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「お前の言う事にも一理あるな」

やさしさを感じた言葉は、ほとんどない。
あるならば、「お前の言う事にも一理あるな」だけになる。
今まで言葉がつたなすぎるためか、相手にもされてなく、やっと得られた言葉。これは昔の思い出。

沖縄で大学生しているときは、「お前の言う事にも一理あるな」という言葉はなかった。

言うことが難しいことを考えてたこともあるだろう。
帰ってくる言葉は「考えるな。楽しいこと考えろ」となるだけで、幼少期にタイムスリップした気分だった。

この言葉はまだいい方かもしれない。
もっとひどいのは「私関心ないから」、「言っていることは役にたたない」、「自己満足」等だ。

話す相手で失敗したのだろう。ここの人は優しいとは言われているが、私にとっては優しそうに見える人でしかなかった。
その一方で彼らは身内とする人間には優しく、ひいきしてた。それを目の前で自慢している人もいた。

ただ「楽しもう」としか言わなかった。
それは昔いた踊り団体の事で、「踊り楽しもう」だった。
よさこい踊りだ。踊っていたが、何がいいのかわからない。楽しく見えるのは女性達のみだった。

よさこい踊りという物に共感する事のみ求められていた。
「よさこい踊りに服従しろ。」、又は「よさこい踊りについて勉強しろ」と言っている感じがした。

ここでの優しさはない。自分も過剰すぎて反発したりしたためか。
当時の携帯電話のメールリングリストに今のテレビ放送のようによさこい踊りの賛美する記事や、予定が宣伝されてくる。優しいキスに見えるだけで、陶酔さがすごかった、素晴らしいのだろう。

「お前の言う事にも一理あるな」

この言葉はあまりにも遠かった。優しさを感じる言葉はないに等しく、この言葉を選んでいるだけだと思う。

「やさしさを感じた言葉」は、詐欺にも近いかもしれない。
「困ったことあれば相談しろ」とあの当時何度も言われた。頼っても、ほとんど無理だった。人を哀れんできて、頼れるかと思っても、避けられるだけ。優しそうな人がやさしさを演じてた。

仲間に見えても仲間にも値しないのもいた。
人は注意深く選ばないとならないことを痛感させられた。
やさしさを感じた言葉は、私には妥協の産物なのかもしれない。
嗚呼、むなし。

#やさしさを感じた言葉

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