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沖縄で経験した主な人間関係


沖縄

県民は楽観的に見えるが、関わった限り見ると悲観的なのが多い。
時間にルーズでおおらかな傾向なのに楽観的よりは何かの失敗に対して執拗に言うのがいた。

この失敗は縄張り意識内での失敗になるのかもしれない。

沖縄にいた当時、楽観的にいたかったものだが、甘かった。
話のずれや些細な発言で言ってくるのがいて、心が折れることが多かった。ときには些細な会話の後で、電話で抗議してくる。
彼等の起こり方は論理的でなく感情的で、強い剣幕で「他人の立場に立ってみて」と言ってくる。
それは、相手を中心に言う怒り方を客観的に言ういい方だった。

その過程もあり、何とかしようにもできなかった気がする。
どちらにしても、怒り方が感情的だったり、悲観的な言い方だった。

その過程で、人のすることに「役に立たない」と罵声を言われていったのだと思う。

沖縄で経験した主な人間関係

カリスマで支配してくる人間関係
自己陶酔感を元に結束する人間関係 だった。

先に書いたことは、これらの関係の中で痛感した物だった。

沖縄は楽観的に見えても、人に対しては悲観的、又は感情的な怒り、否定により、人を楽観的にさせずに、意識をダメにしていく傾向があると思う。
飼い殺しにして封殺していく。

その上で、踊りへの共感性を訴えてた踊り団体がいたので、質が悪かった。
学生時代のサークルも同じだった。ソフト化ハードかの違いで。

そのくせ、人に上から言うくせに、逆に数倍言い返すと、相手は何も言わなくなり、黙り込む。沖縄でよくあった。
そして、無視と言うか、無関心の対象にしてくる。
あの島には、本当の意味での楽観性はない。

自分にとっては、相談したり、愚痴れる人が乏しかったり、話すと噂話にされて、言われる危険ばかりしか考えてなく、ある意味思考停止していた。

明るいこと、笑顔することへの強迫観念がよみがえった状態に何度も襲われた。昔に合ったからだ。楽しい話のみしか求められなかったから。
その為に、乱暴な人間に見られてた。


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