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kyokan1 (書き足し)

共感性において最悪なのは、依存度の高い人間の行動に影響されてしまう事。意識が混濁してしまう。それと女子にアピールが強くて、人気者になってて、似通った人間。又は甘えることが許容されて自慢する人間。

こういった人間は、無条件にチヤホヤされるように見える。又は条件により他人に依存したり、自分の意志の主張によって、周囲の反応を注目されやすい。何故影響される人間がいるかというと、自分の中で昔の意識が出てきて混濁しやすくなるから。又はその中心に自分がその中のいくつかの要素に関わっていて、記憶がうずく。行動が出やすくなる。

沖縄の踊り団体時代や、今いる会社の初年度の時代にこういったことを見て、意識がおかしくなり混濁した。又は踊り団体時代より前にいたサークルにも似通った人がいた。そこには女子はいなかったが。

意識が混濁した当時は分析しにくい。理不尽な記憶が多くて、整理しにくい。同時に同情するふりをした人々の記憶が出ては、裏切られていくものしかない。一番厄介なのは沖縄が基地問題で沖縄の気持ちが内地に届いてないと言う言葉しかマスコミが流さなくなる時におかしさが増す。
沖縄の問題を主張しすぎてて、沖縄県内の理不尽な人間関係に県内の人間は誰も関心ないから。

言っても、沖縄県内では「楽しいこと考えろ」、「カルト(例、創価学会)に来ないか? 入ると絶対にいいよ」と誘惑される、「精神病院に言ってカウンセリングに行け」としかなかった。知人との関わりの中で経験した。一番、質が悪いのは「困ったことがあれば、相談して」と何人か言ってきては、いざ頼ろうとすると、裏切られる。きっと自分が人を選ぶセンスがなかったのだろう。

沖縄は基地問題で苦しんでいるとは言うが、基地問題とは関係ない所で、こういったことが起きてた。基地問題のみアピールされていくのは嫌な記憶になり、どうしてとしか思わない。サヨクはサヨクで共感的に見えても、共感しながらも反対運動で結束させることしかしない所がある。

はっきり言って、個人の苦しみは誰かに言っても、誰も聞いてはくれない。沖縄は社会的に強い人間にしかなびかない。精神的な意味でのソテツ地獄だ。

この過去の意識が会社勤務の初年度に依存度の高い人間の行動と重なった。苦しかった。

沖縄で「ユイマール」、「いちゃりばちょーでー」という言葉聞いたが、希薄だ。縄張り意識による割り切りの強さで、当たる所しかない。

沖縄は甘えを許容される人間は限りなく言われても、許されるような気がする。そんな光景を沖縄で何度も見てきた。それを見ると何をしても無駄に見えた。無力で。

その他に「抱え込まないで話していい」という講演者の言葉を真に受けて言いすぎて失敗した。又は日常で「相談していいよ」という偽善な言葉。一つも役にも立たなかった。甘えを促されて拒否されては、飼い殺しにされていく仕組み。何を「楽しもう」というのだろうか?
そう語る人にとっては社交辞令にも等しい。言った言葉には責任ないのだろう。私は下手にこういう言い方はしない。

結局こういった理不尽さの鬱積が、矛盾したおかしさになってひねくれていく。

私も女子に対するこだわりが強かった。沖縄にいる最初の時期(学生時代)に人間関係でのトラブルで裁判で脅されたり、耳横に玩具の銃を向けられたりと、トラウマになり誰かに話せなかった。そして女性に言って共感されたかったことがある。今思うと無駄なことだった。癒しに対する幻想を求めすぎたためか。

だから物を書いて分析するしかなかった。でもそれでも「おかしい、頭が狂っている」という人もいた。仕方ないのだろう。
仲間意識の中で飲んだくれることの方が沖縄ではよい事で、考えない事や楽しい事を想うことが美徳なのだから。




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