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映画「ナポレオン」について

巨匠リドリー・スコット監督の最新作「ナポレオン」を観た。この日は、都合により、いつもの「TOHOシネマズなんば」ではなくて、同系列の梅田の方であった。12月1日は「映画の日」なのだとかで、鑑賞料は1,000円であった。シニア料金よりも安い!

リドリー・スコット監督と言えば、僕にとっては、「エイリアン」、「ブレードランナー」、「ブラックレイン」、そして「グラディエーター」である。37年生まれとのことなので、もう満86歳の後期高齢者なのだが、その年齢で、2時間40分もの大長編映画を新たに発表する旺盛な創作意欲に、まずは敬意を表するしかない。「グラディエーター」の続編も準備中であるとか。まさにシニアの鑑である。

ただ、率直な感想としては、ナポレオンの波乱の生涯を描くには、2時間40分の尺でもかなり不足気味だったようだ。主要な出来事を駆け足で紹介するような感じなので、世界史的な予備知識をあまり持たない人がこの映画を観ても、ちょっと話の展開についていけず、戸惑うことになるだろう。したがって、フランス革命以降のフランス史、ナポレオン戦争あたりの欧州史に関して概略であっても事前にお勉強してから観ることをおススメする。

それにしても、リドリー・スコットは、どうしてこの映画を作ろうと思ったのだろうか。最新の映像技術を駆使して、「グラディエーター」を凌ぐような大スペクタクル映画を作りたくなったのか。たしかに、戦闘場面、たとえば、「トゥーロン攻囲戦」、「アウステルリッツの三帝会戦」、「ロシア遠征」、「ワーテルローの戦い」等については、いずれもおカネと人員(エキストラが8,000人動員されたとか)を投入しただけの効果を存分に味わうことができる。だが、この長尺の映画の中で、戦闘場面はごく一部であり、その他のシーンは、何しろ登場人物が多いし、それぞれの立場とか利害関係についての説明があまりないので、先ほども書いたとおり、予備知識のない人には少々つらい。

最初の妻であるジョセフィーヌとナポレオンの関係性についても同様である。ナポレオンが、年上の未亡人のジョセフィーヌにどうしてあんなに執着するのか、もっと丁寧に描いてもらっても良かったように思う。要するに、ジョセフィーヌは「あげまん」で、彼女と出会ったことで、ナポレオンの運が向き始めて、フランスの皇帝にまで昇り詰めるが、世継ぎを得るために彼女と離婚したことで、「あげまん」の神通力が失われて、ナポレオンの運気も急落してしまうのだが、浮気性で男癖が悪いジョセフィーヌのどこにナポレオンが惹かれていたのか、この映画だけでは、ちょっとわかりにくいのだ。

それと、単なる優秀な軍人に過ぎなかったナポレオンが、フランス革命後の権力闘争の中で、政権内部でどのような駆け引きを経て、統領政府の第一執政として独裁権を獲得し、そこからさらに皇帝位に就くことになるのか、この辺りの説明も、(たぶん尺不足で)かなり雑な感じであった。

おそらく、ナポレオンの半生をちゃんと描こうと思ったら、大河ドラマで1年間かけるくらいのボリュームになるのだろう。だから2時間40分の大長編であっても、大河ドラマの「総集編」みたいな感じになってしまうのはやむを得ないのだ。

映画の最後のところで、ナポレオン戦争でどれだけ多くの戦死者が出たかについて、各戦闘ごとに戦死者を列挙していたが、たしかに負の側面だけを見たら、そういう部分は否定できない。

しかしながら、フランス革命後、血なまぐさい権力闘争が繰り返されて、恐怖政治に見られるように国内で同朋同士が殺し合っているような混乱状態を、ひとまずは収拾させて、その後のアンシャン・レジームとか、第二帝政等の一時的な逆行はあったものの、最終的に現在の共和政に至る道筋を作った功績は認めて良いと思う。独裁政治というのは、リーダーが優秀であれば、多数決による民主的プロセスよりも即効的かつ効率的であるのは間違いないからである。「毒を以て毒を制す」ではないが、混迷を極めていたこの時期のフランスにはナポレオンみたいな強烈なリーダーが必要だったのだろう。

この映画ではまったく触れられていないが、ナポレオンは内政面でいろいろと現代にもつながる優れた施策を打ち出している。「ナポレオン法典」(民法典)は、日本を含む諸国の民法に多大な影響を与えている。フランスの民法典は、今でもナポレオンが制定したものが現行法であるという。

国民軍の創設・運用も、ナポレオン以降、各国のスタンダードになったとされている。それ以前の戦争というのは、王侯貴族の私兵というか傭兵によるものであったが、国民からの志願兵中心の軍隊は士気も高く、これ以降の主流となったのだが、その反面、総力戦として、一般国民が戦争に巻き込まれて行くことにもなる。

中央集権的な国家運営の担い手を養成するための教育制度の整備、税制改革、軍隊の移動を容易にするための道路網の整備等も、ナポレオン期に急速に進められた。欧州で道路が右側通行なのは、ナポレオンによって普及したという話は、僕も最近まで知らなかった。今でも英国だけは左側通行なのは、ナポレオンに占領されなかったからだとか(古代ローマ時代、元々は左側通行だった)。

それくらいに、現代に至る、さまざまな影響を多方面で残した人物であり、功罪半ばする複雑な人物である点に関しては間違いない事実である。

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