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ミステリー 里見弴の我孫子の土地の謎を解け! 3

【前回までのあらすじ】
里見弴の我孫子の土地の地番がわかった


〇土地台帳を読んでみよう!


土地台帳のようすをあげてみますね。こんな感じです。
一応念のため、個人名など具体的な情報部分は消しておきます。



では、中身を読んでいきましょう!

① 場所
まず土地台帳によると、里見弴が所有していたのは、おそらく以下の部分です。



木川恵二郎さんの湖上園は道の反対側にも広がっていましたが、そちら側には弴名義の土地台帳はないそうです。
ただ、私が申請時に地番を読み違えた可能性もありますので、それも念のために頭の中に置いておきましょう。

また、
大正5年2月28日 里見弴
大正11年9月11日 木川恵二郎
大正13年12月18日 大川さん
このように所有者が変わっています。

ここで、前回ご紹介した我孫子の古い地図を思い出してみましょう。
あの地図は昭和2年作成でした。


https://www.abikoinfo.jp/spots-on-history/



赤枠部分を見てください。「大川別邸」となっていますね。
木川さんの次に不動産を取得した大川さんのことでしょう。
つまりこの赤枠部分が、まんま弴の土地に該当するのではないかと推測できます。

② 面積
合計253坪
あったようです。約836平米。
現在では100坪もあれば結構な豪邸ですよね。おぼっちゃま感がにじみでてきます。

③ 地目
弴と木川さんが所有しているあいだ、地目は「畑」でした。
大川さんの所有になってから「宅地」へ変更されています。
ここからすると、弴の土地は手放されるときまで宅地造成されていなかった可能性が出てきます。まあ地目変更していなかっただけかもしれないので、「可能性」にとどめておきましょう。

④ 志賀家からの距離
この土地、めちゃくちゃ志賀家と近いです。
グーグルマップで測ってみますと、100メートルくらいしか離れていません。
柳宗悦邸とは500メートル、武者小路実篤邸となると直線距離でも2キロ離れていますから、その近さが際立ちます


白樺派の作家の家


⑤登記年月日
大正5年の2月28日になっています。
注目されるのは、弴が土地の売買を知った時期です。

御面倒をお願いしましたが
登記はもう済んだのでしょうか 
「地図はない」との伝言
園池より相承

里見弴 大正5年2月29日付(推定) 志賀宛書簡 志賀直哉全集


園池というのは二人の友人で、ともに『白樺』に参加した小説家です。
この時期、園池は我孫子の志賀家に遊びに行っていたようです。この手紙から次のことがうかがえます。

  • 園池は我孫子からの帰路、東京の里見家に寄って、志賀からの伝言を伝えた

  • 伝言の内容① 土地を買った

  • 伝言の内容② 地図はない

手紙の日付を見てください。
推定ながら、2月29日です。
登記は28日。
つまり弴が聞く前に、もう売買も登記もすんでいたのです。
このあと弴が登記の話をしていないのは、もう登記済みだったからなのでしょう。

実はこの直前、2月16日に弴は我孫子を訪問しています。
それ以前から志賀には誘われていたようなのですが、忙しいからと断り続け、このときが初めての我孫子訪問でした。我孫子への転居を考えたとしたら、この時ではないでしょうか。
土地を買ったのはその約12日後ということになります。

この性急さは、この前に見た弴の動きの遅さと対照的だと言えます。
これについてはあとで考えてみましょう。





〇「代納人と連買」?


実は、土地台帳や土地登記が手に入ったら、知りたいことがありました。
この土地の登記について、弴が不思議なことを手紙に書いているのです。

君が言ったように 町役場へ手紙を出して置いたら
今日また促速(ママ)が来て

君でも柳でもいいから
代納人と連買で大至急に届でろと言ってきました

届書きを封入して置きますから 
署名調印してお手数ながら 
誰かに町役場まで届けさして置いて下さい

里見弴 大正5年4月27日付 志賀宛書簡 志賀直哉全集


太文字のところ、あまり見かけない言葉が書いてあると思いませんか?

「代納人と連買」……?

「代納人」は固定資産税を本人に代わって納める人のはずですが、連買がわかりません。私も専門家ではないので、色々調べてみたのですがやはりわかりませんでした。

大正時代に現場で使われていたような、特殊な用語でしょうか? 
そうなると代納人も現在とは違う意味で使われているかもしれない……。

土地台帳などが手に入ったら、この疑問も解けるかもしれないと思ったのですが……。
残念ながら記載されていませんでした。

法務局の職員さんにも電話のついでに聞いてみましたが、「連買」という言葉は聞いたことがないというご回答でした。


詰んだ……。


しょうがないので、真面目に調べてみます。
国立国会図書館デジタルで以下の資料を発見しました。目いっぱい使わせていただいてます! ありがとうございます!



『官民必携現行地租便覧』P22 荻野千之助 明24.6


上をざっくり言いますと、大蔵省の通達で、
「その土地に住んでいないものが土地を買ったら、税金を払うための代人を決めて届けなさい
ということです。
代人となっていますが、これが代納人のことでしょう。

大蔵省主税局の租税纂要を見ますと、代人が「代納人」となっています。


『租税法規纂要 改訂』P362
大蔵省主税局 明32.11


弴は当時東京の在住なので、代納人を届けろと役場に言われた
、ということでしょう。

しかし、代納人の意味は、前からわかっていたことです。
問題は「連買」です。こちらがどうも不明です。

検索すると、株式で「連続約定気配の略語」と出てくるのですが、それだとこの手紙の意味が通じないのですよね。
もともとは不動産で使われていた用語が転用された可能性もありますが……。
国立国会図書館で検索しても、それらしい言葉が出てきません。

やっぱり……あれかな……。

以前から頭にちらついていた可能性が浮かびます。


誤植……?

いやいやいやいや、自分がわからないからって間違いと決めつけるのはよくない、もうちょっと調べてみよう。

……と、調べてみると、明治に発行された千葉県の『公民法典』なるものを発見しました。どうやら役場への各種届の書式をまとめた本のようです。

ここに「代納人届」の書式もありました。
おそらく我孫子の土地を買った弴も同じ書式を使用していたはずです。
どれどれ~?



『千葉県公民宝典』P12 向後宇之輔 弘文社 明30.1


土地所有者と代納人が連署で届け出ます
、ということが書いてあります。

……ん?
「連署」?

連署……
連買……
連署……
連買……

買……署……買……署……?

似て……いる…………。 
上の「四」の下に日とか目とかあって……似ている……!?

これは誤植の可能性が高まったと言えるのではないでしょうか。
もしかすると、本来は「代納人と連署で届け出ろ」だったのではないでしょうか。
しかし岩波の編集の人が活字に起こす際、「署」と「買」の手書き文字を見誤った……。

いや、でも……そりゃ確かに「買」と「署」って似てなくもないけど……。
見間違うほどでしょうか!?
そんなことあるかな!? 
プロがそんな見間違うなんてことが……

里見弴 直筆の文字
志賀直哉全集別冊 P177


あるな。


あるわ。
これは見間違うわ。

上のハガキは当該原本ではないのですが、もし原本もこうだとすると、読み間違ってもしかたないですね。

念のために申し上げますと、里見弴は能書家で知られていまして、字が下手なわけではありません。しかしやはり走り書きは読みづらい。
もし原本がこんな感じなら、「買」と「署」を見間違う可能性は大いにあり得ます。

原本が確認できないので断定はできませんが、蓋然性は高い気がします。
こうじゃないかな!?ということで連買の謎はいったん幕を引くとしましょう。


〇土地を買ったのは誰なのか


さて、ではここまでの情報を踏まえて、改めて考えてみましょう。

土地をめぐる弴は、遅々たる動きです。
しかし最初の我孫子の訪問から土地を手に入れ、登記するまでは早い
この落差は何でしょうか。

実はここでおさえておきたい登場人物がいます。
志賀直哉です。
弴に対して、志賀の方がまめに動いていた形跡があるのです。
書簡から、志賀は以下のようなかかわり方をしていたことがうかがえます。

  • 実際に土地を買う契約(上述の弴の書簡から)

  • 井戸堀りなどの手配(弴の書簡に『また井戸や土地のことでは面倒を願いますがよろしくやっておいてください』とあり)

  • 何らかの金員を出費(弴の書簡に『拝借の金円はいずれ……返却』との言及あり)

  • ネノカミの家を借りる交渉(家ができるまでの仮の住居として?)


井戸掘りについては、当時は水道設備がなかったようで、家を建てるに際して井戸を掘る必要があったようです。


これらを見ると、なかなか我孫子に来ない弴の代わりに現地で実際に動いていたのは志賀だったのではないか、と思われます。

志賀自身もそうでした。
先に我孫子に住んでいた『白樺』の仲間、柳宗悦に土地を用意してもらって転居しています。

しかし、土地をめぐる弴と柳の書簡を比べると、大きな違いがあるに気付きます。

柳は何通も手紙を書いて、売買の進行状況を志賀に説明しています。

  • 土地の候補を提示。

  • ほかの売買希望者の動向の報告。

  • 契約の手順を説明。

  • 登記の準備。

  • 登録免許税や代理人手続きの説明。

  • そのための費用。

  • 委任状の説明。


実に一つ一つの段階で志賀の意思を確認し、費用の準備や委任状への記名を求めています。綿密です。

弴はどうでしょうか。

  • 2月16日 我孫子を初訪問

  • 2月29日 「土地を買った」という志賀の伝言を聞く
         登記と地図について志賀に質問


シンプル。
ここから、次のことが推測できます。

  • 売買の準備に12日しかかけていない

  • 売買の場に弴はいなかった

  • 土地の測量図や登記など、弴は具体的な説明を受けていない

  • 志賀が具体的に動いている

そうすると、次の疑問が浮かんできます。

はたしてどの程度、志賀と弴は事前に打ち合わせをしていたのでしょうか。
弴の意思はどの程度確認されていたのでしょうか。

柳が志賀の代わりに準備をしたのは、志賀が鎌倉や群馬の赤城山などの遠方に住んでいたからです。
しかし、弴はすぐに行ける場所です。東京と我孫子は1時間程度の距離です。自分の土地を買うという重要な契約なら、普通、時間を調整して立ち会うものではないでしょうか。

もしかすると、弴の我孫子転居に熱心だったのは、弴本人よりもむしろ志賀だったのではないでしょうか。

実を言うと、志賀は我孫子へ転居する際、一度気が変わってやめようとしています。
しかし、もう土地があったことから、思い直して転居。
でも我孫子には友人も少なく、冬になれば外出もままならない。そのため、初めての冬にはすっかりうんざりしていたようなのです。

前年から、志賀は何度も弴を我孫子へ招こうとしていました
弴は結婚を実家に反対されて立て込んでいた時期だったこともあってか、なかなか来てくれない。
やっと初めての訪問が、2月16日だったのでした。

このころ、弴が転居を考えていたことは前にご紹介しました。
2月16日、それを聞いた志賀が、「では我孫子へ来たら?」と勧めたとしたらどうでしょうか。志賀には友人を呼びたい理由があります。
そのあと柳がやってくれたように志賀が準備の主体になったとしても、不思議ではありません。

しかし、そうなると……
この不動産売買には最初から、ゆがみが潜んでいたのかもしれません。

弴がかつてあれほど逃げようとした構図。
それを、弴だけがひしひしと感じていたとしたら……?


次回が最終回になります。
そこにどんな構図があったのか、どんなゆがみがあったのか。

絶縁へのカウントダウン
を見ていきましょう。



【つづく】



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