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『こころ』ってなぁに?

皆さん、こんにちは!楽しく過ごしておられるでしょうか?

「楽しい事がないと、楽しめない」というのは、当たり前です。この感覚のままだと、このまま自分のクセに翻弄されて終わるだけです。

恩師は、私の想像を絶する人生を生きてこられていました。漫画にもならないような壮絶な経験でしたので「よく自殺もせずに生きてこられたな」という感想でした。

ここでは伝えきれないので、私が聞いた内容は、そのつど思い出した時にお伝えします。

とにかく、先生は「こころ」というものの「プロ」でした。この私はというと「こころ」に関して、注目して生きたことはなく、漠然と

「当たり前に持つ『感情』だ」

と思っていました。『感情』に翻弄されていたと知らず、起こる出来事に注目していました。

誰かにフラれただの、怒られた、腹がたっただのと、グチグチしてしまう厄介なものです。

だから、気分を楽にしようと、楽しくなる場所を探し、旅行、イベント、お酒に食べ物を使うのではないでしょうか?

ですが、消えたでしょうか?忘れることは出来るでしょうか?その時だけは忘れた気になるだけで、また朝から、鬱陶しい気分で始まらないでしょうか?

まるで肩こりや腰痛でも起こる「あるある」です。私は、医療にたずさわっているので、ここも、この自分を知る為に必要な職だったと今ならわかります。

マッサージをしても、された時は気持ち良くて治った気がするのです。でも2~3日したら、また一緒。

「もう、治らないんだよね~。気休めかなぁ。」

何度も聞いたことがある感想です。ですが、これも私たちが日々、ぶつかる『感情』と同じです。その場しのぎで、忘れさせても無駄なのです。なぜなら忘れられないからです。

また、日が経つにつれ、ますます、ごまかせなくなってくるのです。毎日、気になり、薬を飲もうと、マッサージをしようと、良くなるどころか逆効果になることもあります。

私は、その重症になった状態の時に先生と出逢えました。逆にいうと、重症になったからこそ出逢えたのです。もし少しでも、まともであったら先生には出逢えていなかったことも分かります。

だから出逢いは必然であり、偶然ではないこと。そして、すべては選択の結果であり、すべては「自分のせい」なのです。

新時代に入り、いかに「自分に正直に、素直に、オープンに!」なれるかが、今後の未来を創る時に、うっとうしい自分のままなのか、自分を楽しめ、新しい心の時代を楽しめるのか。なのだろうと思います。

「心はどこにあるんだろう?って思うだろ?心臓でも頭でもないだろう?」

と、先生は話されていました。「こころ」というと、よく心臓や頭を指さしますが、実際に臓器でも脳でもないですよね。

この「心」というものは、つかめないのに、毎分、毎秒、自分と共にいますし常にある感情です。目に見えないのも面白いです。

ですが、自分と離れることがない厄介な代物です。これが私を翻弄していました。他人が翻弄させているのではないのです。犯人は自分なのです。

心をどう、もっていくかは「自分」なのです。だからといって、良いことを考えたり、感謝の言葉を述べたり、般若心経を毎日唱えたら、良い心になるのでしょうか?

私は、あらゆる「良い事」というものをやって、逆に心が壊れました。自分を無くしましたし、何も感じない能面のような顔の自分になっていました。

そのことに気づきもせず「幸せだ」と思い込んで生きていました。事実は心が無くなり、泣いているばかりの状態でしたので、気分は常に曇天です。

先生に出逢い、この「心の仕組み」を知り、『感情』というものへの特効薬を手にしたようなものでした。

皆さんは『感情』が大変ではないですか?しかも腹が立つ時、ムカつく時の苦しさは、本当にキツイですよね。

楽しいことが起こっていても、ちょっとした一言でブレますし、そこから一気に気分が下がり、その場から逃げ出したくなります。

自宅に帰っても、気分は益々、下がり落ち込み、自分にダメ出しをするか、相手を罵倒するか、反省するか。

どちらにしても、この暴れる感情は、美味しいものを食べたくらいじゃ消えないし、一瞬で消す方法などなく、いつの間にか消えてる。又は、微熱のように残っている。

こんな感じではないでしょうか?ですが、この『感情』が一瞬で消える方法があるのです。それが「自分を知る」ということなのです。

そもそも「自分を知らない」から、全てのブレが大波でやってきているのです。ブレる原因は「自分を知らないから」なのです。

自分を知らないと、それはそれは面白いほど翻弄させられます。これは大変だし薬も効かないし、そもそも、そんな薬じたいありません。

ですが特効薬があったのです。それは「自分を知る」ということだけで抜群の効果を発揮するものだったのです。

心って、本当に不思議ですよね。一瞬で天国にも地獄にも行きます。わざわざジェットコースターに乗らなくてもいいのです。

当時の私は、この「心のジェットコースター」に何度も乗っていました。できたらメリーゴーランドくらいでいいのですが、大波小波、回転まで入るジェットコースターや、

一気に落ちる「フリーフォール」というような名前の急転直下型マシーンを愛用している。といった状態でした。

ですから、私の場合は「もう、神様に頼むしかない!」と出逢ったこともない神に頼むのです。

正月の初詣、三社参り、高野山に、結縁灌頂(けちえんかんじょう)、七福神めぐり。等々を20代から、せっせとやり「不幸のどん底」という結果だけを手にしていました。

沢山、試したからこそ良かったのです。勉強は手を抜くばかりで、部活も必死になったことはなかったのに、こういう神頼みや、幸せになる為に良いと言われることは、努力を惜しまずに突き進んでいました。

結果は惨敗です。ですが、最後の最後に「大当たり!」を引き当てました。この誰も掴んだことのない「こころ」を掌握し、この「こころのプロ」と出逢えたのが、大きな転換期になったのです。

先生は、色んな仕組みを伝えてくださっていました。まず感情は、当たり前にあるわけではなく、自分で引き起こしていること。そして、自分だけの「思考回路」があること。を伝えて下さったのです。

「は?どういうこと?」

になったのですが、ここから、一つずつ、進めていきたいと思います。

まず自分を知るのに基本中の基本は「人は自分」ということが挙げられます。はっきり言って、これだけで特効薬です。

どこでも聞く内容ですが、実践して感覚をつかんでいる方は数少ないと思います。なぜなら、ほとんどの方が、自分がムカつく相手ほど「その相手は自分」と思っていないからです。

「アイツとは真逆だよな。良かった、アイツみたいじゃなくて。反面教師として気をつけよう。」

と、どちらかというと勝った気分になっていたり、その時点で、その「アイツ」とかけ離れているのが自分だと思いがちですが、まさにその「アイツ」こそが「自分」なのです。

ここで、ほとんどの方が脱落する世界だから面白いし、サバイバルゲームなんだなと思えるのです。

「自分を知るっていうのはイバラの道だぞ。選択するのは自由だ」

と、先生は常に、自由にさせてくださいました。強制もないし「ちゃんとやってるか?」と宿題をチェックするようなこともありませんでした。

全て自分の選択の自由だからです。ただ私は、この鬱陶しい自分から解放されたかったし、「先生が持っている感覚を掴みたかったから必死でやった。」というだけでした。

また私は、おバカではありましたが、話を聞いていくうちに

「ここまで感覚を思い出している存在が目の前にいて、生き方でも見せ、私以上に私を見透かしていて、私が気づいていない所まで伝えているのに実践しなかった場合、

今後、何千回、輪廻をしても、この感覚には到達しないし、また輪廻をしたとしても、先生には出会えないから、また最悪な状態で終わる。そうしたら、もう輪廻はリタイヤするな。」

と、ハッキリした明確な未来が見えたのです。

「キツくても、ここで諦めたら終わる。やるしかないぞ!ここで終わったら、もう次はないぞ!やらんか、お前はっ!」

と、自分のお尻を蹴り上げる親父のような自分が、私を奮い立たせました。ですが、この「人は自分」がキツイのなんの。

「もう、ダメ。あんな最悪なアイツが自分?どこがだよ。どう見ても私ではないじゃんかよぅ~。どこが私なんだよぅ~。( ノД`)シクシク…」

それでも先生は淡々と、私の事実を伝えてくださいました。

「相手に感じるものは自分だ。自分が持っていないものは何も感じないんだぞ。」でした。

「間違いなく感じてる…。ビンビンに感じてる…。」

先生は

「人は騙せても、自分自身には嘘はつけないんだぞ。嘘をついていることは自分だけは分かるんだ。自分は騙せないんだぞ。」でした。

「そうだ。本当にその通りだ。自分は感じてる。めちゃくちゃムカついてる。良いところを見てもムカつきは消えない。しかも気持ち悪ささえ感じてるぞ。ゲッ!あれも自分か。私は、あんなに気持ち悪いのか。なんてこった!」

この戦いです。相手がしている行動が同じではないのです。同じ言動でもないのですが、同じことを必ずしています。

このことに気づいていなかったから、毎回、見せられ、ムカつく相手ほど目の前に現れ、知らせに来ていたのです。

こんなことだとは、誰も知らず、相手の悪口を言ってスルーしているから、どんどん出来事は大ごとになり、自分を知る為に色んなトラブルが起こっていたのです。

すべては、自分を知る為に生まれて来ているわけですから、知る為の出来事が毎日、やって来ていたわけです。ですから神頼みをしても、名前を変えても、職場を変え、環境を変えても、実家に寄りつかなくても、

自分を知る為に、あらゆる出来事が起こっていたわけです。また、あまりに気づかないと、それ相応の出来事がやってきます。

大殺界とか、厄年とか、そんなものではないのです。神に頼んでも無駄です。なぜなら、皆が「経験する神」だからです。自分が神なのです。

この世では、良いことをするだとか、なんでも穏やかに対応し、文句も言わないとか、そんな方を神対応などと言われることもありますが、当人の心は穏やかではないと思われます。

人間だったら、やはりムカつくし、苛立つし、心が乱れます。それが当たり前です。

先生は本当に自分に正直な方でした。自分の弱さも苛立ちも、全てを出されていました。ですから非常に魅力的でした。

「そこまで本音を言えるようになりたい!」と思っていましたが、当時の私にはとても難しかったです。自分を隠しまくりの作りまくり状態だったからです。

ですが、今は患者さんにも本音で話すよう、自分を正直に出すように意識をしています。「それは、鬱陶しいでしょう?そんな玉じゃないでしょう?」などと言ってしまいますが、

不思議とこちらが本音を出すと、ご本人も自分のことは分かっているようで思わず吹き出してしまったり、大笑いをされることが多いのです。図星だと笑いが出るのは、人間、皆、同じなんだなということも知れました。

以前の私は、仕事場で本音を出すなんて、ご法度でしたから自分の言動、行動は嘘ばかりでした。

また嘘をついていることにも気づいていないので、理由も分からず、ストレスだらけでした。なのにストレスを解消することも出来ませんでした。気分が楽になるのを待つしかなかったのです。

「自分を出しても出さなくても嫌われるんだよ。どうせ嫌われるんなら、出したほうが楽だろう?楽しくなるぞ。漢字はそうなってるだろう?」

「ほんとだ!楽になると楽しくなるんですね!」

本当にその通りです。当たり障りのないことばかりを言って生きていては、自分を知れずストレスだけがたまり、虚しさしか残らない人生になったと思います。

どんな時代であっても「自分を知る」為に生きているのは間違いないので、これからの時代は、自分を知っているかが勝負だと思います。

自分を知って良かったのは、とにかく楽しい毎日に変わったのです。ストレスは激減です。何より「私」という存在が最悪なクセだらけだったのに、その自分を知るだけで安心に変わり、何よりその自分に一番、笑えるのです。

嫌われることが苦手なのは変わりませんが、この自分を知ると「嫌われるのは当たり前だよね」と思えるようになったので、媚びを売ったり、好かれようとする労力が激減しました。

そんな必要はなかったのです。「すでに嫌われていた」という事実もありますが、そんな自分の事を抱きしめられるようになったのです。

クセは変わらないけれど、自分を知ると、好きな自分になる方向転換は自由に出来ます。なりたい自分に創り変えることも出来るのです。

先生は自分を知り、好きな自分に全部、創り変えたと言われていました。

「あなたは、どんな自分になりたいんだ?」

と、よく質問されました。当時は、自分を見れず、先生を見て喜んでいるだけの依存状態でしたから、なんの変化もありませんでした。

先生が、この世からいなくなってから、その凄さを痛感しています。自分がこの生を終えるその時まで、好きな自分に創り変えることが出来る『自由』というチャンスを与えられてます。

その為には、まず自分を知るしかないのです。自分の事実を知るのは非常に難しく、大変なこともありますが、その先にある恩恵は計り知れない財産になることも知れました。

生きながらにして、何度も生まれ変われるような経験です。同じ肉体を持ちながら、まるで違う自分になれるのです。その可能性は無限であり、チャンスは平等にあり、常にプレゼントされています。

この「自分を知る喜び」は誰からも奪われず、その喜びは膨らみ、そのままの自分で生きられ、自由に楽しめる世界が、実は「自分の中にあった」のです。

誰でも出来、人間が「生きている目的」を知りながら、毎日を送れる楽しさが待っています。暗く鬱々した時代から、楽しく明るく生きられる時代になったのは、この「自分を知る」ということが

本格的に始まったからなんだなと実感しています。自分に正直に生きれる気持ちよさ、楽しさ、自分が一番、面白いことも体感できると思います。

頭の良さも、地位も名誉も、学歴も年齢も、何も関係なく誰でも出来る世界です。「やるか。やらないか。」それだけであり、自分次第なのです。

これからは、その軌跡を含めて、お伝えしていけたらなと思っています。
それでは、今回はこの辺で。

また、お会いしましょう!

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