珍しく友達みんないなかった。風邪だとか用事だとかでな。俺はひとりでこわごわ帰り道を歩いていった。

 小学校から坂道を下って、右に曲がって、しばらく行くと、背の高い木が並んでる十字路がある。そこに通りかかった時、俺は見たんだ。

 何かが、木の枝から枝へ飛び移ってた。

 最初は動物だと思った。ほら、ムササビみたいなの。だけど違う、動物にしちゃあいやに大きい。

 目を凝らして見てるうち、わかったんだ。それは、ヒトだった。

 真っ赤な着物を着た、おかっぱ姿の女の子が、風に乗って気の上を飛んでた。

 ぞっとしたのはな……その着物、何の柄もなかったんだ。ただただ真っ赤。それも鮮やかな赤っていうよりは、どす黒い、血だまりみたいな赤だった。

 その子の顔が見えて、さらにぞっとした。

 つるんとした白い頬に、にんまり歪んだ唇。その上の目は黒い。黒目がちなんてもんじゃない、白目がなかった。真っ黒な丸い目がふたつ並んでた。

 女の子が、くるくる回った。くるくる、くるくる。そうしてぽーんと飛び上がると、見えなくなった。

 ぱしぃぃぃん、って、枝のしなる音がいつまでも響いてた。


 俺は転げるように家に戻った。

 家には母さんとじいちゃんがいたから、たったいま見たもののことを訴えた。変なもの見たって。

 そうしたら、母さんもじいちゃんも顔色を変えた。

「お前、あれを見たのか!」

 そう言われて、じいちゃんに何度も肩を揺さぶられた。揺られながら俺が頷くと、母さんが悲鳴を上げた。

 やがて、じいちゃんが話し始めた。

 あれは、この辺りの守り神のようなもの、らしい。あれが現れた年は畑も田んぼも上手くいくし、商売やってる人間はちょっとないくらいの臨時収入が入ったりするんだそうだ。

「だけどな……あれは恐ろしい悪童でもあるんだ。その年のうちに、必ず誰かを連れていく……」
「連れていく? 連れていくって、何?」

 俺はがたがた震えながら訊いた。

 じいちゃんは、ため息をついて言うんだ。

「いなくなるんだ。大抵は若い男か子どもで……あれに連れていかれたら、どんなに探しても二度と帰ってこない」

 それからじいちゃんは、俺の肩をぐっと掴んだ。

「いいか、あれは自分の姿が見える奴を探しとる。見えてるってことがあれにわかったら、あれに狙われるんだ。俺が子どもの頃に連れていかれた奴も、いなくなる直前に変なもの見たって言ってたんだ。あれを見ちゃいけない」
「でも、俺、見た! 見た!」

 怯える俺に、じいちゃんは言った。

「あれを怖がるな。いると思うな、いないと思え。見えないって思い込むんだ。そうすれば本当に見えなくなって、あれからもお前が見えなくなる」


 その日から、毎晩うなされた。

 怖がるな、見えないって思い込め、なんて、10やそこらのガキに簡単にできることじゃあない。だって1回見えちまったんだもんよ、見えるものは見えるで怖いだろ。

 それに、夢に出てくるんだ。あの女の子がとーんとーんと枝から枝に飛び移って、くるくる回ってる様が。

 そうして、夢の中で、その子が俺の方を向くんだ。

 にたあって、気味の悪い笑みを浮かべてな。

 飛び起きて、泣いて、俺は荒れ狂った。毎夜毎夜そんなだから寝不足で、教師にも心配される有様だった。でもその先生は村育ちじゃなかったから、何も話せなかった。


 そうして、2週間くらい経ったかな。

 あれを見た日と同じくらい、暗くて風の強い日だった。その日に限ってまた、みんな都合が悪くて誰も一緒に帰ってくれない。

 否応なしに思い出しちまう。俺はもう怖くて怖くて、校門を出るや否や全速力で駆けだした。とにかく家に着けば何とかなるって、それしか考えられなかった。

 でもな……。

 前と同じ十字路で、ぱしぃぃぃんって、変な音がしたんだ。

 俺は立ち止まった。

 見ちゃいけない見ちゃいけないって思いながら、見ずにはいられなかった。

 前と同じ、真っ赤な着物の、真っ黒い目の女の子が、空にいた。

 だけど前と違うことがひとつだけあって、そこにいたのは俺だけじゃなかったんだ。十字路の真ん中に、細い影がひとつ立ってた。

 俺は金切り声を上げた。

「颯兄ちゃん!」

 颯は、まっすぐ空を見上げてた。明らかにあれを見てた。

「颯兄ちゃん!」

 もう1回呼んだら、やっと颯が振り向いた。

「颯兄ちゃん、あれ、見ちゃダメだよ!」

 俺は颯に駆け寄って必死にすがった。こっちは真っ青だってのに、颯の方は平然としてた。どうしたのかなって不思議そうに、変にのんびりした動作で、首を傾げた。

「颯兄ちゃん、あれ見ちゃダメなんだよ! 連れていかれちゃうんだよ!」

 俺は颯の袖を引っ張って、耳元で怒鳴った。そうしないと声が聞こえないほど、ごうごうと風が吹いてた。

 それでも颯は黙ってる。

「颯兄ちゃん! 逃げようよ!」

 渾身の力で腕を引いたのに、颯は立ったままびくともしなかった。普段ぼんやりしてるのに、なんでこんな時だけいきなり強くなるんだって、思ったのを覚えてる。

「颯兄ちゃん!」

 もう一度叫んだところで、出し抜けに、空が明るくなった。

 あれが、いなくなってた。

 助かった、と思ったのも束の間、それまで黙ってた颯が呟いた。

「行っちゃった」

 ひどく残念そうに。


 そこからはもう、家まで全力で走った。

「じいちゃん、助けて!」

 じいちゃんの部屋に飛び込んで言うと、じいちゃんは蒼白になった。でも、俺の話を聞いてくうちに、だんだん顔色が戻っていったんだ。

 これが、俺には何だか不気味に思えてね。俺の話に、じいちゃんが安心したように見えたんだ。全然安心できるような話じゃなかったんだけどな。

 じいちゃんは言った。

「颯か。あれはいいんだ。放っておきなさい」

 俺は耳を疑った。

 だってそうだろう。じいちゃんの話の通りなら、颯はあの化け物に連れていかれるんだ。夢の中でにたあと笑った気味の悪い顔を思い出して、俺はぶるっと身震いした。

「颯兄ちゃんを助けないと」

 俺は言ったんだが、じいちゃんは頭を振るばっかりだった。

「いいんだ。颯なら悲しむ人間もいないし、ちょうどいい。あれが颯を見つけてくれたら、お前は安全だからな」

 そういうじいちゃんの顔が、知らないじいさんみたいに見えた。真っ黒で、無慈悲で、あれが現れた時の空みたいな。


 颯が姿を消したのは、それから間もなくのことだった。

 誰も探さなかった。いや、違う、そもそもいなくなったことさえ、3日くらい誰も気がつかなかった。

 気がついたのは俺だった。裏の家に行ったら鍵も扉も開けっぱなしで、布団もそのままだったけど、テーブルにナイロンの財布が置いてあるの見てわかったんだ。

 颯はもうここにはいない。

 俺は悲鳴を上げて大騒ぎしたけど、大人たちは至って冷静だった。にこやかでさえあった。

 俺にはそれが怖かった。

 颯には両親がいない。颯が小学校に上がる頃に事故で死んだって聞いた。颯は伯父夫婦に引き取られたが、実子との間に明確な差をつけられたようだ。余計な子扱いで、食事も風呂も一番最後。服なんていつも薄汚れて、ボロボロになるまで買い与えてもらえなかったらしい。

 おうちに帰る――って言って、夜中に家を抜け出したことが何度もあったそうだ。

 高校を出て、颯は「おうち」に帰された。もともと実父母と暮らしてた家で、それが、俺の実家の裏だった。お化け屋敷みたいな、古くて汚い家だったよ。それでも電気や水道を通して、何とか暮らせるようにはなってた。

 電気や水道の手続きしてやったのは、颯の伯父夫婦だったよ。颯はそういうこと一切できない兄ちゃんだったからな。高校までちゃんと出してやって、実父母が遺した家に暮らせるようにしてやったんだから、伯父夫婦はよくやったって大人たちは言ってた。

 あんなふうにぼんやりして、何もできない颯の方が悪いんだって。

 颯は時々、夏祭りなんかのガキどもが騒いでる夜に、窓からそれをじいっと見てることがあった。そういう時、外から見ると颯が牢屋に閉じ込められてるみたいに見えたな。

 嫌なら出ていけばよかったんだよ。でも、俺が思うに、たぶん颯は随分前から全部諦めてたんだと思う。早く死にたいって、それしか望んでなかったんじゃないか。

 だって、俺は見たような気がするんだ。

 あれが、颯を迎えに来る。にたあって、あの気味の悪い笑みを浮かべて。

 それなのに、颯は自分からあれの手を取るんだ。

 ――おうちに帰るんだ、って、言って。


 町の高校に通うようになってから、俺は一度も村に帰ってない。

 颯ならちょうどいい――何でもないことのようにそう言って、颯を見捨てたじいちゃんや母さんが――自分の子じゃないんだから邪険に扱っていいと思ってた颯の伯父夫婦が――颯がひどい扱いを受けてることを知ってて、気にもかけてなかった大人たちが――そんな颯を蔑み、金をたかってた俺たちが、恐ろしくてたまらなくなったから。

 俺はいまだに嵐の夜がダメだ。吹き荒れる風の、暗い闇の向こうから、颯がこっちを見てるような気がする。

 くだらない話だよ。忘れてくれ。俺も忘れたい。



※6~7年前だったかな?某ホラー小説サイト様のコンテストで確か優秀賞をいただいた短編です。そのサイト様が閉鎖してしまいましたので供養ということで。

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