見出し画像

料理屋

沖縄でコロナで飲食業の中で割れている。
自粛の協力店で2万5千円。非協力店で3万円と支援金がなっていて、金額は非協力店の方が高い。

今回のオミクロン株の万円の話で、出てきた。
言っている顔が見えてくる。
「私は協力しているのに、あの店はしていない。難儀してまで協力しているのに~!」と。又は店の協力体制の違いで、店同士で言い争っている姿も見えてくる。

昔、沖縄にいたためか、想像できる。
どういう仕組みでなっているかわからんが、分断されるように仕向けられているともいえる。

本来なら、県民の抗議集会が起きてもおかしくないのにと思う。
起こらないのは、今までの抗議集会を起こした人は年長者であり、年長者はコロナを怖がりすぎてて、自粛に対する怒りを集約させてないと思われる。本来なら起きると思っていた。

飲食店のケースでも起きると思っていたが違った。自粛の協力、非協力で、5千円の差が出て、協力している店は協力をやめると言ってたが、県側は見直すと言っていた。

沖縄だけのケースでないが、飲食店は大変だ。料理人の腕にかかってくる。儲けが腕一つで左右されてくるので、自粛になると店の死活問題になる。それ以外に、最近料理屋にアルバイトに来る人が少なくなってきている。これはコロナ前からあった傾向だが、コロナ以降もそれが目立つようになった。

その上、料理屋は週1日休みの所が多い。アルバイトに来る人も少なくなっているが、料理人を志望するも少なくなっていると思う。料理の準備、下準備に時間がかかる。それで人数が少ないので、労働は大変になる。

だから、規模の小さい所は、自粛による協力金が出れば、休める。支援金もらって、休めると言う人が出てきて、厳しい労働から解放されると思っている人も少なくないように思う。

料理屋でバイトした事あるが、声の大きさと、テキパキ動くことが求められる。ミスすると厳しく言われるし、料理人と仕事しながら楽しく会話できる人は、相当のスキルを持っている人しかできないと思っている。それだけ大変だし、特に休みの日は忙しくなる。

コロナはそういう飲食業の問題をも明確にしたともいえよう。
沖縄の話聞いて、「権利だけ言う人や、文句ばっかり言う人」を思い出して、ざまぁみろといいたくなる。仲間意識は強いが無関心な人が多いし、権威のみ自慢する人が多いから。

仲間意識の中身は幼馴染、近遠のいとこ、親戚同士が多いのだろう。知らない人同士の出会いは少ないのかもしれない。

その中身だから、仲間とは言うが、人をなれ合いで使ったりしていく。同時に年長者が入ると、場合によっては服従しないとならないことになり、ソーシャルディスタンスになり、仲間意識は強く見えても、ちりじりに分裂気味になる。

向こうにいすぎたためか、そう思ってしまう。ひねくれてるためか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?