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貧しい日本人について

野口悠紀雄によれば、日本人の賃金が上がらない理由は、企業の粗利益が増えないからであるという。原材料費を売上に転嫁して、しっかりと粗利益を確保できれば、労働分配率は大して変動しないので、賃金もおのずと増える。

一方、価格競争に晒されて、なかなか粗利益を確保できないような競争力の乏しい産業では賃金を上げようがない。賃金を捻出する源泉がないからである。

アップルのiPhoneはオンリーワンな製品だから、価格は「言い値」である。マイクロソフトのWindowsやOfficeソフトも同様。日本にはそうした独創性があり他に代替が利かない製品は残念ながらない。ソニーやホンダはかつてはともかく、今はそういうオリジナリティはない。トヨタのクルマづくりも、相対的な優位性しか持たない。

日本のモノづくりの技術が優秀だ、真似ができないと言われたところで、所詮は「下請け」仕事である。東大阪とか東京の大田区の町工場みたいに、日本全体が世界の「町工場」化、「下請け」化してしまっては、よほど代わりが利かない技術でもあれば別だが、自分たちで値決めもできず、粗利益も確保できない。結果として賃金が上がる原資は捻出しようがない。

じゃあ、どうすればいいんだという話であるが、産業界全体としても、労働者1人1人のレベルとしても、「悪平等」を取っ払って、弱肉強食的な競争環境を促進するしかない。

ダメな業界はさっさと潰す、ダメな企業もさっさと潰す。米国などはそうやったお陰で、競争力の低い業界や企業から競争力の高い業界や企業への人材の配置転換が一気に進んだという。もちろん構造転換には痛みを伴うが、それは仕方がない。

労働者1人1人レベルも同様である。新卒一括採用なんかやめる。初任給が一律同じなんておかしな制度もやめる。新卒も中途も市場価値で評価されるようになれば、絶えず勉強してスキルを磨かないと誰かにポジションを奪われるとなれば、年功序列や終身雇用で馴れ切ったシニア人材も目の色が変わる。

年功序列や終身雇用を前提とした給与体系は、若いときは従業員から企業が搾取して、一定の年齢以降は搾取した分を後払いするような仕組みになっている。それ自体が、一種の社会保障みたいなものである。だが、労働市場の流動性が高まれば、都度都度、ちゃんとした処遇をしないことには若くて優秀な人材に転職されてしまう。そうなれば、年功序列や終身雇用もいずれ消え去る。

繰り返すが、経済活動に「悪平等」は害悪しかない。おかしな参入障壁やおかしな規制によって既得権益を保護するような「機会の平等」を阻害する制度はさっさ取り払うべきであるが、「結果の平等」は担保されるべきではない。

ついでに言えば、教育界も同じである。要するに社会に出る前段階の「悪平等」も害悪でしかない。子どもは1人1人違っているのが当たり前で、得意もあれば不得意もある。「機会の平等」は必要だが、「結果の平等」は必要ない。

日本には競争が足りない。子どもも大人も、もっと目の色を変えて競争しなければならない。平均値を上げるのでもないし、底上げでもない。突出した人材を輩出することが、結果的に平均値も底辺も上げることになる。サッカーをはじめとする各種スポーツ競技の「プロ化」と同じである。


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